プログラマ35歳定年説?
プログラマは35歳になったらもうお終いっとまだ思っている人はいる。この本当の意味も知らない人が多い。
そんな訳で体を張って証明することにしました。
先ず最大の間違えは、35歳よりも上の人の方が20台の人よりも劣れているっと言うことだ。今回は体力的にこの考えが間違っていることを証明するために、箱根と富士山を登ることにした。
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8月14日には日帰りで御殿場駅から富士山を登って来た。7月10日は鎌倉から自転車で箱根へ行き、外輪山を登って来た。
残念なことに、普通の20台の人にはこれは無理だと思う。自分で言うのも変ですが、ここまでするには、ただ体力の有無だけではなく、達成するための精神力がなければいけない。そのためには日常の生活が重要になる。
同じように複数の海外のオープンソースプロジェクトに参加しているが、残念なことにこれも普通の20台の人には無理である。ただコミュニティに参加して少しでも書込みをするように伝えてもできない人が多い。これでは交流ができない。自分でプログラムのソースコードを見ているだけでは、毎日のように更新されるソースコードを追いかけることができない。相手と連絡してどのようにプロジェクトを進めるのか事前に確認する必要がある。
結果的には、数時間で出来ることを数ヶ月も掛けてしまっている。そんなに時間を掛けてしまっているのと、正しく理解していないので、品質も今一である。ただ動く程度のプログラムである。歳を取ると、若いころのように勝手ができなくなってくることは確かである。
よく、日本では死んだら皆が仏になれると言うように、コンピュータを少しでもいじれたら日本ではプログラマにもなれる。メージャにキャッチボールぐらいしか出来ない人が混じるのと同じようである。市販の本を読んで覚えた程度でもまだ「プロ」としてもまだ足りない。将棋の本を読んで、指す事ができるからっと言って、自分は将棋のプロだと名乗る人はいないと思う。
プログラムを書けるかは、免許書ではない。出来るか、できないかである。できない人は一生掛かっても出来ない。その理由は、本当の「プロ」としての意識がまったくないからである。