僕が鬱病になりかけた時の話、あるいは負のスパイラルについて
今から考えると、軽い鬱病だったんだと思う。
僕は鬱病にならなさそうなタイプだ。いい加減だし、マイペースだし、自分で言うのもアレだがリーダーシップや困難な場面の打開力もある。
だからそういうのとは無縁だと思ってきた。僕と会ったことがある人や、本やブログの読者もだいたいは同じ意見だと思う。
そういう僕の10年以上前の経験を、いつか誰かの助けになるかも、と思って書いてみる。
コンサルタントに転職して1年くらい経った時だった。ある会社を抜本的に改革するプロジェクトの立ち上げメンバーとしてアサインされた。
業務も変える、システムも変える、組織も変える、それどころかビジネスモデル自体も見直そうという野心的なプロジェクト。コンサルタント冥利に尽きるようなプロジェクトだ。
難易度が高いプロジェクトだったから、会社は優秀な人材を何人も集め、豪華な布陣を引いた。僕もその一員としてやる気満々で臨んだわけだが、パートナー(プロジェクト責任者)から申し渡された僕への期待は、非常に低いものだった。
「コンサルタントとして頭をつかう貢献とか、期待していないから」
「このプロジェクトは難しいから、議事録を取るのもド新人では無理だろう。だから君をアサインした。全ての会議で議事録を取ること。渡された資料を整理すること。他の人が書いた資料の体裁を整えること。そういうのをひたすらやってくれればいいから」
26の時にSEから転職して1年が経っていたが、その前のプロジェクトではファシリテーターとして難しい会議をリードしたり、鋭い分析をしたりして、お客さんからの評価も上々。昇格もしたばかりだった。コンサルタントとしてやっていける自信もついた。そいうタイミングだったので、この扱いは結構ショックだった。
だが、まずはチームで与えられた持ち場で貢献するしかない。プロジェクトが始まると僕は黙々と議事録を書いた。
プロジェクト自体は期待通り、素晴らしいものだった。お客さんは本当に情熱をもって新しいビジネスを作ろうとしていたし、お客さんとしても社内のエースが集められていた。最新鋭の工場や物流倉庫を見学させていただいたり、地方の営業所へ営業マンのヒアリングに行くなど、勉強になることも多かった。
ただし、労働時間はめちゃめちゃだった。夕方までお客さんとの打ち合わせ。その後翌日の打ち合わせの準備やその日の情報の整理を2時、3時まで。翌日は8:30から打ち合わせ。タクシーを使っても、3時間しか寝る時間がない。
睡眠不足に強い人と弱い人がいるが、僕は間違いなく弱い方。気を張っているので昼間寝てしまうことはないのだが、いつでも体全体がだるい中で仕事をしていた。
そうやって自転車操業を2ヶ月ほど続けていると、はっきり自分のパフォーマンスが落ちてきたのが分かるようになった。落ちてきたと言っても、何かクリエイティブな改革アイディアが思い浮かばない、というレベルではない。当時はそんな高級な仕事はしていなかったのだから。
そうではなくて、例えばプロジェクトの課題がたくさん載っているリストを整理するのに一晩かかってしまうとか。普段なら2時間の仕事だろう。議事録の文章を整えるのに何時間もかかってしまうとか。普段なら会議中に、ほぼ直さなくていいレベルまで仕上げる。
自分でダメダメなことはよく分かる。「こんなにダメダメなんだから、レベルの低い仕事しか任せられなくて当然だよなぁ」と何度も思った。
もちろん、周りも「コイツ使えねぇなぁ」という目で見る。それも感じる。しょうがないからもっとレベルの低い仕事が渡される。それに気づいて更に萎える。しかもそれすらうまくできない。
ダメダメだから頑張るのだが、そのためにますます寝る時間がなくなる。寝る時間がなくなると、ますます仕事ができなくなっていく。
後で知ったのだけれども、鬱病の初期症状としては「死にたい」とかじゃなくて、単に脳みそのパフォーマンスがめちゃめちゃ落ちることが多いらしい。まさにそんな感じだった。当社比10%とか。でも、それって自分が単に怠けているのか、元々頭悪いだけなのか、よく分からないんだよね。
僕の同僚は、そんな僕に対してあまり酷いことは言わなかった。元々いい人が多い会社だし、難しい仕事なのは分かっていたのだから。ただ、僕のパフォーマンスが悪くて単純に困っていた。アテにしていた戦力が使い物にならない訳だから。
人間関係が辛くてハマっていくパターンもあると思うけれども、僕の場合は単に自爆という感じ。
もう少し言えば、僕がずっと戦っていたのは、自分の自尊心だったのだろう。
周りからの期待値の低さへのがっかり感。
自分はもっといい仕事ができるんじゃないかという憤り。
でも蓋を開けてみると全然いい仕事ができない現実。
こんなはずじゃないという焦り。
負のスパイラルにハマってますます仕事ができなくなっていくことへの焦り。
自己認識と現実のギャップへの絶望。
こんな感情を抱え、何度も何度もぐるぐると考えながら、それでもいい仕事ができるほど仕事は簡単ではないし、自分も強くはなかった。
自分で、負のスパイラルにハマりこんでいることは自覚できた。
スパイラルから抜けだそうと、色々やってみた。例えば思い切って2日休みを取るとか(みんな忙しい訳だから、結構無理矢理な感じだった)。例えばちょっと違う種類の仕事をやらせてもらうとか。社外の勉強会に出かけていくとか(これも無理矢理)。
それでも、結局、僕は自力でそのスパイラルから抜け出すことはできなかった。あの時に心療内科に行っていたら間違いなく「1,2ヶ月休職しなさい」という診断書が出ただろう。そうでなくても、会社に行けなくなる日は近かった。
僕がそれ以上ひどくならなかったのは、2つのラッキーが重なったからだ。
ひとつは、プロジェクトが途中で終わってしまったこと。そこには色々な事情があった。
僕個人は酷いパフォーマンスで苦しんでいたけれども、一方でプロジェクトが途中で終わってしまったことについては、本当に残念だった。良いプロジェクトになりそうだったし、一緒に働いてくれたお客さんにも申し訳なかった。
だから、あのプロジェクト中断は、
「あれほど緻密なプロジェクト計画を作っても、きちんと実行されなければなんの意味もない」
「どうしたら、プロジェクトを実行し、成果を刈り取るところまで導けるプロジェクト計画を立てられるのだろうか?」
「あれほど優秀な人々が集まっても、いい仕事ができない時はある。成果を残すチームって、どんなチームだろうか?」
といういくつかの宿題を僕に残し、僕はずっとそれを追いかけている。
だが、それはここでは別の話。
プロジェクトが中断したので、僕は他のプロジェクトにアサインされた。これが結果として、負のスパイラルから僕を解放した。
移籍した先のプロジェクトでは、たまたま僕が得意なことが欠落していて、救世主みたいな構図になった。得意なことだからリーダーシップも発揮できた。頼ってもらえたから、また自信をもって仕事をすることができるようになった。そうすると、ますます冴えた仕事ができるようになった。初めてプロジェクトマネージャーを任されたのもこの時のことだ。
どのプロジェクトにアサインされるか?は基本的には偶然の要素が強いので、本当にラッキーだったと思う。そして当時、ズタボロになっていた僕を受け入れてくれたチームメンバーには今でも感謝している。
そしてもうひとつは、家族に助けられたこと。
と言っても些細なことだ。ハマっていたころのある朝、本当に会社に行きたくなかったので、奥さんに聞いてみた。
「僕がもう会社に行けない・・と言い出したらどうする?」
それに対して奥さんは「その時は、私が稼ぐからいいよ」と簡潔に答えた。
たったこれだけのことだし、本人はもう忘れていると思うが、ずいぶんと楽になった。そうか、最悪の場合は辞めればいいのかと。
誰もが結婚している訳でもないし、共働きな訳でもない。僕がたまたまラッキーだっただけだ。でもそれ以来、「男女を問わず働ける社会のほうがいいよね」「子供がいても、働き続けられる社会のほうがいいよね」と思っている。
それ以外の細かいことは、奥さんには話さなかった。別なプロジェクトに、信頼している同僚や可愛がってくれた先輩もいたのだが、そういう人にも相談しなかった。だって、どんなに自分が仕事ができないかなんて、カッコ悪いから言いたくないじゃないですか。
何とか立ち直ってから、先輩に「あのプロジェクトではこんなことがあった」と話をしたことがある。「そんな風に苦しんでいるなんて全然知らなかった。私から見ると白ちゃんはいつでもクリエイティブで前向きな人だから、信じられない」と言ってくれた。
今思えば、ハマっている最中にこんな言葉をかけてもらったら、とても助けられただろう。でも、相談しようと思えないのが、負のスパイラルにハマった時の恐ろしい所だ。
僕のちょっとしたハマり経験は以上だ。
本当に鬱病で苦しんでいる人にとってはピクニックみたいなものだろう。だが、僕のような、鬱病未満の負のスパイラルで苦しんでいる人もいるだろうし、こういう人がそこから抜け出せるかどうかは、大切な分かれ道だと思う。抜け出せない人もたくさんいるだろうから。
僕がこの経験から学んだことは、以下の通り。
・きちんと寝ること。睡眠不足は万病の元
・誰かの能力を期待することは、その人へのプレゼントになる
・誰でも(僕ですら)、鬱状態にハマりこむことはありうる
・人の能力や貢献度は一定ではない。発揮できる時とできない時がある
・負のスパイラルは自力で抜け出せない(少なくとも僕にはできなかった)
・スパイラルにハマっている人は、誰かが環境を変えてあげるべきだ
・家族や信頼できる同僚は命綱
今は管理職として、多くの人がハッピーに働きつつも成果を出し、成長できる様にリードするのが仕事だ。仕事は難しいし厳しいものだから、そんなに簡単なことではない。でも、あの時、ぐるぐると同じ所を周りながら学んだことは、プロジェクトや会社での一つ一つの判断をする時の指針になっている。
付記********************
「反常識の業務改革ドキュメント」の最初の方に、「次こそ、こういうプロジェクトにしたい」という思いを古河電工さんとのプロジェクトにぶつけた、という話を書いた。
お客さんとコンサルタントとの関係の作り方や、お互いをリスペクトしあいながら楽しく仕事をやること。そういったことへの執念は、この記事で書いたプロジェクトなどを通じて、僕の中に蓄積された。
そして次の本、「業務改革の教科書」は、このプロジェクトでもらった宿題、
「計画倒れに終わらず、最後まで実行し成果を刈り取れる様な業務改革プロジェクトを立ち上げるためにはどうすればいいのだろうか?」
への、僕の現時点の回答である。
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