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デジタルとアナログの間を行ったり来たり

表情を考える

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 少し時間がたってしまったのですが、永井孝尚さんのMM21「人の心を読むコンピュータ(その2) 表情で心が読めるか?」は興味深く読んでおりました(ということでトラックバックいたします)。

 ブログや関連記事ではコンピュータが人間の表情を読むことを当初の主旨としているが、筆者としては普段の人間同士のコミュニケーションにおける表情読解を考えてしまう。日常会話や(人にインタビューするという)仕事において、相手がどう思っているか、何を伝えたいか、逆に伝えたくないかを的確に知りたいと思う。それは興味本位ではなく、意思疎通の正確性を期すために。

 仕草の共通解釈は難しいというくだりを読んで、はたと気付いた。仕草もまた表情の一部ではあるが、限りなく言葉に近いものだと。誰かがやっているのを見て、覚えて、仲間うちで同じことをする、つまり学習したものであり意図的に伝えようとするものなのだなと。

 ということは、コミュニケーションでは役に立つが本当の気持ちを伝えているとは限らないとあらかじめ認識しておいたほうがよさそうだ。ただ仕草が板についていないと演技だとばれてしまうこともあるが。

 こういうことを考えてしまうのも最近「顔は口ほどに嘘をつく」という本を読んでいるからかもしれない。そこには感情表現が万国共通という調査もある。ただし仕草のような言語的な表情ではなく、より本質的にわき上がってくる表情のことのようだ。緊張すると血流がどうなるか、安心すると呼吸がどうなるか、興味を示す対象に対して目はどう動くかなど、より生理的な動きから作られる表情だ。同じヒトである限り共通する表情もあるということなのだろう。

 あと表情や仕草というのは本来なら相手に伝えるために身につけたものではあるが、人間社会が複雑だと伝えると不利なこともある。(なかには情緒が特異な動きをしたり、表情を表現する機能に問題がある人もいるが、)そこでポーカーフェースを装う人もいる。

 無表情だったりポーカーフェースでも瞬間的に表情が動く時もあれば、部分的な表情が心境のヒントになる時もある。むっつりしていても瞬間的に好意的な笑顔を見せることもあれば、笑顔で愛想を振りまいているようでも眉間にしわが寄っていることもある。

 こうした人間の動きもまた難しいが、興味深い。

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