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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

才能とは洗練された努力のことである、あるいは何故やること全てうまく行く人がいるか

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★小澤征爾の天才性

「ボクの音楽武者修行」という本を少し前に読んだ。世界的に有名な指揮者の小澤征爾さんの若き日のエッセイというか、世界挑戦の記録である。

この本、面白いのだが、期待していた波瀾万丈はない。今では大物になった人の自叙伝というと、挫折と苦悩とか、師匠に怒られて云々とか、そういうエピソードがあるじゃないですか。そこからどう這い上がったか、そこが読ませどころというか。
ところが、この本は全然そういうのがない。読んでいくと、何故かすべてが上手くいく。「急遽、○○コンサートで指揮をすることになったら、大成功で・・」といった場面が続く。
典型的なのは
「○○さんはなぜか僕のことを気に入ってくれて」という言葉である。
○○さんはカラヤン、バーンスタイン級の巨匠ばかり。そういう人が次々とチャンスを作ってくれる。

この本をそのまま受け取ると「やっぱ天才は若い頃から天才だわ」といって、話はそこで終了である。だが、騙されてはいけない。本人は実にさらりとしか書いていないのだが、この人、影で滅茶苦茶努力しているだ。
例えば、指揮者補佐に任命されたら、巨匠に何かあった時のために、ひたすらコンサートで演奏する曲の勉強(指揮の準備として、指揮法を研究すること)をする。
本には書いていないが、恐らく99%は空振りに終わるのだろう。しかも指揮者補佐を何重にも引き受けている。そしてたまたまアクシデントがあった時だけ、その努力が報われ、チャンスをものにできる。
僕は音楽に疎いので想像でしかないのだが、これはきっと常人にはなし難い量の努力なのだと思う。

★才能とは、洗練された努力のことである

多分、小澤征爾という人は、謙遜のために「努力なんてしてないっすよ」と言っている訳ではないのだろう。自分のしていることが、大げさに書くほどの努力だと認識していないだけなのだ。
なぜなら、彼にとって音楽的努力とは、息を吸うようなもの、あるいはただの愉悦に過ぎないのだから。

何かを良くすること、何かに習熟することに必要な事が、全く苦にならない。
好きだから何気なくやる。努力の自覚がなくても、自然に修行に繋がってしまう。この傾向、行動様式こそが、才能の正体である。

だから、「才能と努力はどちらが大事か」という問いには意味が無い。
何かを成し遂げる時、努力が必要なのは当たり前だ。ただ、才能豊かに見える人は、努力の仕方があまりに洗練されていて、周りの人からも、本人からも、それが努力と認識されていないのだ。

「才能とは、洗練された努力のことである」

僕はこれまで何回か才能とセンスについて記事を書いた。例えば、
「君、才能ある?」あるいは、伸二と啓太とプロジェクトワーカー
そろそろPMには「センス」が必要だと認めよう。あるいはストライカーは育つもの

だが本音を言えば、努力ではどうにもならない程の「才能」なんて信じていない。才能とセンスの存在を便宜的に仮定した方が、前に進めるからそうしているだけだ。

★僕の仕事で言うと?
業務コンサルティングやシステム構築といった世界で言えば、いったい、息を吸うのと同じように「何を」やれれば、才能があると言えるだろうか。
いくつか仮説を挙げておこう。

a)プチ企画
大規模なプロジェクトに参加できるかどうかは、自分の意志ではいかんともしがたい。だが、自分の身の回りのちょっとした事を自分で企画し、仲間2、3人に声をかけてやり遂げることは、とても良い訓練になる。
プチ、というくらいだから、大した事でなくてもいいのだ。本の輪読会でも、バーベキュー大会でも、ウチの課のいらない帳票廃止しましょう、でもいい。

世の中には、この手のプチ企画が大好きで、気づくと何かを立ち上げている、というタイプの人がいる。普段から企画やプロジェクトワークの訓練をしているのだから、どんどんこういった仕事に習熟する。
数年経ってみれば、「あの人プロジェクトワークの才能あるなぁ」と周りから見られている。

b)勉強会、トレーニングの主催
新しくコンサルタントになる人が、「成長していくのかイマイチなままか」を見分けるのは難しいものだが、一つ、相関度が高い指標がある。「勉強会、トレーニングを自ら主催するか」だ。

なんであれ、自分のなかにある役に立つ要素を抽出し、皆が理解し、利用できるような形に整える。トレーニングの最中、参加者の顔色を見ながら微調整する。これは仕事ノウハウを抽象化する、極めて優れた訓練になる。ノウハウを抽象化しておけば、それを適用できる場面が格段に増える。
プチ企画と同様、本人は好きでやっている。努力だと思わずにこういう訓練をやってしまうのが、才能ある人である。

c)読書
効率的を追求して、赤ペンとか引きまくって本を読む人よりも、楽しみのために本を読んでいる人のほうが、ずっと成長している気がする。「遠い将来の仕事に役に立つような本を、楽しんで読むことができる」というのは一種の才能であるが、別に天才性が必要な訳でもない。

d)コツを聞く
以前、プロジェクトのコアメンバーを集めるのが上手いなぁ、と感心したお客さんがいた。そこでストレートに「なんでお上手なんですか?」と聞いてみたところ、思いがけない良い話、優れたノウハウをお聞きできた。
僕はこの面の才能がないので、こういう事を「息を吸うのと同じように」は全然できないのだが、気づくとやっている様な人もいる。
その人にとっては、単におしゃべりしているだけなのだ。才能あるなぁ。

他にも、プログラマーであれば「お遊びで便利ツール作っちゃいました」とか、営業であれば「交流会が大好き」とか、経理マンであれば「他社の有価証券報告書を舐めるように読むのが好き」とか?、色々な「洗練された努力≒才能」の形があるのではないだろうか。
僕個人としては、「色んなものを見て、なんでこんな風になっているんだろう?と無意識に考える習慣」などが、ある種の洗練された努力(≒本人としてはごく普通のこと)なのかなぁ、とたまに思います。
なぜトランクスの社会の窓は、ボタンで止められるようになっているのか?とか、たまに真剣に考えますからね。

あなたには何の才能がありますか?

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