思考実験・未来記事『タクシーの規制復活は何をもたらしたか』
新年早々妄言か、という声も聞こえそうですが、タクシー問題懇親会の事務局を担当されている豊川氏のブログにインスパイアされて書いてみました。例によって印籠(免責)を挙げておきますが、以下は豊川氏の提案されるタクシーの総量規制、均一運賃の復活をもとに、未来を妄想したフィクションです。豊川氏は、よりドラスティックな提案としていますが、ここでは東京地区の初乗り料金を昨年の値上げ前の660円に戻し、実車率の目標値を50%に設定して、減車する方向で総量規制すると想定します。記事は、その1年後のものです。まあ、1年でそれほどの“成果”が得られるというのはちょっと不自然なのですが、フィクションということでお許しを。
なお、前回と同じで、この思考実験は、私個人の意見を反映したというものではありません。ついでに言えば、私はタクシー業界の内情に詳しいわけでも、長期にわたってタクシー問題を追いかけてきたわけでもありません(ほんの10日前からネット検索している程度)。あくまで考える材料を出してみようと思い立っただけです。リアリティを増すため、実名を使った部分はありますが、実在の会社とは何の関係もなく、ここに語られている“出来事”はすべて私の妄想です。あくまで思考実験であり、「こんなのは妄想にすぎない」というご批判をいただいても、「そのとおりです」としかお答えできません。あらかじめご了解ください。
『タクシーの規制復活は何をもたらしたか』
この頃、タクシーへの不満を聞くことが多くなった。かつて街中にあふれかえったタクシーや駅前の長い待ち行列は、1年前に導入された総量規制のおかげですっかり姿を消した。「利用者への運賃引き下げと乗務員の待遇改善を両立できた」と関係者は胸を張る。しかし、庶民の間でタクシーへの不満がくすぶっているのはなぜだろう。タクシーの規制復活が、我々の生活に何をもたらしてくれたのだろうか。
規制復活のきっかけをご記憶の方も多いだろう。1台のタクシーの不注意により幼い兄弟の命が奪われた痛ましい事故だった。この運転手の劣悪な労働環境が週刊誌で報道されるや、非難の声は運転手からタクシー業界へと向けられた。我々を含め、マスコミは連日タクシー業界の無策を取り上げ、それに応える形で提案されたのが総量規制と均一運賃の復活であった。街中にあふれかえるタクシーを減らし、料金も引き下げるという、まさに意表を突いた提案に誰もが飛びついた。こうして、急転直下で規制の復活が決まったのである。
彼らの言葉に嘘はなかった。タクシーが起こす事故は、この1年だけを見ても明らかに減っている。運転手の労働環境や待遇が明らかに改善されたからだ。運賃についての新たな動きはあるものの(後述)、料金が引き下げられたことに違いはない。では、なぜタクシーへの不満を口にする人がいるのだろうか。
「待っていても、なかなかタクシーが来ない」と語るのは小金井市に住む主婦Aさんである。Aさんの自宅は武蔵小金井駅から歩いて20分。閑静な住宅地だ。「夫も私も免許を持っていません。近くまでのバスもあるのですが、本数が少ない上に、子供が2人いるので自宅まで送ってくれるタクシーは便利だったんです。」以前なら、駅を出ればいつでも客待ちのタクシーに乗ることができたが、今はバスを待つ方が早いこともあるという。それでも荷物が多い時はタクシーを待つというAさんは、こう続ける。「買い物に街に出かけた時、荷物が多くなったので駅までタクシーで行こうと通りで手を挙げたのですが、運転手に見て見ぬふりをされてしまうんです。」
その運転手の気持ちがわかる、と言うのは、総量規制のあおりを受けた元運転手のBさんである。今、ハローワークに通うBさんは、規制後の事情をこう話してくれた。「新たな規制では実車率50%を目標としてタクシー台数が制限されているんです。当時のマスコミも後押しして決まった数字ですが、50%というのは、お客を乗せて目的地まで行き、また元の場所に戻って待っていればお客を乗せられるという数字なんですよ。タクシーを捕まえるのに札ビラを見せていたバブルの頃だって東京地区の実車率は55%。以前に規制緩和する頃では40%台半ばでした。再規制前には20%台にまで落ち込んでいて私も大変だったのですが、深刻な不況が続く中での50%に戻すというのは、よほどタクシーを減らさないと実現できない数字なんです。ただ、残った運転手にしてみれば競争がなくて無理をする必要がないし、タクシー会社も車両コストをかけずに高い収益を上げられる。いわば残ったタクシー運転手だけをバブル期に近い頃まで引き戻そうしたんですよ。そりゃ運転手の愛想もよくなるというものです。」
さらにBさんは続ける。「もはや運転手はお客を見つけるのに血眼になっていません。大量の荷物をかかえた主婦を見送ったところで、すぐ他のお客を見つけられるんですからね。むしろ、お客を見る目が肥えてきます。今は、減車に向かっていますから、成績の悪い運転手から職を失います。その意味では、上客を見極める競争があると言えますね。おなかのでかい女性は、たとえ太っているだけだとしても見過ごしますよ。」 経営規模の小さいタクシー会社では、行き先が産婦人科と聞いただけで配車するタクシーがない、と断るところもあるという。妊婦はデリケートだから何かあったら大変で、まっさきに敬遠されるというのだ。
別の視点で不満を口にするのは路線バスを運転するCさんだ。Cさんもかつてはタクシーの運転手だった。タクシーの規制緩和で急激に労働環境が悪化し続けた頃、一念発起して大型二種免許を取得し、民間のバス会社に転職した。「我々も厳しくなっていたが、それでもタクシーに比べればましだと思っていた」というCさんだが、知り合いのタクシー運転手から最近の待遇を聞いて驚いたという。「深刻な不況が続きバス運転手の収入は絞られるばかりなのに、それを上回りそうなことを言うんですよ。あのままタクシー業界に残っていても、私が生き残っていられたかどうかはわかりませんが、今から戻ることは絶対に無理。我々の収入を挙げるのは運賃の値上げしかないんですが、この世の中で誰が言えますか。」
実はタクシー業界の内部からも反発の声がある。当初から「規制は不正な談合の結果」と断じていたのは、かつて低額運賃で名を馳せたエムケイタクシーである。規制再開の折には「ビジネスモデルの改善で安い料金を実現していたのに、何の努力もしないタクシー会社の料金に合わせることになった。運賃引き下げというが、たかが初乗り料金の値上げ分50円を戻しただけ。強制的に供給を減らして実車率を上げれば、この程度の運賃を下げられるのは当たり前で、我々はもっと運賃を下げられる」と豪語していた。そして彼らは半年前に「東京地区での小型車への全面移行」という方針を表明したのである。
他のタクシー会社は「お得意のパフォーマンス」と様子見を決め込んでいたが、東京ではめったに見なかった小型車を最近ではチラホラ見かけるようになってきた。エムケイはこう語る。「わずかとはいえ小型車はサイズが小さい分、実は運転手への負担が大きい。ほんとうは中型車を使い続けたいが、より安くというニーズに応えるには、これしかなかった。しかし、我々のビジネスモデルと実車率の上昇のおかげで運転手の収入は他社より多い。地方の駅を見習って小型車専用の乗り場を作ってくれた駅では、まっ先に我々のタクシーが選ばれており、他の駅でも追従してほしいという声が高まっている。お客も我々を選んでくれるし、うちに移りたいという運転手は多く、どんどん数を増やしたいのに、規制の時点で総枠が決められ、あとは実績ベースで少しずつしか台数を増やせない。これで本当に利用者目線の規制と言えるのか。」
ここ数年の不況で自家用車を手放す人が多い中、大量輸送手段にはない役割を担ってきたタクシーへの期待はこれまでになく高い。タクシー規制の復活は、間違いなく“利用者”にメリットをもたらした。しかし、利用できずに取り残される弱者のニーズにはどう応えてくれるのだろう。