あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

残業の泉、あるいはすぐそこにある無駄仕事

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「働き方改革」などと銘打って、「残業を減らそう!」が一種の社会運動みたくなっている。
特に日本は、知的労働者(ホワイトカラー)の生産性が特に低いと言われている。確かに自分を振り返ると「後から考えればなんだんだろう・・」という仕事もある。工場のラインでストップウォッチ持ちながら、最適な体の動かし方を研究しているのに比べれば、なおさら。

残業の泉(知的労働者にとって残業の元となっている行動)と思えるような仕事の仕方を6つあげてみた。
こういうスタイルで仕事をしていると、仕事は後から後から湧いてくる。まさに泉のごとし。


【1】ダメな予感とともにやる仕事
「なんとなくこのままやってもイケテナイんじゃないか?」の予感とともに、2時間くらいかけて、とりあえず完成させる。こういうことってありませんか?

「とりあえず出来たんで見てほしいんですけど・・」
「うーん。これ、自分でイケていると思う?」
「イケてないと思います」
「いつからそれに気づいてた?」
「やり始めた少し後、3時間前にはそう思ってました」
「ダメとわかった上で3時間もやってたの?」

こういうやり取りは、たまにある。
3時間前にダメな予感がしたのなら、その時に相談すればムダな仕事しなくてすんだのに。


「上司に言われたことは、とりあえず言われたとおりやり切らないと」というカルチャーがもしあなたの組織にあるのなら、それはよほど簡単な仕事しかしていないか、生産性が低い組織だ。

3時間の試行錯誤は「修行」という意味で、価値はゼロではない。でも、スジの悪い努力はあまり力にならないのが普通だ。少なくとも、生産性は極めて低い。
こういうの、やめません?



【2】全ての「お付き合い」
お付き合い会議。お付き合い残業。お付き合い顧客訪問。お付き合い飲み会。

日本は「和をもって尊しとなす」だから、「お付き合い行動」が必ずしも悪いこととされていない。でも、生産性をすごく下げている。
行動を決める時に、「お付き合い上、必要かどうか?」で判断するのをやめよう。
そうではなく、「価値があるかどうか?」で決めるのだ。

「○○商事は大切なお客様だから、課長が同行しないと」はお付き合い訪問。
「課長が行って、△△興産の事例を話してくれたら、お客さんが食いついてくれるかも」は、課長にしか出せない価値。
この2つは全然違う。
今時、ちょっと偉い人が同行してくれたからといって仕事を発注してくれるとかないですよね?

「価値があるかどうか?」で行動を決めていくと、余計な仕事をしなくてすむし、やる仕事も効果的になる。



【3】一言も発しない会議
これについては、散々言い尽くされている。でも中々減らない。
上記の「お付き合い出席」が良いものとみなされている、という事情も大きい。

「情報収集として、生の声を聞いておきたい」という言い訳もよく聞く。
でも、そうやって2時間、3時間じっと聞いている価値がある会議なんて、めったにあるものではない。

そして、「じっと聞いているだけの人」というのは、会議にとって明らかにマイナスの存在だ。ライブハウスの真ん中に、仏頂面で座っている観客がいたら、盛り上がらないでしょう?そんな感じ。

この辺の会議のアレコレについては、そのうちに別途書きたいと思う。
あと、ウチの榊巻がこのオルタナブログでよく会議について書いているので、そちらも読んでみてください。僕よりずっと勤勉に更新してます。

榊巻亮の『ブレイクスルー備忘録』




【4】偉い人向け資料
変革プロジェクトをやっていると、「偉い人に説明するための資料、決裁を得るための資料」を作ることは多い。
・偉い人の時間は貴重。短時間で議論するには良い資料が必要
・偉い人に理解してもらわないと、プロジェクトが進まない
・偉い人が理解出来るロジック≒よく整理されたストーリー
という事情があるので、ある程度時間をかけて資料を準備するのは、仕方のない面もある。

とは言え、ほとんどの企業では行き過ぎだ。
プロジェクトで使っている生の資料か、考えるために整理した資料、であれば良いのだが、「見せるためのきれいな資料」になっているケースが多すぎる。
本来、「見せるための資料」を見せられた側は、褒めるのではなく、怒ったほうがいいのだ。


僕はお話する相手が大企業の役員等、偉い人であればあるほど、パワーポイントで作り込んだ資料を使わないようになった。
フリップチャートに議論したいことや、話のポイントだけ書いておき、あとは適宜その場で書きながら議論する。そのスタイルで「もっとちゃんとした資料をもってこい!」と怒られたことは1回もない。

偉い人というのは色々な案件を掛け持ちで見ているから、作り込んだリッチ過ぎる資料を持ってこられると、話のポイント、判断する上で重要なポイントを見出すのに苦労するのだ。
そして、偉い人のなかにも一定の割合で「資料を見せられると、資料の体裁のあら捜しを始めてしまう病気」に罹患している方がいる。
本来、役員になるまでの間に克服しておいていただきたい。でもそうでない方もいる。
フリップチャートに殴り書きしてあると、バカバカしくて「君、その字が汚いな」とかは言われない。すぐに本質的な議論を始められる。



【5】上司の趣味に合わせる
誰もが、上司に言われたことに対して「それって、単なるあんたの趣味なんじゃないの?」「その上の上司とか、顧客はそれ気にするの?」と反感を抱いたことがあるだろう。

上司の趣味にあわせて仕事をするのはムダだ。それで残業していると泣きたくなる。ひどいときには、Aの資料を持っていくと、上司に「Bにしろ」と趣味的に言われ、その上の上司に「なんでAじゃないの?」と言われたりする。サラリーマンの悲哀だ。

だが、これは結構難しいテーマだ。
・単なる上司の個人的な趣味指摘
と、
・価値のある指摘
を見分けるのは、難しいからだ。

例えば「報告書のフォントがメイリオになってない」と上司に指摘されたとして、そんなの完全に趣味指摘だと僕は思うけど、上司としては
「統一感のない資料は信用されない」
「こういう低レベルなノイズがあると、読む人が中身を理解する妨げになる」
みたいな哲学を持っているかもしれない。
(くどいけど、僕自身はこういう考え方は嫌いだが)

ムダだし残業の泉だと思うけど、組織で仕事する以上、多少は我慢が必要なんでしょうね。
そして自分が偉くなって変えるしかない。

【昔書いたブログ】二流のリーダーには決して言えないこと、あるいは品質管理の奥深さ




【6】管理のための管理
管理する側と管理される側って、常に微妙な緊張感があるものだ。
上司と部下のように上下が明確な場合はともかく、本社と支社とか、プロジェクト内のPMOと各チームとか、必ずしも上下関係とは言い切れない場合はなおさらだ。

A氏:「こういう資料を出してください」
B氏:「何のために?」
A氏:「PMOとして(本社として)知っておく必要があります」
B氏:「知ってどういうアクション起こすの?偉い人に知らないのか!って怒られるのがやなの?」
B氏:「目的分からないとちゃんとした資料作れないよ、何しろあなたのためだけにわざわざ一から作る資料なんだから」
B氏:「欲しいならあなたが作れば?」

みたいなやり取り、寒々しいですよね。
多分我々は、「把握している、知っている」ということに価値を置き過ぎなんだと思う。
だから「把握していることが仕事である役職」が生まれる。
そこから付随して、「誰かが把握するためだけの資料を作る仕事」が生まれる。
不毛だ。言うまでもなく、把握することは目的ではなく、物事をうまくすすめるための手段なのにね。

管理や把握自体に価値があると勘違いするこことで、目的が曖昧になりがちだ。
そういのが、知的労働者の生産性を下げ、残業の泉となるんだよね。

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