あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

過剰チェックの悪循環からいい加減脱出しませんか、あるいは思考停止の罠

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★1つミスが起こると1つチェックリストが作られる
SEとしてシステム開発にいそしんでいた頃、何かミスが起こると対策会議が必ず開かれていた。マジメな会社だったので。ミスの種類は色々で、本番システムを止めてしまったとか、計算が間違ってしまったので数字の修正が大変だったとか。

対策会議なので、毎回なんらかの対策を講じなければならない。課題への対策を考えだすのは本来、とてもクリエイティブな仕事である。だって、誰もが思いつくような対策があるならば、とっくに実行されているはずだから。
でもキラキラしたひらめきが毎回あるわけはなく、大抵何らかのチェックリストを作ろう、ということが決まって対策会議がお開きになった。
不幸な誰かにそれを作る仕事が押し付けられる。

★過剰チェック施策の悪循環
僕が言うまでもなく、チェックリストは非常に有効なツールである。僕らの会社ではプロジェクトの方法論を大事にしているが、方法論のかなりの部分はToDoリストやチェックリストが占める。「こうやるとうまくいくよ」を一般化して、みんなで従うことで、プロジェクトという難しい仕事を一部の天才でなくても成功できるようにしているのだから。

だが、「ミスが起こるたびに、誰かに対策を説明しないといけないから、新たなチェックリストを作る」ということを繰り返していると、悪循環に陥る。

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振り出しに戻る。
こういった状況はもちろん、冒頭に挙げたシステム開発だけでなく、仕事のあらゆる現場で起きている。
こういったミスの撲滅が業務改革プロジェクトでクローズアップされることも多い。

★形式主義が招く思考停止
チェックの義務化をどんどん進めると、上記のように普通はサボタージュに至るのだが、すごくマジメな人々で組織が構成されている場合、またはガチガチに規則で決まっている場合、そのとおりに実行される。
だが、これはこれで問題は残る。チェックの義務化はどうしても「○○チェックリストの全ての項目が○か?」など、形式要件を求めることになる。そして日々大量の形式要件に従っていると人は思考停止に陥る。
「このリストを埋めればいいんでしょ」と。

いや違うんだ。大事なのはミスを防ぐことなんだ。プロジェクトをうまくやり遂げることなんだ。リストに○をつけるのはそのための手段にすぎないんだ、という正論は、日々強制的にチェックリストに○を付けさせられている人々には届かない。

プロジェクトは、初めてのことを、初めてのやり方でやる仕事である。だから不確実性が高い。つまり、予期しないことがしょっちゅう起きる。
予期しないことが起きた時、それを解決するためには自分のあたまで考えるしかない。求められるのは、思考停止とは真逆のマインドなのだ。
形式要件を守ることを強要され、思考停止に陥ったチームが成功に導けるほど、プロジェクトは簡単ではない。
プロジェクトではない、定常業務でも思考停止の弊害は大きい。事情が変わって、そのチェックが有効でなくなったとしても、何年もチェック作業だけが残ったりするからだ。

★多重チェックが総無責任体制へ
「一人でミスを防げないのだったら、多くの人がチェックすれば良い」という考えは、間違いではないはずだ。だが、それがあまりに形式化され、チェックを担当する人が増えていくと、「俺がマジメに見なくても」と勝手に思う人が増えていく。

改めて調べると、何人もが時間をかけている割には、本質的なチェックは誰もやっていない、ということもよくある。
「会社としてGoなのかNotGoなのかの判断、つまり承認行為」を本来するべき管理職が、形式チェックしかしていない(できていない)ケースなどだ。不幸にして畑違いの部門の管理職になった方は、形式チェックも出来ないので、ひたすら盲目的にハンコを押していたり。社内有識者を招いての提案リスク検討会のはずが、誤字脱字指摘大会だったこともあった。

ここで真の問題は、無駄が多いとか効率が悪いとかではなく、「会社としての承認は、結局誰もやっていない」ということだ。
内部統制どころではない。

★対策は?
ミスを起こす人は起こす。起こさない人は起こさないものだ。そして組織で責任ある立場にいる人は、起こさない側であることが多い(だから出世したのだ)。そういう人は「俺はミスしなかった。だから俺みたいにスキルがあれば、問題は解決するのだ」と言い出す。
でも、問題を個人個人に押し付けても、組織としてミスが多い、という問題は解決しない。

僕自身は自分が「ミスする側の人間」だとハッキリ自覚している。だから個人に委ねる以外の方法も考え、提案する。
今まで人間がやっていることをシステムにやらせるのは、もちろん有力な方法だ。機械(システム)はうっかりミスはしないからだ(バグはあるけど)。
ベリファイ(複数の人が同じ作業をやって結果を比べる)も、人件費が安い海外にオフショアすることで現実的な選択肢になってきた。

そして一番大事だと思っているのは、形式チェックと承認を分けることだ。
人間の注意力は有限な資源だと僕は考えている。だから「形式要件を満たしているかもチェックせよ。その上で、会社としての高度な意思決定もせよ」というのを全ての管理職に求めるのは無理がある。
だから形式要件のチェックをシステムなり担当者なりに事前にやってもらい、高度な意思決定に集中してもらう環境を、業務プロセス設計で整える。同時に、無意味に同じようなチェックを繰り返すようなことがあれば、廃止していく。
こういった役割の整理・統廃合(チェックのリストラ)をすることで、効率化とミスの減少を同時に達成できることが多い。
(高度な意思決定の質が上がるかどうかまでは保証できないのだが・・)

まとめ
チェックを過剰に増やしていくと、逆に管理レベルが下がるケースがある。チェックのリストラも有効。
今日はここまで。

※事務仕事のミスについては、「「事務ミス」をナメるな!」という本がとても良いです。様々な分野の例が多く、読みやすい。

Comment(1)

コメント

白川さん

この記事を読んで感じた感想をニュートラルな立場で残させていただきます。別にどの会社でやってもいいのですが、過去にグラウンドルールの原稿をロールとして書いた人間としては「誤字・脱字を伝われば不問、原則スピード重視」という一行を追加して通せるだけの

・コミュニケーション能力、
・組織において足場を築く必要もない何か
・どの銀行でも共通で使える口座に入れられる信頼残高

が自分には必要だと感じました。どれも例え話に近いので詳細な説明はあえて省かせていただきます。

※もちろん「一事が万事」という言葉の意味を理解できていることは最前提。

■免責事項
・上記文章については、表現を精査する時間を省いてしまっているため、読んで気分を害された方がおられましたらご容赦ください。
・上記URLの先はFBページでかつ、所属企業を見ると白川氏と所属企業が同一となっていますが、メディアの特性を加味しあくまで一個人としての意見を書かせていただいています。そのためケンブリッジ・テクノロジー・パートナーズ社の公式見解との同一性は全くない意見としてお読みいただけると幸いです。

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