著作者の意思を尊重する
私はまず著作者の意思を尊重すべきと考えています(くどいようですが)。たとえ、それが「広く利用してほしい」や「特定の人にだけ使ってほしい」や「お金を稼ぎたい」場合でも、です。ストリートパフォーマーだったアーティストが、プロとしてレコード会社に所属し、知名度でも収入でも成功することを目指す(あるいは実現する)ことも受け入れるべきと思います。また、レコード会社との契約によって、JASRAC に楽曲が登録されることで許諾権を失っても(代わりに報酬請求権を得る)、原盤権をレコード会社が持つことになっても、それはアーティストの意思であると“一応”考えます。
著作権法は、この意思を尊重するために機能してほしいと思いますし、以前書いたとおり、法律が著作者とユーザーの合意を阻むようなことは好ましくないと思っています。もっとも、「俺が稼いだ金は全部俺のものだ」といって税金を払わずにすむことができないのと同じように、著作物に保護期間が設けられていて、いずれ共有財産と化すのは(それが著作者の意思でなくても)合理的な考えだと思います。
しかし、問題も起きます。ymo.org というサイトでは、YMO(Yellow Magic Orchestra)のメンバーが連名で出している「ごめんなさい」というメッセージを見ることができます。原盤権を持つ会社がアーティストの望まない形での商品化していることが原因のようです。また、ミュージシャンのプリンスは、レーベルとの確執によって名前を記号にしていた時期があります(いわゆる“元プリンス”)。また、クリエイティブコモンズに登録して誰にでも読めるようにした著書を、印刷会社が勝手に出版したため、著者が書籍を買わないようにお願いするということもありました。
最後の件は、たんにライセンスの認識が甘かったという気もしますが、これらの問題を著作者の「気が変った」とみなすのは酷でしょう。契約するからには信頼関係が築かれているべきなのに、それが崩れてしまったわけです。しかし、信頼関係がなくなっても契約は有効ですから、何が著作者の意思を尊重することになるのか判断が難しいこともあります。
こうした問題の理由には、アーティストの卵たる「若い人」たちが、(言葉はよくありませんが)手練手管に長けた企業に比べて契約に対する認識が甘いからかもしれません。もちろん、すべてのメディア企業が問題とは考えていませんが、企業は利益を追求するものだという認識は必要でしょう。契約の際に、「お金だけじゃない。君の思うとおりに活動してくれ」と言われたら(言われているかどうかは知りません)、それを契約書に反映させるべきでしょう(反映されているかどうかは知りません)。あるいは、“伝統ある”メディア企業に所属する以外の選択肢もある(あるいは作り出す)ことだって考えてもよいでしょう。また、今日においては、そうした企業にすり寄るだけが作品を知らしめる方法ではないと思います・・・というところで「やわらか戦車」を成功事例として紹介しようと思ったのですが、wikipedia にはネガティブな表現がありますね(実際、どうなんでしょう)。
ところで、私は、こうした選択肢としてのクリエイティブコモンズを興味深い取り組みだと思っているのですが、寄付する人(個人)が多くないと知り、ちょっと意外な気がしています。ブログなどでクリエイティブコモンズを賞賛している人もいると思うのですが、こうした人たちは仕組みの利用だけでなく貢献ということを考えているのでしょうか。