節句は何のためにあるのか
ITの世界では「ソリューション」という、しっかり定義できない曖昧なものにつける便利な言葉があるが、家庭では「節句」という正月やお盆のような宗教的な意味合いもなく、合理的な必要性もないイベントがある。
日本では奇数は縁起がいい数字とされているようで、七五三と同じように節句も1月1日(正月)、3月3日(桃の節句、ひな祭り)、5月5日(たんごの節句、子供の日)、7月7日(七夕の節句)、9月9日(菊の節句)と奇数の数字が揃った日に行われる。ちなみに、奇数で一番大きい数の9が最も良い数字で、11月11日は1月1日と被る形になり、特に節句はないらしい。
その節句の中でも、もっとも大変なのが、3月3日だ。1年に一回、たった10日程度のために、8段の台を組み上げ、人形に帽子、装飾をほどこして、半日をかけて準備する。 設置にはかなりの場所が必要で、日のあたる場所は駄目、窓がないところは駄目、北向きはだめ、と何かと決まりが多い。
保管も大変で、分解された8段分の台、人形、装飾品など、一人ではかかえられないような大きな箱3個分の場所を、ほぼ1年中、マンションの限られた収納に確保しておかなっくてはならないのだ。
また、節句の時期になるといつも腑に落ちないのが3月3日などという日だ。 昔は旧暦だったから季節の変わり目の4月だったと言われると何だか間違った日にやっているような気になってくる。
今年は忙しいから出さなくていいんじゃないかと妻は言ってくれたが、1年間、押入れの奥でこの日を待っている人形たちのことを考えると、あまりにも不憫で2日間だけでもと思い今回も出した。
しかし、出してみるとなかなかいいものである。 ちゃんと食事を作っている限り母と子の絆は切れない、と言われるのと同じように、こういう大変な作業はお父さんの腕の見せ所だ。 子供達がいない間にすばやく組み上げておくと、帰ってくるなり、「やっぱり、いいよねー。雛人形」などと言いながら、娘たちは携帯電話のカメラ(シャメと言うのだそうだ)でカシャカシャ(と音はしないが)と写しまくり、しばし眺めている。 夕食の話題はもちろん雛人形だ。
また、家庭は学校や会社のような区切りが少ないが、2ヶ月毎に何らかの節目があるというのは、生活のリズムという意味では大きな意味があるのかもしれない。 「文化とは非合理的なもの」と司馬遼太郎先生は言っていたが、クリスマスやバレンタインディと同様、元々の目的とは関係なくとも、生活のリズム、節目としてこういったものをうまく利用していくのも日本の良き文化なのだろう。
さて、明日は早く帰って、綺麗に埃を払って収納しよう。1年後を楽しみに。