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卒業式で学んだ「良識と常識」~堀江被告 実刑判決と経営者像 3

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 参加するつもりもなかったが、突然、妻がヨン様を追いかけて韓国旅行に行くことになったため、休暇をとって次女(中学)の卒業式に参加してきた。 この学校は制服も校則もなく「良識と常識」を方針としている。

 最初から最後まで感動の涙の卒業式だった。 私の時などは、先生や下級生への言葉も用意された形式的なものだったが、彼ら、彼女らは、挫折して親にわがままを言った事や体育祭や合唱大会でクラスがまとまらなかった時など、

自分の体験と、それに対して両親や先生、下級生が助けてくれたことを涙ぐみながら感謝の言葉として語っていた。 その純粋さとわが子の成長に驚き、みんなの心をうった。

 卒業生の言葉に「この学校は校則も制服もないが、無いからこそ、常識と良識を持ち、私たちはこうあるべきだということを、それぞれが考え、お互いの考えをぶつけ合ってきた。 高校の面接では”校則や制服はないが、だからこそ、、”と胸を張って語れた、、、、」という言葉があった。(あまり正確に覚えていないが、、) なんとも考えさせられる言葉ではないか。 そういえば、全員、いつも私服なのに、華美な格好の子もいなかったし、大きな問題も起きていない。 体育祭や合唱大会も活発で、勝ち負けで涙していた。

 見方を変えれば、しっかりとした教育者とそれを応援するコミュニティがあれば、子供たちは感動あふれる充実した学校生活がおくれ、社会への責任を果たせる子供に育っていくのだろう。

 ビジネスの世界や会社で規則が無いというのは考えられないが、「規則が無くても常識と良識で」を子供たちに教えられるとは、なんとも情けないものだ。

 私事を長々と書かせていただいたが、堀江さんの話に戻すと、裁判の結果がどうであれ、私には堀江さんの行ってきたことが、法律や規則を破った明確な事実を見つけられなかった。 しかし、世の多くの方(特に年配者)の「良識と常識」から外れていたのは確かだろう。 現在の、世間一般の良識や常識は正しい、正しくないではない。 しかし、人を説得し動かすときに、相手の良識や常識を変えるほどの感動か、説得力のある哲学が必要なのではないかと思う。

 卒業式が終わった直後、常識を破る出来事があった。 卒業生退場のタイミングで、卒業生全員が一斉に後ろを向き「卒業式は終わりましたが、、、在校生、先生、両親への感謝の気持ちを込めて、みんなで歌います」と一人が言い、涙をこらえながらの大合唱があった。 こういったものが、この学校の新しい常識になっていくのだろう。

 参考:卒業式後の校長先生の言葉

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