ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

池上彰氏でさえも――出版社は「IT校閲」を!

»

ビジネスに強いITライターの森川滋之です。

最初にお断りしておきますが、この投稿は池上彰氏をおとしめる目的で書くものではありません。

僕は池上氏を尊敬すると同時に高く評価しており、その池上氏でさえこんな間違いをしでかすのだから、(ほかの専門分野についてはわからないけれども、こと)ITに関しては、出版社はきちっと専門家に校閲してもらわないといけないという問題提起をしたいのです。

このような問題は池上氏一人の責任に帰すものではありません。本人と池上氏のスタッフはもちろんですが、それに関わる出版社やテレビ局も含めた問題です。

これを書くことで、もしかしたら僕の仕事につながるかもしれないという気持ちがないといえば嘘になります。しかし、書き始めた動機としては、後述するような残念さと、そのような残念な思いをする読者を減らしたいという考えのほうが強いです。

ですので、下に実例として挙げた「間違い」部分のみを引用して、「池上氏は信用できない」というような拡散は絶対にやめてください。

今回は「池上氏だから」書くわけで、たとえば「自分はITに強く、今のIT状況などは10年前に予言していた」というようなことを平気で主張しているようにみえるカリスマコンサルタント氏などは、もっとひどい基礎的な間違いをしているのを見たことがあります。その他、そんな人はたくさんいます。

オルタナティブ・ブログの読者なら、何度もそのような記述を発見したことがあるでしょう。

僕も皆さん同様、そんなのは無視してきました。しかし、池上氏に関しては、「無謬に近いものを目指していただきたい」と考えているので、迷った末に指摘しました(人の間違いを指摘する者は、自分も指摘されることを覚悟しないといけませんので)。

嗤う人もいるでしょうが、僕は「池上彰が間違ったことを言うなら、もう日本のメディアで信用できる人間はいない」と思っているのです。もちろん、彼だって完璧な人間ではないでしょう。講演などでは、うっかり間違いを口にするかもしれません。

しかし、書籍にする前に間違いがないようにチェックしていないのだとすれば、それはやはり怠慢です。それが1つや2つでないから問題視しています。

● 池上彰氏の本を読み漁った11月

僕は正直池上彰氏の熱心な読者ではありませんでした。テレビで見る限り、すごく上手にわかりやすく「プレゼン」ができる方だが、知識は広く浅いのだと思っていました(ITについては浅いと判明しましたが)。

たまたまこの11月の初頭に、出張の移動中の暇つぶしに買った佐藤優氏との共著『大世界史』を読んで、それは勘違いだと知りました。

僕は大学で一応日本史を専攻していたので、少なくとも歴史についてはちゃんと勉強している人かどうかをある程度は判定できます。しっかりした歴史観を持っているし、よくここまでわかりやすく解説できるものだなと思いました。

たとえば池内恵氏の『イスラーム国の衝撃』はかなり歯ごたえのある本だと僕には感じましたが、『大世界史』を読んでから再読するとずっとわかりやすくなります。池上氏の力量を感じます(佐藤氏も。佐藤氏の本もかなり読ませていただきました)。

おかげで現在のわかりにくい世界情勢が多少はわかるようになったので、このことに感激し、11月は時間があれば池上氏の本を読んでいました。

池上氏の本はいろいろな意味で参考になります。複雑な世界情勢を歴史や地理や経済を総合した形で理解する助けになりますし、ライターとしては難しい話をわかりやすく説明するためのノウハウを学ぶこともできます。一挙両得なのです。

池上氏に心酔しきっていたわけですが、最後の最後であんな冷や水を浴びせられるとは思っていませんでした。

● Lecture 7の間違いの数々

12月は忙しいし、そろそろ池上氏の本も一段落しようと思いました。最後に読んでいたのが『池上彰の「経済学」講義 ニュース編』(KADOKAWA)でした。僕が読んだのはKindle版です。

その最後も最後、「Lecture 7 企業の成長と衰退を考える スターバックス、マイクロソフト、アップル、アマゾン」を読んでいて、僕は心底がっかりしたのです。

マイクロソフトとアップルの歴史の部分で、池上氏がしていた事実誤認を下記に列挙します(>のあとは前掲書からの引用で、行をあけてコメントを入れました。/は改行を表しています)。

>30年くらい前のコンピュータは、電源を入れると、いきなりただ真っ黒い画面に光の点滅があるだけだったのです。(位置№ 5323/5962 あたり)

嘘とまでは言いませんが、最初に違和感を感じた部分です。1979年にはPC-8001が発売されていて、電源を入れればベーシックインタプリタが起動しましたから、「30年前くらい」(1985年前後)のコンピュータのイメージとしては違和感があります。

>MS-DOSという、コンピュータを動かす簡単なコンピュータ言語というものをつくり出したのですね。(位置№ 5337/5962 あたり)

すでにこのあたりで「オイオイ」と思い始めました。このぐらいでやめてくれよと祈る思いになりました。

MS-DOSは「コンピュータ言語」ではありません。立派なとは言いませんが、一人前のOSです。直後に「それが発展したものがこちら。OS(オペレーティングシステム)ですね。たとえば、Windowsというのがそのひとつです。」とあるので、池上氏がMS-DOSをOSと認識していないのは明らかです。池上氏のいうOSとはGUIのものなのでしょう。

>電源を入れると、いきなりOSが立ち上がる仕組みになっています。もともとは、こんなものはなかった。自分でコンピュータを動かさなければいけなかった。ところが、このOSができたことによって、誰でもパソコンが扱えるようになったわけなのです。(位置№ 5343/5962 あたり)

間違いというには微妙なところですが、OSに関して間違った認識を持っているため、正しいとは言えない文章になっています。

OSがなくても、PC-8001、8801、あるいはFM7などは「自分でコンピュータを動か」すという感覚ではありませんでしたし、OSがあるからといって「誰でもパソコンが扱える」というのは正しいとは言い切れないでしょう。

ただ、(特に後者は)言いがかりだと言われれば、そうかもしれません。しかし、一度違和感を持ってしまうと、こういう箇所も気になって仕方なくなるわけです。

>IBMはパソコンの分野に進出しますが、パソコンを動かすためのOSをつくることができなかった。(位置№ 5361/5962 あたり)

IBMは汎用機のOSを作っていたんですよ。パソコンのOSが作れないわけがありません。ただ、パソコン分野に進出するために、早期に低コストでという目標があったため、買うことを選んだというのが本当のところです。まあ、体制や社内政治の問題で「できなかった」と言っているんだと言われればそれまですが、読む人はIBMに技術力がなかったように受け取るでしょうね。

>これ自体もマイクロソフトが自ら開発したものではありません。別の会社がMS-DOSというものを開発したことを知ったビル・ゲイツがこれを安く買い取ったのですね。(位置№ 5364/5962 あたり)

正確とはいえません。「シアトル・コンピュータ・プロダクツ社のQDOSを開発者込みで買収しIBM PC用に改修した」(Wikipedia)というのが事実に近いです。僕は、「開発者込み」とは知りませんでした。未完成のQDOSを買って、マイクロソフトがIBM PC用に完成させたといえば、これは事実だと思います。

>インターネットの検索と言えば「ネットスケープ」でした。圧倒的な力を持っていたのですが、いまはネットスケープなんてほとんど聞きませんよね。どうしてなのか?。(位置№ 5395/5962 あたり)

池上氏はブラウザと検索エンジンの区別がついていない節があります。ブラウザを起動すると初期画面が検索画面になっていることが多いからでしょう。

まあ、前後の文脈から判断すると、「池上氏は当初ネットスケープを使っていて、それを使ってよくネットの検索をしていた」と読めなくもありません。なお、「ネットスケープ」はたしかに聞かなくなりましたが、オープンソース化され、今でもFirefoxの中にその血脈は生き残っています。

>四国・徳島のジャストシステムという会社が開発した、ワープロソフト「一太郎」、そして表計算ソフトの「花子」です。(位置№ 5419/5962 あたり)

この投稿をしようと決心した箇所です。ワードとエクセルがワープロと表計算ソフトの組み合わせなので、一太郎と花子もそうだと思ったのでしょう。花子は、グラフィックソフトです。当然エクセルのせいでなくなったわけではありません(そのように解釈している記述が後にあります)。花子の市場シェアがなくなったのは(注)、プレゼンソフトであるパワーポイントの描画機能があまりにもよくできていたからでしょう。

>これは日本語に特化していて、最初から縦書きを考えてつくられたソフトでした。(中略)一太郎は最初から縦書き仕様です。(位置№ 5422/5962 あたり)

微妙だなあ、これは。確かにワードと比べると縦書きでも使いやすいですが、一太郎を使ったことがない読者には、縦書きで使うのがデフォルトだったと誤解されても仕方のない書き方になっています。パソコンのソフトですから、横書きがデフォルトでした。池上氏はたぶん縦書きモードで使っていたのだと思いますが、それは秘書のような方が設定してくれていたのでしょう。

>でも、Windowsのパソコンを買うとワードとエクセルがもれなくついてきます。(位置№ 5434/5962 あたり)

そういうパソコンも多かったですが、ついていないモデルを選ぶことも可能でした。昔はワードやエクセルも高かったですから。

池上氏は、インターネット・エクスプローラーと同じ戦略で、マイクロソフトが安くワードやエクセルをバンドルして普及させ、一太郎ほかのソフトを駆逐したと考えているようですが、事実は違うと思います。インターネット・エクスプローラーはOSの一部だと「ごり押し」したのに対し、ワードやエクセルもそうだとはさすがのマイクロソフトも言っていません。一太郎がワードに負けたのは、Windows対応がいまいちだったからだと僕は思います。

特にワードの中でエクセルの表が使えるといった連携機能(OLE2)が画期的でした。一太郎と花子は、技術的に負けたのです。

>インターネットが発展しましたね。インターネットの発展に対して、マイクロソフトはいささか立ち遅れました。さらにいまはクラウドの時代ですよね。(中略)クラウドという流れの中で、マイクロソフトはいささか苦戦しています。(位置№ 5451/5962 あたり)

GoogleやFacebookのような新しい業態の企業と比較したら「立ち遅れ」たかもしれませんが、Windows 95のおかげであれだけインターネットが身近になったといえますし、その分マイクロソフトもインターネットから利益を得たといえるでしょう。

またクラウドに関しては、この本の基になった講義が2014年時点なので、このような解釈も無理はないかもしれません。ですが、2015年現在のマイクロソフトのクラウド戦略はなかなか見事だといえますし、現在やっていることは、すでに2014年にやっていたことの延長線上です。

>Macintosh(マッキントッシュ)というパソコンです。/最初はそれこそ家のガレージでこのコンピュータを手づくりするところから始めていったのですね。(位置№ 5495/5962 あたり)

ガレージで作っていたのは、AppleⅡまでと記憶しています。Macintoshをガレージで作るのは、ちょっと無理でしょうね。Macはアップルがすでに数億ドルの開発費が使えるようになってから開発されました。

>「iMac(アイマック)」/というコンピュータでした。いまから20年ほど前です。(位置№ 5499/5962 あたり)

うーん。1998年発売なので、講義があった2014年時点では「16年前」ですね。コンピュータの世界は日進月歩なので、4年の違いは大きいなあ。ただ、誤差範囲という人もいると思います。

僕がここを問題視する理由は「30年くらい前のコンピュータは、電源を入れると、いきなりただ真っ黒い画面に光の点滅があるだけだった」と書いたからなんですね。この講義に出席した若い人たちは、たった10年でコンピュータはものすごく進歩したんだなという印象を受けたことでしょう。

いくら日進月歩でも、10年ではそこまで変わりません。若者を惑わしてはいけない。

● 信頼性が大きく損なわれたのは事実

引用とコメントが長くなりました。中には揚げ足取りに近いのもあるかと思います。

しかし、オルタナティブ・ブログの読者なら、「え? こんな間違いをしているの?」という部分があったと思います。そう、ある程度以上のパソコンユーザーには常識的なことばかりですよね?

ですので、大いに気になってしまいましたし、このことによってほかの部分の信頼性が大きく損なわれたのは事実です。

もったいない――これが、僕の偽らざる感想でした。そして、残念さがこみ上げてきました。

なぜ、この程度のことを、KADOKAWAほどの大出版社がチェックしないのだろうか? 文系バリバリの編集者には無理かもしれません。実際にブツを見たことのない若い人にも難しいかも。しかし、専門家にちょっと見てもらえばいいじゃないですか。

専門家までいかなくてもいいです(厳密過ぎるかもしれないし)。ちょっとパソコンに関わったことがある人なら、僕が挙げた箇所ぐらいは「間違いの可能性がありますよ」と指摘してくれるはずです。

本当にもったいない。

おそらく、IT以外でも理系的な専門知識に関しては、間違いが大量にあるものと想像できます。

これは池上氏のみならず、KADOKAWAにそのようなチェック体制がないわけだから、KADOKAWAの本全体にそのような疑惑を持たざるを得ません。ちなみにこの講義を放映していたテレビ東京も、WBSなんかでビジネスマン系の人がIT関連の話をしているときには眉につばをつけて聞くべきでしょう。

この本に関していえば、チェックのタイミングは最低2回ありました。

まず、池上氏が講義の準備を終えたタイミングです。テレビ放映するわけですから、事前に事実誤認がないか確認してもよかったのではないか。池上氏のスタッフやテレビ東京のスタッフは何をしていたんでしょう?

次に本のゲラチェックのタイミングです。結構小規模な出版社でも、執筆に関わっていない外部の会社や人間に客観的にゲラチェックをしてもらっています。KADOKAWAはそれをしていなかったのでしょうか?

もう1つあるとすれば、電子書籍化したタイミングです。まあ、紙の書籍で漏れちゃったことがここで改修できるとは思いませんが、Kindle版になるとIT関係者の読者が増える傾向にあるので、IT関連の記述に関しては注意すべきだと言っておきましょう。

もう一度書きます。僕は「池上彰が間違ったことを言うなら、もう日本のメディアで信用できる人間はいない」と思っているのです。なので、残念で無念で仕方ありませんでした。これは本気で言っていますが、「僕に間違いを指摘される池上彰って・・・・・・」と思いました。

最後にもう一度提案します。タイトル通りですが、出版社はIT関連の校閲を必ずするべきです。結構な有名人たちも、いっぱい間違いをやらかしていますから。

※ちなみにこのLecture 7の参考文献を見たら、IT関係のものは1冊もありませんでした。

※フォローしておくと、このLecture 7はビジネスモデルの話がメインで、IT関係の細かい話は本当はどうでもいいのかもしれません。パソコンのことを知らない人なら何の違和感もなく読めますし、ビジネスモデルの解説に関して言えば僕は感心して読みました。だから、玉に瑕みたいな話ではあります。しかし、ビジネス本かもしれないけれど「聖徳太子の時代に小野妹子という女性が・・・」なんて出てきたら、やっぱり残念でしょう? どこまで信じていいんだろうと思わざるを得なくなります。

(注)この箇所は当初「花子がなくなったのは」と書き間違えておりました。ご指摘をいただいたので修正し、お詫びいたします。

▼「ITに強いビジネスライター」森川滋之オフィシャルサイト

top001.jpg▼こんなのも書いています

愛を.png

Comment(21)

コメント

花子は無くなってないですよ、今でも毎年バージョンアップしています。
グラフィックソフトとしてはパワーポイントよりもはるかに真っ当だとは思いますが、微妙にマニアックなので中途半端な存在なのでしょう…使うと意外と便利なんだけど。

よし

自らの詳しい分野になると、狂ったように指摘する輩にしか見えないんですが。だって指摘の仕方がキモイ。ごめんなさい。

匿名

大前研一さんの"携帯電話にインストールしたグーグルを使って..."や、宮台真司さんの"IPアドレスはPCと紐付いているから..."を思い出しました。
尊敬するかしこの方達がITの話をする時、やらかしてしまわないかドキドキしてしまいます。

ふくうち

>でも、Windowsのパソコンを買うとワードとエクセルがもれなくついてきます。
一太郎を買うとDOSがついてきた時代もありましたな。

比較的ITに通じているからIT分野の間違いがわかるわけで、仮に経済学について間違った記述があっても、ぼくのように経済学に疎い人間が記述の間違いに気付かずに納得してたりする、なんて懸念も生まれてきますよね。

匿名

そもそも、池上彰も佐藤優も、驚くほど初歩的な間違いを山のようにやらかしていますよ。それも、IT分野どころか、それぞれの専門と称している分野においてです。

基本的な歴史観・大局観こそ、骨太でしっかりしていますが、二人にとっては、神は細部に宿っていません。
まあ、出している本の量を考えれば、当然ですが。

匿名

KADOKAWA、文春クラスの大手出版社であれば、それなりにチェックのしくみはあるはずです。
まあ、岩波のように、ハイレベルな内部編集者が、時間をかけて徹底してやっているわけではないでしょうけど、それでも、まったくのノーチェックで右から左に本を出すことはないはずです。
にもかかわらず、初歩的な誤りが残っているのですから、元の文章のレベルが相当、低かったか、著者の再チェックが甘いか、といったところじゃないですか。

ちなみに『大世界史』には、アメリカが外交に関心のない国だという例証として、「アメリカの共和党連邦議員の半数がパスポートを持っていない」という小ネタが書いてあるようですが(実際に読んでいないので、間違っていたら失礼)、これは20年ほど前に生まれた都市伝説のバリエーション。十数年前にニューヨークタイムズが検証し、回答した議員の9割以上がパスポートを持っていることを報じています。
OSとプログラミング言語、ブラウザと検索エンジンの混同なんてかわいいものです。


名前だけで売れる本を書ける人はかぎられています。いったん、当たると、いろんな出版社から次々依頼が入り、さらに講演やテレビやカルチャーセンターの仕事も山のように舞い込んできます。
となると、いくら優秀な著者でも、丁寧にチェックして書いている暇はなくなり、どんどん薄っぺらで、間違いだらけの本を量産することになります。
それをブランド毀損というなら、まさにおっしゃる通り。出版社も、出版文化とは何か、もうちょっとしっかり考えようよ、という話ではあります。

とはいえ、自分のブランドを守る最終責任は、やはり著者本人じゃないですか。どう考えても本を出し過ぎですよ。
政治や経済・歴史の大きなテーマについて、本当にきちんとした本をきちんと書こうとしたら、数年くらい、あっというま。そもそも、一生かけて何冊書けるか、というレベルです。
それを毎月のように出すのですから、中身は推して知るべしです。
とくに、対談本や講演本を次々出すようになったら、末期ですね。

匿名

無視しようかと思いましたが、せっかく記事を読んだ時間がもったいないので、投稿します。初投稿につき、不快感を感じたらご容赦をば。池上氏の書籍は未読ですが、いずれ読むつもり。貴記事を読んだだけの範囲でのコメントです。

記事を読む限り、池上氏の発言を校閲する必要を感じませんでした。
理由の一つ目は、池上氏の発言の文脈が、技術の発展を振り返る対象にPCビジネスを取り上げただけと思われ、振り返る行為こそを伝えたいならば、中身が誤っているものをそのまま書籍化することは、人間の不完全さを同時に伝えており、とても自然に聞こえたため。理由の二つ目は、誤っている内容を信じて運悪く損した人がいても、自分は困らないし、むしろ、正確な知識が武器になる状況を生み出しており、不謹慎なことにメリットを感じたため、です。貴方も、ブログネタを得るメリットがあったでしょう?池上氏と出版業界に裏切られたと感じたとしても。

…目にし耳にすることを1参考情報に止め、自身の判断のみに基盤を築く競争社会の一競争者という猛者になるか、それとも、得た情報に根拠と判断を委ねて生産効率を上げるゆとり社会の一構成員となるか?その二つの間のバランスをどう取るのか?…出版業界のことはどうでも良いけれど、貴記事を読んで、そんなようなことに思いを馳せました。

匿名

この記事は、IT校閲?といのがビジネスとなるので、それを売り込みたい、という意図があるのだろうか?ITMedia内の記事でも、「情報が間違ってました、お詫びします」みたいな補足を時々見かけるが、IT校閲?という業務ができることで、それを見ることがなくなる、ということだろうか?
IT校閲をするならば、知識は広く浅く・間違ってなんぼの池上氏を相手にするより、まずはITMediaなどの専門家が書く文章を対象に論じるのが自然だと思うけれど、そこに触れてない。その点に言及せず、IT専門家でもない人へのIT校閲?が必要なのか?必要性の考察の組み立て方に飛躍を感じる。
そもそも、有象無象のビジネス書を細部にわたって校閲して、どれだけ利益が増えるかが怪しい。所詮ビジネス書、回収騒ぎになることなどないもの。買った読者に指摘させて、たまたま売れた後、改版時に、余裕があれば訂正する程度とするのが、本を出す側の落としどころでは?それに、読者側が、間違っていことにどう困っているのかもわからない。売る側も買う側も、特に必要性を感じているか分からないから、IT校閲?が業として成り立つように見えない。
IT専門家相手のIT校閲業が儲からず、一般人相手に顧客を拡大したい、という意図の記事だとしても、池上氏以外の事例がないので、稀な作業なら、出版社の業務でなくていいじゃん、と思った。売り込み記事だとしたら、前半が長すぎるし(…利用契約にあるディスクレーマー文みたい…)、売り込む姿勢に見えない。では別の意図があるのだろうか?ビジネスライターのブログなら、ビジネスの話だと思うのだが、よくわからなかった。

池上氏の書籍に間違った内容が記載されていることはわかった。それを伝えたいだけなら、長々書くより、正誤表だけでもいいのでは?その方が読者や環境に優しいのでは?

匿名

信者のお布施用なんだからこんなもんでしょ。

匿名

確かに正確性には欠けると思えます。
それを理性をもって指摘する事も相手が有名無名であれ大切ですね。
そしてブーメランにならないように自己研鑽が大切ですね。
でもちょっといやらしいかな。
なんか最近のYahooトピックスネタっぽい。

匿名

各分野に詳細な校閲を置くのは現実的ではないでしょう。取材・執筆に年単位もかかるようなノンフィクションならともかく、毎月のように書籍が発行され、専任の編集者も付けられないビジネス書籍の場合、執筆内容の各分野に校閲をするコストが出るとは思えません。
ある文書における本筋でない部分(この例ではビジネス書の中のコンピュータの歴史)について、どのあたりまで正確な記述が必要で、そのためにどれだけのコストが掛けられるか。費用対効果を考えると、そうはできない事情があるとビジネスライターである森川様はきっとご理解されていると思いますが。

匿名

もうひとつ追記で。

> 一太郎がワードに負けたのは、Windows対応がいまいちだったからだと僕は思います。
> 一太郎ほかのソフトを駆逐したと考えているようですが、事実は違うと思います。

校閲が必要=正確な記述が必要、というのが森下様の主張でしたら、その主張の中で「~と思います」で済ませず、客観的事実を信頼に足る底本から抜き出して記載すべきではないでしょうか。
ビジネス書におけるコンピューターの歴史、は本筋ではありませんが、この文書においてはここが本筋ですし、なにより正確さが必要と主張する文書であるからこそ、より正確を期す努力を惜しまないでいただきたいと思います。

あと、

> 正確とはいえません。「シアトル・コンピュータ・プロダクツ社のQDOSを開発者込みで買収しIBM PC用に改修した」(Wikipedia)というのが事実に近いです。

Wikipedia は出典とするには信頼性にむらがある、というのは常識ですので、こちらも正しい底本にあたった方がよろしいでしょう。

匿名

もうご覧ではないかも知れませんが、コメントへの回答へのコメント。

2015/12/02 20:46に森川さんは1件目のコメントへの回答で
>僕は一太郎も花子もなくなったとは書いていません
とお書きですが、これは事実と反します。
本文では7番目の引用部(位置№ 5419/5962 あたり)へのコメントで
>花子がなくなったのは、プレゼンソフトであるパワーポイント(以下引用省略)
とはっきり「なくなった」と書いておられます。

一太郎が駆逐された経緯は、個人的に(Wikipediaでいう独自研究)ですが、ずっと観察してきました。ある程度大きな企業では海外とファイルのやりとりをするためMicrosoft Officeを使わざるを得ません。Wordの使い方に慣れてしまうともう一つワープロソフトを使う必要はありません。Officeバンドルが一般的になってからは、わざわざ購入する理由がありません。
学術界ではTeXを好む人も多いですが、Word形式での投稿を要求する学術誌も多く、その場合電子入稿のために不細工なWordファイルを使わざるを得ません。
ただし、過去の資産(レガシーデータ)がある場合には一太郎が生き残る余地があります。レガシーデータを持つ組織の代表が官公庁です。早くからIT化していた大企業と違って、官公庁にはレガシーをなんとかする技術も予算もないので、一太郎の最後の砦となっています。花子をCADソフト的に使っていた場合も同様です。

ところで、アイティメディアを含むソフトバンクグループでは、どのようなIT校閲体制がとられているのでしょう?皮肉で書くわけではありませんが、その体制下であればこのようなミスはこうして防げた、という書き方であれば、より説得力があるでしょう。

でももしまんがいちソフトバンクグループに包括的で充実したIT校閲の仕組みがないのであれば、それは「天に唾する」というものですよ。ソフトバンクの出自はご存じの通りですからないわけがないとは思いますが…。

TYY

コメント欄が面白かった。
各種の議論を読みながら文書や書籍の一部は、いずれGitのようなシステムでオープンソースなモノとして発行され残されていくようになるのではないかと思いました。
あるいは、既にそんな仕組みやサービスがあるのかな?

コメントを投稿する