農耕と狩猟の違いとビジネス
「農耕民族と狩猟民族を比較して、どちらが先進的だと思う?」と尋ねると、意外と多くの人が「狩猟」と答える気がします。狩りに使う銃などの道具をイメージするからかも知れません。しかし、人類の発展の過程においては農耕民族が繁栄してきたのです。
狩猟での生活は安定的な収穫が難しく、獲物を探して移り歩く必要もあります。農耕ではある程度安定的な収穫が見込め、定住もできるようになり、植物のみでなく動物も家畜化して得ることができるようになりました。さらに、余ったものを蓄えることができるようになったので、食物に関係ない仕事をする人が存在できるようになり、文明が発展してきたのです。
このあたりは、「銃・病原菌・鉄」という本に分かりやすく書かれています。この本では農耕と狩猟の話題以外にも、人類の選択が何によって行われてきたかなどがたくさん説明されています。
ところで、農耕と狩猟の差は自分たちの仕事にも当てはまることが多いと感じています。「行き当たりばったりで請け負い仕事を探し歩く」のか「成果が出る仕組みを作り、計画的に稼ぐ」のかという感じです。
どの仕事の分野でも同じような感じだと思うのですが、私が直接関与しているソフトウェア関連の仕事で考えてみましょう。
私は自分でイメージしやすいように、ソフトウェア関連の仕事を「請負」と「製品・サービス」に分けて考えています。当社ではどちらも行っていますので、身をもって経験しています。
「請負」の方が安定志向というイメージがあるかもしれませんが、私は逆だと感じています。請負仕事はお客さんが主導権を持っています。「開発するかどうか」「どこに依頼するか」「予算はいくらか」など、仕事そのもので自分たちがコントロールできない部分が多いのです。仕事が受注できれば、完了・集金までイメージできますが、受注できるかどうかが狩猟的な感じがします。実際は営業力などで安定的な受注をして安定的な経営をしている会社もたくさんあるのだと思いますが、私自身は請負仕事を中心に稼いでいた頃は半期ごとに胃が痛くなる感じでした。
「製品・サービス」は当たらないと労力が無駄になるため、博打的というイメージを持つかも知れませんが、自分たちの力と世の中で困っていることを照らし合わせて、必要とされるものを適切な価格で供給できる仕組みを作り出せば、あとはある程度安定的に結果が出続けます。もちろん、放置していては廃れることでしょうけれど、自分たちが仕組みの中心にいれば、次に何をすべきかも見えるものです。私の会社ではここ数年、製品開発販売事業に力を入れてきましたが、実際に「IntraGuardianシリーズ」「ProDHCPシリーズ」などを中心に、安定的な成果があり、胃が痛くなることは減りました。私のイメージではこちらが「農耕的」なのです。
受託開発を中心にしていた頃は、蓄積が難しいことが悩みでした。ある案件で必死にその分野の知識を得ても、案件が終わるとまた次の案件を探す必要がありますし、前の知識が活かせないことも多かったものです。もちろん、継続的な案件もありますが、案件自体を自分たちがコントロールすることは、完全にはできないものがほとんどだったと思います。私の場合はネットワークプログラミングが好きでしたので、その点をアピールし続けてネットワーク関連の仕事をできるだけ集めていましたが、それでも苦労して作ったものが継続的に何かを生み出し続けるという面は少なかったのでした。それに成果物は自分たちのものではなくお客さんのものです。
製品やサービスは自分たちのノウハウの蓄積ができます。苦労して作ったものが収入の元になり続けてくれます。こちらのほうがはるかに農耕的だと感じています。
それでも、多くのソフトハウスが請負仕事を中心にしているのは、「仕事さえ獲得できれば収入まである程度確実になる」という点からだと思います。製品・サービスは先行投資型で、開発が完了しても売れるとは限りません。しかし、「仕事さえ獲得できれば」というのは、「獲物さえ見つけられれば」という狩猟的な考えだと思いますし、「売れる仕組みを作る」というのは、「種をまいて育てて収穫する」という農耕的な考えだと私はイメージしています。私が実際に両方やってみて、胃が痛くならなかったのは「農耕的」なビジネスでした。人によって向き不向きはあると思いますが・・・。