「他人の意見で自分を変えることは、しない」の難しさ
昨年だっただろうか、ある地元の飲み会の席で「小泉が首相をやってちゃだめだ。国民の人気があるだけじゃ駄目なんだ。一国の首相が郵政だけでいいのか。弱者切捨てじゃないか。」という会話が繰り広げられていた。 テレビでも様々な理由で小泉批判があがっていた。(一度もちあげて、落とすのがテレビの仕事だろうが、、)私もイラク問題に関しては、彼の方針に反対であったが、小泉さんという人間は好きで、また、私には出来ないことが出来る人、という意味で尊敬していた。
まず、どこが好きだったかというと「情熱」と「わかりやすさ」である。
責任と情熱を持って、それを恥ずかしげも無く公然と表現する。 そこが好きだった。 情熱があるから、私のような政治に疎い人間も「考えてみよう」と思い、自分なりの意見を持つことが出来た。 私以上に政治も歴史も知らない妻でさえも、テレビを見ながら意見を言っていたほどだ。
そして、どこを尊敬していたかというと「一貫した変らぬ信念と発言」である。
私のような八方美人のものにはできない。 あそこまで非難したら、だらだらと反論したくなるし、また、どちらからも非難を受けない方法(あまり効果のない方法)に方針転換してしまうだろう。 小泉さんの姿勢を「鈍感力」と言ってしまえばそれまでだが、良し悪しは別として一貫して変らないことの強さと魅力を感じるのだ。
正しいかどうかは別として(多分、正しいかどうかは誰にもわからない)、自分が重要と思い続けてきたことに注力して、それをやりとおす。 これが私には出来ない。
表面上は別としても、内心は様々な意見の中で右往左往していて、自分でも気がつかないうちに一貫性のない方針や意見を出してしまうのだ。
しかし、難しいのは、どんな意見を取り入れて、どんな意見を無視するのかだ。マキュアベリもカーネギーも「悪意のある非難には耳を貸さず、正しい意見だけを受け入れる」ように言っているが、何が正しく、何が悪意のある非難なのかの判断が難しいのである。
表題の
「他人の意見で自分を変えることは、しない」
はイチローの言葉である。 バッティングフォームが普通と違うと言われたり、メジャーに言ってからも、打つだけでなくチーム全体として考える(監督への選手起用や新しい選手の獲得の提言など)立場にいるのがわかっていない、などと言われていたようだが、「自分のバッティングを極め、バッティングでチームと野球界に貢献する」という姿勢を崩していない。
良き経営者、リーダー、マネージャーにおいては、「情熱」と「わかりやすさ」そして「私利私欲ではない,変らない信念」が大切であり、人を動かすのではないだろうか。