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できない社員でも生かそうとするとみんなが幸せになれる話

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会社経営をしているあるFB友達がこんなことを書いていました。

会社を始めた頃は、実力のないスタッフなんていらないし、現場出来ない人間に価値はないと思ってました。
しかし今は、その人の特性を何とか生かして、クライアント様に喜んでもらえる仕事を考えたいと思っています。
そんなわたしの姿勢は「ぬるい」「甘い」そうで、今のわたしはダメなんだそうです。
でも、人が人の可能性を信じなくなったら世の中終わりです。厳しい会社でありたいけれど、わたしは最後まで一人の人間の可能性を信じます。

手短に言えば、「いまいち出来の悪い社員でもなんとかその力を活かそうとする考え方」は「経営者として甘い」と言われたけれど「可能性を信じたい」ということですね。

これを読んで僕は「甘いどころか、大事なことだと思います!」と思わずコメントしてしまったのですが、この話は実は人情の問題だけではない合理的な理屈もあります。

まずはこの図を見てみましょう。(クリックで拡大)

indiv-copo-ability.png

仕事というのは「いくつかのワークを連携して行って、顧客に価値を提供するもの」です。それが会社に利益をもたらします。左端の上から下までの流れがこれを表現しています。

ところで、「ワーク」をするためには、社員にその「能力」が必要です。その「社員の能力」は何によって磨かれるのでしょうか?
その答えは「ポテンシャル+トレーニング+記述」の3つの合わせ技です。

ポテンシャルというのは、個人の素質やそれまでに既に身につけている基礎知識・習慣のこと。
トレーニングは教育です。

では「記述」とは何か? これは、ワークを明文化・可視化したものです。「業務マニュアル」はその一部であると思ってください(あくまでも一部ですよ)。
伝統芸能の世界ではこれを「技は見て盗むもんだ!」のように「明文化・可視化しないことを良しとする」考え方がありました。
逆にマスプロダクションの世界では属人性を排除して「誰が担当しても同じことができる」ようにするため、マニュアル化を徹底したうえで「まんべんなく一定のポテンシャルを持った平均点型の人間を好む」傾向があります。マニュアルを遂行できる程度に「どの科目でも平均点が取れれば良い」ので、逆に飛び抜けたものはいらないというわけです。

その結果、何が起きたでしょうか?

現代のビジネス界では、必要な「技」が多様化・高度化・抽象化したため、とても「見て盗める」ようなシロモノではなくなりました。また、業界によっては「平均点型の人間では結局飛び抜けたものができない」ため、競争に勝てない分野が増えつつあります。

「トレーニング」にもノウハウが必要なんですが、そのためにはまず「記述」が必要であり、これが苦手な会社はトレーニングも軽視して「(O)教えるの(J)邪魔くさいから(T)とりあえずやってみて?」と揶揄されるようなトレーニング(もどき)をしていることが多いです。

実のところ、「仕事の出来ない奴はいらない」という価値観の会社は「記述(明文化・可視化)+トレーニング」という「会社の力」の向上を放棄して「ポテンシャル」という個人の力に頼った経営になりがちです。 そんなふうに個人の力に頼った経営は安定しませんね。

いっぽう、「出来の悪い社員でも、なんとか生かそう」と考えるとどうなるか?
この場合、戦略は大まかに2つあります。

1つは、出来ないことが出来るようになるようになってもらうことで、これを教育力向上戦略と呼んでおきます。それには本人の努力もさることながら「記述+トレーニング」という「会社の力」を伸ばす必要が出てきます。

2つめは、出来る部分を担当してもらうようにチームの連携を工夫すること。これをチーム連携戦略と呼ぶことにします。

ここで次の図を見てみましょう。

work-visualization.png

さっきから「記述」と言っている部分、これがいったいどこから来るのかといえば、「顧客に価値を提供するために必要なワーク」というものを「自覚」し、それを言葉(もちろん画像も使いますが)で表現して作るものです。流行の言葉で言えば「仕事の見える化」そのものです。
そうして自覚し明文化したものは「改善」できますし、その改善を1人だけでなく迅速に全社に共有させることができます。それは顧客により良い価値を提供することを可能にし、つまりは会社の利益になるわけです。

さらに「明文化」したものは「連携」しやすくなるので、「チーム連携戦略」をとるためにも「記述(仕事の見える化)」をすることは大事です。

つまり、「出来の悪い社員でも、なんとか生かそう」と考えると、教育力向上かチーム連携のどちらかまたは両方が求められ、それをするには仕事の見える化が必要なので、やむを得ずやってみたら競争力がアップしてみんなで幸せになれるというわけです。

AllHappy.png

うむ、めでたいシナリオですね。
そういうのは「おめでたいシナリオっつーんだよ!」と馬鹿にされそうでもありますが、私の知る範囲でも実際これで成果を出してきた友人知人が何人もいるので、決して絵に描いた餅の話ではありません。

「できない奴はダメ」と切り捨てるか、できることを生かすように可能性を追求するか、あなたはどちらを選びますか?

(ただし、この投稿は終身雇用慣行や法的な解雇規制を支持するものではありません)

(この投稿は、著者の公式サイトからの転載です)

Comment(2)

コメント

hoy

興味深いです。
私は、仕事ができない社員にこの"記述作業"のメンバーに加えるというのが効果的でなはないか、との仮説を持っています。
私もかつて仕事ができない社員で(今は出来るようになった、とは思いませんが)、周りの同僚が3ステップぐらいでこなせる仕事を10ステップぐらいかかっていました。辛い時代でしたが、ある時、仕事に向いていないからこそ逆に一番向いているのではないか、と発想を切り替えました。他の人が3ステップで達成できるという事は、逆に残りの7ステップを意識せずに通り過ぎているのです。
この7ステップは暗黙知化され継承されない可能性が高いです。逆に仕事ができない社員はこの7ステップが見えており、記述することが出来るのではないか、というロジックです。

そう、そうなんですよ。
先日、仕事のマニュアル制作を支援する会社に取材に行ったところ、そこでは「マニュアル制作は新入社員にやらせるのが基本」と言っていました。この場合、新入社員というのは「仕事を覚えていない、できない社員」のことです。できる人は無意識にやってしまっているので「言語化」に向いていない。できないからこそ、できない部分を意識するので言語化に向いているというわけです。

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