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研究で、はたして情報産業に影響を与えることが出来るのか?

アラン・ケイのすさまじいまでの自信

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これを読んで、すさまじいまでの自信だ。と思いました。

言うまでも無く、Alan Kayは、アカデミックな世界の研究者で、オブジェクト指向が世の中に大きなインパクトを与えたことはいうまでもありません。だからこそ言えるこの台詞。「新世代の技術者は、なぜ自分たちの論文の内容を実現しないのかと?」まったく、原文で読んでみたい所です。

Alan Kayの言うことに、まったくもって賛成したいところなんですが、私は、彼の主張に対して強く疑問を感じてしまったことは否めません。

研究者は、今後数十年のあらゆる可能性を、すでに研究済みであるとは私も認めます。しかし、研究者は、その仕事のうち、どんなものにニーズがあるのか、世の中を変えることが出来るのかを証明してくれてはいません。

計算機関係の国際会議で、非常に著名なもの(Impact Factorが高いもの)だけを対象とするとしましょう。少なく数えても、10程度の国際会議があります。大体その一つの会議で、数十本の論文が選定されます。したがって、一年で数百本が評価の高い論文として発表されるわけです。このなかから、そのアイデアを評価し、実際に実行に移してみろということになります。

(後のエントリーで詳しく書こうと思いますが、一流といわれている国際会議でも、論文の査読はひどい場合があったりします。大体同じ研究者が評価しているものなので、世の中に対する価値という観点での評価は怪しいところもありますし...)

しかし、私が思うに、正直なところ、このようなトップクラスの国際会議でも、世の中を変えることが出来る論文はほんのわずかだというのが実感です。さらに、アイデアだけでは世の中を変えることは出来ず、そのアイデアを実行に移すには、時間も費用もそれなりにかかります。つまりはリスクを伴うということです。良いアイデアであっても、時機を逸して、失敗したプロジェクトは山のようにあることはいうまでもありません。研究者で無い人が、そのリスクをとって実行しなくてはならないわけです。

それでも、そのアイデアが本当に全く誰にも簡単に思いつかなくて、論文を読めば、確実に儲かる宝の山となれば、みんながそれを読むことになるでしょう。しかし、論文の価値は、 実際に価値を評価して実行する際のコスト、プラス、論文にアクセスするためのコストに比べると小さいから、残念ながら、ほとんどの人は読まない。

Alan Kayは、現在の人々にとって論文にアクセスするためのコストが大きいと見積もっているようですが、はたしてどうなのでしょうか?

しかし、多くの人々が科学的リテラシーを持っていないカエルだから、研究者の成果が世の中に広まらないと言い切れるAlan Kayは、やっぱりすごい人間だと感服します。

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