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「父は忘れる」~ リーダーと親の心得

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 高名な指導者も成功して大きな権力を手に入れると、人が変ったかのように横暴で無慈悲な暴君になってしまうことを歴史が証明している。これは人間として避けられないことなのかもしれない。 現場での経験が少ない状態(年齢に関わらず)で管理職になったものにも多く見られる。

 ましてや、リーダーとしての様々な挫折を経験していない私たちが、急に権力を与えられていると暴君となってしまうことだろう。 その一番身近な例が親としての子供への対応であり、その痛ましい例が「子供や妻への暴力」「幼児虐待」だ。

 結婚し、子供が出来た瞬間から子供に対して「しつけ」「教育」「君(子供)のため」の名のもとに、相手の気持ちを無視した「指示」「怒鳴る」「暴言」「いじめ」が行われるようになることがある。

 自分のものであるはずの子供が、反発しはじめると「教育」と言う名目で、そのイライラを「暴力」という形で解消し始めるのだ。

 「いくら言ってもわからない」「殴らなくてはわからない」と言いながら、いくら言っても殴っても解決しないという事実に気づかずエスカレートしていく。

 正直に告白すると、私も愛する娘たちが小学校低学年だったころに、この状態に陥ったことがある。転職時のストレスも重なったのかもしれない。

 頭に来て長女を玄関から外に放り出したが、悠然と玄関を開けて戻ってくる長女を見て、さらに腹が立ち、もう一度放り出して玄関を閉めた。 息子が幼稚園の時にも同じようなことがあった。 そのとき息子は5階の通路から一輪車に足をかけ壁によじ登り、自分の部屋の前のバルコニーに飛び降りた。一歩間違えれば転落死だと、また怒った。

 そんなことが繰り返される中で、立ち読みした本の一節で自分の未熟さを知った。 この一節に惹かれて、すぐに本を買い、一気に読んだ。そして、子供や人との付き合い方が大きく変った。 知っている人も多いだろうが若いお父さんと、新米マネージャーのために紹介しておこう。

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父は忘れる (リビィングストン・ラーネッド)

 坊や、きいておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。

 今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念に迫られた。罪の意識にさいなまれてお前のそばにやって来たのだ。

 お父さんは考えた。これまで私はお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。

 お前が学校に行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。

 靴を磨かないからと言って、叱りつけた。

 また、持ち物を床の上にほうり投げたといっては、どなりつけた。

 今朝も食事中に小言をいった。食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターを付けすぎるとかいって、叱りつけた。

 それから、お前は遊びに、お父さんは停車場へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、お前は振り返って手を振りながら、「お父さん、行ってらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。

 同じようなことがまた夕方に繰り返された。

 わたしは帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。お父さんはお前を家に追いかえし、友達の前で恥をかかせた。「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ。」― これが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない!

 それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。うるさそうにわたしが目を上げると、お前は、入り口のところで、ためらった。「何の用だ」とわたしが怒鳴ると、お前は何も言わずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。両の手を私の首に巻き付けて、私に接吻した。

 お前の小さな両腕には、神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。

 ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然何ともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。

 何という習慣にお父さんは、取り付かれていたのだろう!

叱ってばかりいる習慣―まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう! 決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。

 お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。お前の優しい心根は、ちょうど、山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。お前がこのお父さんに飛びつき、お休みの接吻をした時、そのことが、お父さんにはっきりわかった。

 ほかのことは問題ではない。お父さんは、お前にわびたくて、こうしてひざまずいているのだ。

 お父さんとしては、これが、お前に対するせめてものつぐないだ。昼間こういうことを話しても、お前には分かるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。お前と仲良しになって、一緒に喜んだり悲しんだりしよう。小言をいいたくなったら舌をかもう。そして、お前がまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。

 お父さんはお前を一人前の人間と見なしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。

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 あるレストランチェーンの社長が、こんなことを言っていた。

「強い立場の人間が、”怒る”ということは、もっとも楽で安易な逃げだ。 そこにはアイディアも知識も努力もない。殴る叱るは、考えに考えた1年に一回で十分

 上司、部下の関係でも、親子関係でも同じだろう。

「本読んでー!」「抱っこして」「風呂入ろう」「トランプしよう」「ポケモンフェスタ連れて行って」「寝るまで尻とりしてー」「カード買って」「ガチャガチャやらせて」、、、

 週末の時間を有効に使いたい私にはとって、内心とても面倒であり、週末に仕事を持ち越してしまった忙しいときなどは本気で腹が立つ。 この本を読む前の私なら、何か理由をつけて逃げるか、怒っていただろう。 しかし、私は変った。

 3人の子供達に順番にベットで本を読み書かせ、その後、寝るまで尻とり、次女などは小学校6年生までは、家でも外でもおんぶに抱っこ、週末は必ず一緒に風呂に入って様々な話をした。

 何か買ってといわれれば「よし、買ってやろう。 テスト100点を10枚集めたらお父さんのところに持っておいで、それと引き換えだ」「次のサッカーの試合で、ゴールを決めたら、そのお祝いで買ってあげよう」と、頑張ればいいことがあるという成功体験に置き換える会話が出来る余裕も出来た。

 とはいえ、小学生の男の子ともなると怒りどころ満載で、先週も妻から

「勝手に触るな」「早く食べろ」「片付けろ」「自分だけご飯食べて、金魚になぜ餌やらない」「花に水をあげろ」「走るな(マンションなので)」「早く寝ろ」「早く起きろ」「先月分のチャレンジまだやってないのか」「宿題やれ」「連絡帳出せ」「新聞のテレビ欄にマークしていないのにテレビ見るな」「アイスは風呂から出てから」「鼻くそほじるな」「ちんちんかくな」、、、、

などと、言ったとおりにやらない息子に、朝から晩まで怒鳴っている状態である。 今は、この本にならい、妻が怒らずに子供を躾けようとするにはどうすればいいか、息子が上記を自らやろうとする良い習慣を見につけるにはどうしたらいいかを研究している。

「人を動かしたければ、人が動きたくなるようにする」と言うのは簡単だが、永遠の課題である。 しかし、それに向けて努力することが大切なのだろう。

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