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不正をしないよりも、不正を見逃さないほうがはるかに難しい:オリンパス事件によせてその2

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多くの人は「嘘をつかない、不正をしない、盗まない」は倫理にもとることだと共感し、しないように努力していると思う。(まぁ、清廉潔白とはいかないので、100%ではないにしても)

しかしながら、「他人の倫理にもとる行為を黙認しない」ということをどれだけの方が重要だと思い、実行しているのだろうか?

今の日本は私も含め、この感覚が少し欠如しているのだと思う。
いや、感覚が欠如しているというより、黙認しないデメリットを知りすぎて勇気が出ず、他人事にしたいのだと思う。

例えば、万引き。
自分がしないことはもちろんだが、もしその現場を見たとして、やめさせることができるだろうか?通報することが出来るだろうか?

そういう現場に出くわしたことはないが・・・熟考すればするほど、自信はない。

・そんな人を指導できるような立派な人間ではないので、おこがましい
・逆恨みされたら嫌だ
・そういう仕事は警察で私の仕事ではないだろう
・私のしたことで相手に与える負の影響の責任をとれない(もちろん正の影響もあるはずだが)

のような気持ちが、正義を打ち負かしてしまいそうだ。

例えば小学生の時。
クラスで悪ふざけが過ぎる子がいたとして、その悪さを先生に告げる子がいたら、その悪さをする子より、「あの子はチクる」と正義をかざしたはずだった子のほうが非難されるのはよくあることだった。「いじめ」が見逃され、いじめられている子がいじめっ子からだけでなく、クラス全体から孤立するのも同じ構造だろう。

さて「コーポレートガバナンス」。
私はこれを、「倫理にもとる行為を黙認しませんよ」という企業の宣言と解釈している。
だから、いくら形式をとりつくろっても、そう思っていない企業にとってはそもそもファンクションするはずがないのだ。不正がなかった発言をわずか2週間でひっくり返すのには勇気が必要だったとは思うが、「必ずしもウッドフォード氏を社長にしなくても、監査の中でも分かる可能性があったと思います。たまたま早くなった」という社長発言を聞くと、脱力してしまう。

またコーポレートガバナンスは「黙認しない」しくみを作っているだけで、「そもそも経営者が倫理にもとる行為をしない」ことを防止するものでもない。

結局、倫理観はビジネスパーソンの内なる良心からしか生まれないもので、だからこそビジネススクールでethicsのテーマをくどい位勉強するのだなぁと思うようになった。

ちなみにethicsに沿った行動というのは、熟考すればするほど出来ないという興味深い研究結果が出ている。熟考は損得計算を促し、直感は内なる良心に率直な行動を促す。正義は直感を大事にしなければ。

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2011.11.9言うは易し行うは難しの倫理:オリンパス事件によせて

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