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プログラミングでメシが食えるか!?

怒鳴るとたくさんのものを失うもの

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私はメンバーや子供を指導するときに心がけていることがあります。「怒鳴らない」ことです。

そもそも怒鳴って良いことってあるのでしょうか?

怒鳴ることのデメリットならたくさん思い浮かびます。
・怒鳴られた人が萎縮する
・怒鳴られたくないからごまかすようになる
・そのうち怒鳴られることになれてしまう
・当人以外も不愉快な気分になる
・怒鳴った本人も疲れる
・ついでに何か壊れる
まだまだ汚い言葉がたくさん出てきそうですが、こんな感じに、冷静に考えればデメリットはたくさんあるのです。

怒鳴られて、心から感謝する人などまずいません。大抵は反感が生まれるものですし、怖がって隠すような行動に出ることも多いものです。仕事でそうなってしまってはとても困りますし、子育てでも親の目を盗むようになっては困ります。

当人同士はともかくとしても、私がもっと嫌なのは、怒鳴っている現場の側にいることです。他人が怒鳴られているのを見て気分が良くなる人などいないでしょう。ついでに暗い気分にさせられたり、ムカムカしたりするものです。大勢がいる前で怒鳴り散らすのは、自分が思っている以上に多くのものを一気に失うと考えておくべきでしょう。

怒鳴ることが相手にとって効果的なのは、「たるんでいる」ときくらいでしょう。スポーツなどでは効果的なこともあるかもしれません。

むしろ、相手のために怒鳴っているというより、怒鳴る側がストレス発散していたり、自分を誇示しているだけという感じもあります。

それでもなぜ怒鳴ってしまうのでしょうか?

以前、「相手に腹が立たないようになる方法」という記事を書きました。基本的には同じことだと思います。相手に過剰な期待をするから頭にくるのです。「自分の考えている通りにいったら儲けもの」くらいに考えておけば良いのです。

家族はともかく、職場などではそもそも赤の他人が集まっているわけです。自分の思い通りにことが進む方がおかしいくらいなものです。思い通りに進めたければ、思い通りに進むためにきめ細かな指示を出して、常に状況を監視し続けるくらいのことをしなければそもそも無理というくらいでしょう。少しでもプラス方向の行動をしてくれているだけでも「ありがたい」ものだと考えれば良いのです。

相手がうまいこと動いてくれなくて怒鳴りたくなったら、自分の指揮管理・意思疎通が足りなかったのが原因だろうと考えるべきです。自分を自分で変えることは簡単ですが、他人が他人を変えることはまず無理です。怒鳴って相手が変わることなどまずないどころか、萎縮して何も報告してこなくなったり、あるいは反感を持たれて適当な仕事をするようになるようなものでしょう。

そんなやり方で仕事になるのか!?と思うかもしれませんが、私は、「怒鳴り散らして萎縮した組織よりは、居心地が良い組織の方が間違いなく良い方向に向かう」と思っています。もちろん、方向性に関する意思疎通などは大切ですが、押さえつけたところで何も良いことにはつながりません。

まあ、仙人になるような内容かも知れません。偉そうなことを書く私自身もたまには怒鳴ってしまいます。が、当社メンバーに「私に怒鳴られた記憶は?」と聞いてもらえば、おそらく「ない」または「1回くらい・・・」という回答が得られるでしょう。それでも当社は業績好調ですから、少なくともこの考えは外れではない、と思っています。裏を返せば、私が怒鳴らなくても出来の良いメンバー達が自分たちで良くしてくれているから、なのかもしれませんが、それはますます良いことですから。

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