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「お金をかけても、よい作品になるとは限らない」という表現

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前エントリで取り上げた「Culture First」に対する批判コメントもそうですが、よく言われることとして「文化」(あるいは著作物)と「お金」とを結びつけること自体を否定するようなものが少なくありません。たしかに、音楽にしろ、テレビ番組にしろ「お金をかけたからって、よい作品になるとは限らないよ」と言われたら、これを否定することはできません。莫大な費用をかけたのに失敗作と評されたり、名優の無駄遣いと感じてしまう映画もあります。しかし、この表現から「お金をかけることとよい作品になることは関係がない」とか「作品作りにお金をかけるべきではない」ということは導かれませんし、言いすぎです。

(私の記憶がたしかなら)今村昌平監督が「うなぎ」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した際に、「前の作品から時間がかかりましたが、何をされていたのですか?」と聞かれて「資金集めです」と答えられていました。カンヌで、すでにパルムドールやグランプリを受賞しているような監督でも資金集めが大変という日本の状況を嘆かれていたのですが、出資者にとってみれば営業的にプラスになると見込めなければお金を出すことはできないでしょう。(自主制作映画ならともかく)映画館で公開されるようなものなら相当な資金が必要なことは想像に難くありません。それこそ映画評論家の間で絶賛されるものだったとしても、営業的に赤字になるのなら、続けて出資してもらうことは難しいでしょう。そうでなくても、創作する側にとってみれば、費用をかけられないより、かけられる方が、創作活動の自由度が高まって嬉しいはずです。

誤解している人が多いようですが、作品(著作物)を共有すべきものだと思うのであれば、その制作をクリエイターやレコード会社や映画会社に押しつける必要はありません。たとえ、自分にクリエイターとしての素養がないとしても、誰かに制作のための資金を提供すればよいのです。営利企業が出資するのは利益を得るためですが、自分が提供する資金なら、利益を目的にする必要すらなく、好きなだけ出せます。事前の契約は必要でしょうが、そのように費用を出して作ってもらった作品であれば、自分の意思で自由に共有できます。もちろん、自分の著作物についても同様です。

あるいは「著作物には公共性がある」というなら、それこそ税金で制作費を出してあげてはどうでしょうか。私は、競争力が働かなくなり、良い作品にしようという意識が薄れると思いますから大反対ですが、商業音楽やテレビ番組を「商業主義の無価値なコンテンツ」だというのであれば、クリエイターが商業主義に走らなくて済むような創作環境を考えてあげるべきでしょう(※)。そもそも、そういうコンテンツを「無価値」と蔑むのなら無料で共有させる必要すらなく、「お金をかけていなくても、すぐれた作品」だけを取り上げていればよいはずです。
※法律で受信料を制定している NHK は、こういう性格を持っているかもしれません。

自分はお金を出さないのに、「文化の共有」とか「公共性」と称して、他人がお金をかけた作品を無料で使用させろというなら、これは「フリーライダー」以外の何物でもありません。こういうと、ときどき「無料とは言っていない」という人はいますが、そうであれば作品を買えばよい話です。あるいは「お金を出そうとしても買えない作品」を取り上げる人もいますが、以前取り上げた田中氏のレポートから推察できるとおり、たいていは売れ筋のものがダウンロードされているだけでしょう。また、テレビ番組などは、後に DVD で出ることもありますし、それを期待して制作しているものもあるでしょう。そもそも、そのように主張する人は、作品を探す努力をしたり、販売してもらうための努力をしているのでしょうか。以前にも書きましたが、自分は楽をしてリスクを他人に押しつけるだけなら、そんな主張には説得力がないと受け止められても当然でしょう。

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