厳正な人事評価は社員を成長させるのか?あるいは相撲取り哲学のススメ
★うちはガチでやってます
ここ15年以上、世の中的には「公正で厳正で緻密な人事評価(考課)は良いモノである。議論の余地なく」という事になっている。
相性や雰囲気や学閥?派閥?と言った、客観的には判断しにくい要素が濃厚にブレンドされていた一昔前の人事評価に比べて、各社の制度もゆっくりとではあるが客観的に説明できるものになってきたようだ。
当然その根底には、公平な人事評価による優秀人材の引き上げや、モチベーションの向上、成長の促進などの意図がある。
僕がいる会社(ケンブリッジ・テクノロジー・パートナーズ)はプロフェッショナルを標榜する会社なので、当然、人事評価の制度(評価プロセスや基準、反映のさせ方)がカッチリ決まっている。
そして大変な時間をかけてマジメに運営している(こういうものは制度だけあっても、マジメにやらなければ意味が無い)。
2,3ヶ月に1回、部下全員にびっしりと人事評価シートを書き込み、複数者がレビューする。そして一人一人対面で説明する。当然反論があるケースも有る。
実際バカ正直にやってみると分かるが、ほんと泣きそうです。
(以上、愚痴終了。僕は今、本当は人事評価シートを書かなければならないが、ブログに逃避している)
大変なのだが、人が売り物のコンサルティングビジネスにおいて、これは生命線だと思って、歯を食いしばってやっている。優秀な社員が定着し、成長してくれないとお客さんにいいサービスを提供できないからだ。
現に、社員に人事評価制度について意見を聞くと、公平できちんと評価することについては非常に評判がいい。誰もこのやり方をやめたいとは言っていない。
根底には「人事評価は人の成長の第一歩」という考え方がある。
フェアな評価
↓
至らない所が分かる
↓
改善目指して頑張る
↓
成長する
↓
評価が良くなる
こう書くと当たり前に見えるが、僕自身は長い時間をかけてこの考え方に疑問を感じるようになってきた。
★学校の勉強と仕事における成長は違う
「あの大学に受かるためには英語の偏差値が悪いからもっと勉強しなくちゃ」という様に、目標や努力の仕方が明確でデジタルな場合は、現時点の能力を適切に把握するのは有益だ。
仕事における成長にもそういう要素はある。例えば仕事で必要だから簿記2級の勉強しなくちゃ、とか。
一方で、明確でもデジタルでもない能力もまた、仕事では必要となる。例えば僕達が重要だと思っている「ファシリテーション能力」について。
ファシリテーション能力がある人とない人の差は歴然としている。プロジェクトにとって絶対に必要な能力であることも明らかだ。
だが、どこまでブレークダウンしていっても、「ファシリテーション能力とは何か」は明確にならない。従って「55段階法ファシリテーション習得法」といった育成メソッドはかなり作りにくく、どちらかと言うと武道的な「道」「修行」といった様相になっていく。
公明正大で客観的な評価制度は、
・優秀な社員を特定し、
・優秀さを要素分解して、
・それぞれの要素(コンピテンシー)ごとにレベルを定め
・何が出来ればどのレベルかの定義を決め
・個々人に評価し、
・そういった能力ベースの話と、実際の仕事での実績/成績との関係を整理し、
と作られ、運営されていく。
客観性は「分析的なスタンス」で担保されているのだ。
それのどこが問題か。
「コンサルティング道」「プロジェクトを率いる」といった、どちらかと言うと「統合性」が肝である、実務の世界と相性が良くないのだ。
★厳正な人事評価の弊害
現実との相性の問題とは別に、弊害もあるように思う。
一つは、「自分の成長」「自分が」にフォーカスが当たりすぎてしまうことだ。
例えば、入社後しばらくは同期と横並びで昇格していくのと違って、しょっちゅう
「君のドキュメンテーション能力は何点で人並みだけど、ファシリテーション能力が低いので改善が必要だね」と言われる。否が応にも自分のパフォーマンスを強く意識せざるをえない。
「ファシリテーション能力」が業界によっては「案件発掘力」だったり「部下への指導力」だったりするのだろうが、状況は似ているはずだ。
逆説的なのだが、自分のパフォーマンスや成長に意識が行き過ぎている人は、いい仕事はできない。
仕事とは「他の人が喜んでくれることをする」であり、「自分が自分が」というマインドは、本質的に逆の方向だからだ。
※これについては「なぜ成長したい人ほど成長できないのか」というブログ記事が素晴らしい。僕が言いたかったことが全て書かれているので、是非読んで欲しい。
もう一つの弊害は、人事評価シートで自分がダメなコンピテンシーを見つめながら「なぜ自分はこれが出来ないんだろう・・」と考えることの袋小路性だ。
昔は僕も、悶々とそう考えたりしていた。が、出来ない理由を考えても分からないし、改善方法はもっと分からない。
今現在で言うと、「自分に理由が分からないのだが、出来る」ということも結構ある(できないこともそれに劣らずある)。
出来る人が出来る理由が分からないのだから、出来ない人が考えてもたぶん分からない。考えるだけ無駄だし、そうやって自分の欠点についてグルグル袋小路にハマりこむのは精神的にとても良くなさそうだ。HAPPYではない。
そして、そんな事をグルグルと思い悩んでいる人が成長できる気がしない。
Just Do It!的に、やってみて腑に落ちることも多いからだ。
★一番一番の相撲が大事。
結局のところ、評価とかおいておいて、
「プロジェクトを成功させたい」
「何か良い物を作りたい」
「このチームに貢献したい」
「お客さんに喜んでもらいたい」
と考え、そのためにアクセクやったり、工夫をひねり出したりしていく方が、ずっとHAPPYな仕事生活を送れるだろう。
そして結果的に「できることが増えている」とか「一つ上の目線でモノを考えている」という状態になっている。
それは、僕の定義だと、「成長した」ということだ。
言ってみれば
「目の前の取り組みを一番一番取るだけです」
というお相撲さんメソッドであり、工夫も何もない。
だが、自分にフォーカスを当てすぎることの弊害や、なぜ自分ができないんだろうか?と悶々と考える弊害からは逃れられる。
それらを排除して、一生懸命仕事に貢献していた結果、どの程度のスピードで成長出来るかは分からない。人によるのだろう。
だがそこから先の成長スピードは「自分でコントロール出来ないこと」であり、思い悩むのをやめたほうがいいのではないだろうか。
自分の成長意欲をいったん脇に置いたほうがうまくいく。
厳正な人事評価を気にし過ぎないのもいいと思う。
以上、厳正な人事評価についてのネガティブな側面を書いたが、自分たちの会社で今の人事評価制度を廃止したほうがいいかというと、そう簡単な話ではない。上にもサラリと書いたように、メリットもかなり大きいからだ。
恐らく、今日ここに書いたような成長を阻害する要素については意識しながら避けつつ、制度は制度として運用していくしかないのだろう。