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コンテキストの光と闇

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ふと気がつくと、たいしてエントリを書いてもいないのに、ここ3カ月のテーマがブック検索ばかりなので、ここらで当たり障りのないエントリでも書いてみます。磯崎哲也氏が「「大盛り無料」とは何か」というエントリで、

「大盛り無料」と言っても、誰も、

普通盛りは有料だけど、大盛りは無料 

だとは思わんわけですね。

という話を延々説明されています。そして、結論として「アフォーダンス説」を唱えていらっしゃいます。アフォーダンスの説明は wikipedia を参照していただくとして、ここでは(同じようなものですが)「コンテキスト説」を取って、とりとめもなく考えてみたいと思います。なお、誤解のないようにお断りしておくと、ほとんど冗談です(怒らないように)。最後に少しだけ真面目な話をしますが、この手の日本語について考えたい人は金田一春彦氏の著書をお勧めします。

さて、このエントリに対して、はてブで以下のような例を挙げてみました。

  • 「ライトついてますか」
  • 「俺は鰻だ」
  • 「あいつは新宿」
  • 「兄さんは明日」
  • 「カメラとって」
  • 「電気つけて」
  • 「鯉の餌、10円」
  • 「赤ちゃんは頭から出てくるのよ(キャー!)」
  • "I'm having an old friend for dinner"

最初に挙げたのは、名著『ライトついてますか』のタイトルで、その由来は、トンネルに入った車が出るときライトを消し忘れないようにするために、トンネルの出口の看板に、どのように書くかという話で、詳細に、

  • 今が昼間で、あなたがライトをつけていたら、トンネルから出る前に消しましょう
  • 今が夜で、あなたがライトをつけていなかったら、今すぐライトをつけましょう

と書くより、

  • ライト、ついてますか

と書けば十分、というトピックです。この一文を読めば、「ライトがついていたら、消そう」ということを理解し、そのように行動できるわけです。そもそも前者のような看板では読み終わる前に通り過ぎてしまうでしょう。

「俺は鰻だ」(※「僕は鰻だ」から変更)は、金田一春彦氏の著書で見かけた例です(どの本か忘れました^_^;)。このような言葉が出てくるのはレストランで食べるものを注文するときでしょうし、「俺は鰻だ」と言えば、店の人は、ああこの人の注文は鰻(定食)なんだなと思ってくれるわけで、「じゃあ、調理場でまな板に乗ってください」とは言われません。日本語は、このような状況(コンテキスト)に応じて、実に多くのものを省略できます。「大盛り無料」もその一例でしょう。

以前、テレビ番組で英語の歌詞を日本語に訳す難しさを紹介していました。英語は1音ごとに、1音節割り当てることができますが、日本語では1音には1文字しか割り当てられないので、制約が大きいという話でした。そのときには、"my father told me." というフレーズを例として挙げていました。完全に訳すと「私の父が私に話した」ですが、とても同じ音符に割り当てられないので、まず「父さんが言った」と訳していました。しかし、これでも“歌詞の雰囲気が伝わらない”ということで最終的には「話してくれた」と訳されました。オリジナルの "told" 分だけですが、前後の文脈から、"my father" と "me" の部分が補完されるということでした。

ソフトウェア製品などで英語のドキュメントを日本語に訳す場合、ざっくり2~3割増くらいの量になるというのは、経験された方も多いでしょう。英語のドキュメントを訳す場合、よく考えれば省略できるものだとしても、“直訳”では省略しないことが多いので、どうしても量が増えてしまうのです。

「あいつは新宿」というのは、これだけでは何を言いたいのかわかりません。しかし、「彼はどこにいるの?」「彼はどこに住んでるの?」「彼はどこの支店に勤めているんだっけ?」といった質問のコンテキストから、「あいつは新宿」に必要な残りの部分を補うことができます。「兄さんは明日」もそうですね。3人兄弟が実家に帰省するときに、次男だけが先に帰って、母親が「みんなは?」と聞いて「兄さんは明日」と答えれば、残りの部分を言う必要はありません。

「カメラとって」は、コンテキストが活躍する一例です。これを「写真を撮って」という意味で使ったことがある人は少なくないのではないでしょうか。もし、英語で "Could you take the camera?"(直訳すると、「カメラを持っていってもらえませんか?」)と言えば、喜んでカメラを持ち帰られてしまうでしょうが、日本では普通に「写真を撮って(ください)」という意味に受け取ってもらえるでしょう。もちろん、これから旅行というときに、うっかりカメラを忘れそうになったお父さんがテーブルの上を指さして「カメラとって」と言えば、「そのカメラを持ってこい」という意味になります。

「電気つけて」は、コンテキストとはあまり関係ないのですが、そもそも「電気」って何でしょう。辞書を引くと、ちゃんと「電灯」という意味が出てきます。でも、本来の「電灯」とは「電気で光を出す灯り(あかり)」であり、略すなら「灯り」の方を残すべきではなかったのでしょうか。しかし、きっと「電気つけて」という言葉が灯りを点けるという状況ばかりで使われていたせいで、今では何も疑問に思うことなく「電気」という言葉を「電灯」と理解しているのでしょう。

「鯉の餌、10円」は、このコンテキストを逆手に取った定番のネタです。鯉が泳いでいる池のそばで「鯉の餌、10円」と書かれていたら、普通は、どこかで餌を10円で買えるのだろうと売り場を探すものですが、この話では「池に10円を投げ込む」という人物を登場させて笑いを取ります。ちなみに、「赤ちゃんは頭から出てくるのよ」は、もちろんお母さんの頭がパカッと割れて・・・では、ありませんね。お喋りな友人に対して「お前は口から生まれてきたんだろ」と言って、「こんなところからどうやって赤ちゃんが出てくるんだ」と口を指差す、というのもありがちなネタです。

コンテキストを活かすのは日本語に特有というわけではありません。"I'm having an old friend for dinner." というのはある映画のフレーズです(検索するとすぐに見つかるのであえて題名は書きません)。普通は「夕食のときに古い友人がいる(古い友人と夕食をとる)」と訳すのですが、「夕食として古い友人を食べる」という意味にもなるのです。(そして映画のコンテキストでは、その状況から後者を暗示しています)

日本語は、主語を省略できることを含め、あいまいな言語だと言われることがあります。『窓際のトットちゃん』を英訳するとき、黒柳徹子さんは訳者から「花柄のシャツとあるけれど、花はひとつだった複数だった?」というような質問をたくさん受けたそうです。でも、英語にもそういうところはあります。あるドラマシリーズで、(テレビには出てこない)「弟の話」をしていた登場人物がいたのですが、ある回、その“弟”が登場する場面があり、その登場人物はハッキリ「兄さん」と呼んでいました。見掛け上、そうするしかなかったのでしょう。そういえば、「古池や蛙飛びこむ水の音」を英訳する際主語を frogs にした人がいたそうです。

コンテキストを理解する能力は、情報を発する側と受け取る側の間で効率を高める効果があると言えます。ただし、それには「信頼関係」も必要です。

八百屋で「さあ、ダイコン、全部100円だよー」と言ったら、「よし、これ全部で100円なんだな」と因縁をつけられて、100円だけ払ってごっそり持っていかれたという話があるそうです。「新聞とってください」に対して「(とらなくても)いいです」というつもりだったのに(相手もそれをわかっているはずなのに)、わざと「(とっても)いいです」という意味に解釈されてしまうとか、「一緒にラーメン食べよ」と誘われて知らない店に入ったら、後から「どこにラーメンが10万円じゃないって書いてあるんだよ」と脅されたとか、その手の話は色々ありそうです。

契約書や同意書で、「小さい文字ばかりで読まなくてもいいや」という人もいるでしょう。相手が信頼できる状況であれば問題もないでしょうが、そうでなければ悲劇を生みかねません。信頼関係を持てない相手では、あまりコンテキストに頼らない方がよいという話でもあります。

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