あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点

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「傷つかない技術」を体験した授業 というブログ記事を読み、深く共感した。
詳しくはリンク先を読んで欲しいが、かいつまむと・・

アメリカの大学でアート&ビジネスというクラスを取っていた際、
「はい。みんな課題持って来ましたか?では、机の上に出して、紙の人はそのまま破り捨てなさい。立体物の人は壊してゴミ箱へ捨てなさい。」
と先生に言われた。
曰く、「プロのデザイナーを目指しているなら、一生懸命作ったアイデアや作品を見ることもなく破り捨てられる経験をこれからたくさんする。それに耐えられなければ、プロのデザイナーにはならない方が良い」

僕の職業はデザイナーではなく、コンサルタント(≒プロジェクトの成功請負人)なのだが、同じようなことは毎日のようにある。自分が深夜までかけて作った打ち合わせ資料が、翌日の打ち合わせ本番では全く別な資料に差し変わっていたとか、「天に唾はく様なプレゼンだ」と切り捨てられたとか。

そして今では、誰かが作ってくれたモノを破り捨てることの方がずっと多い。
一生懸命説明してくれたことに一言「うーん、つまんないね」と言うことも良くある。
このままだといつまで経っても検討が深まらないと判断して、仕事を取り上げることもある。
その場で壁いっぱいに方針を書き付けて、「いいから、これを紙にしておいて」と言うときもある。

そういうことを繰り返していると、双方向人事考課の際に「あのときは酷かった」「もっと違うやり方をすべきだと思います」と非難されることもある。
でも、今のところ、このスタイルを変えるつもりはない。プロの仕事をする上で、避けて通れないと思っているからだ。

手塚貴晴さんという建築家がいる。一種の天才なのだと思うのだが、5年ほど前、TVで見た光景が忘れられない。
部下の設計者が徹夜で作ってきた建築模型を一目見るなり「これはゴミだね」と言って、ガシャリと壊してしまったのだ。
僕はそのころ駆け出しコンサルタントになったばかりで、部下の人の痛みがよく分かった。
それと同時に、本当にたくさんのことも学んだ。

・モノには価値があるモノとないモノがある
・「頑張ったか」は価値があるかどうかとは無関係
・価値がないと判断したときは、それをオブラートに包んで伝えるべきではない
・価値があるかどうかは、作った本人には判断出来ないことがある
・作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまではゴミと言っていない
・「ゴミだね」に傷ついていたら、クリエイティブな仕事はできない
そして、「ゴミだね」への反論は、ゴミではないモノを作ることしか許されないこと。

変革プロジェクトを支援する仕事で言えば、価値があるモノとは、
「お客様のビジネスを動かすことに貢献できるモノ」
「プロジェクトの方向性を見極め、合意するのに貢献出来るモノ」
「プロジェクトを前に進められるモノ」
である。もちろんモノというより無形のサービスであることも多い。

そして、「頑張ること」それ自体に価値があるのはアマチュアの世界、価値がないのがプロフェッショナルの世界である。
全ての人がプロフェッショナル的に仕事をするべきだ、とは僕は思わない。
でももしプロフェッショナルになりたいのであれば、「僕、努力したもん」は封印しなければならない。そんなこと、他の人は知ったこっちゃないのだ。

努力は確かに価値がある。
でもそれは、頑張ったその人だけに関係がある種類の価値だ。いつか努力が能力に転換され、他の人にとっても価値のあるモノを生み出した時に初めて「価値のあるモノを生み出している」と胸を張れるのだ。

もう一つ大事なこと。
「ゴミだね」を恐れて指示を待っていると、永遠にゴミしか作れない。
・価値があると信じて自分の頭で考えたモノを作る。
・そして「ゴミだね」と言われる。
・そこでイチイチ立ち止まらずに、また自分の頭で考えて作る。
この繰り返しでしか、プロフェッショナルになれない。
傷ついたことを「ゴミだね」と言った人のせいにしているうちは、決してプロフェッショナルにはなれない。

一緒に頑張りましょう。

> 5年ほど前、TVで見た光景が忘れられない。
> 僕はそのころ駆け出しコンサルタントになったばかりで、
と書きましたが、9年くらい前だった気がしてきました。
どちらにせよ、駆け出しというよりは、中堅くらいにはなっていましたね。
記事のメッセージには影響ないと思いますが、自分で気持ち悪かったので追記しておきます。

★白川の最新刊。ITに興味が無いビジネスパーソンにこそ、読んでもらいたい!

Comment(53)

コメント

いいこと書きますねぇ!

プロの意味がとてもよくわかります。
クリエイティブな仕事をしている当社のメンバー達にも読むように言っておきます!!

小俣さん、こんにちは。
>プロの意味がとてもよくわかります。
ありがとうございます!以前オルタナトークのお題で「プロとは?」というのがあってそのときにも何か書いたのですが、何か言い足りない感じがしてまして、もう一回書きました( ̄ー ̄)。

参考になりました。

弊社では、頑張ってるんだからという考えが横行しているように感じているので、こういう記事はとてもためになります。

木村

プロの世界は結果が全て、正にその通りです。
クリエイティブな世界は特にそうだと思います。

ただし、期限付きで成果を出す(出さなきゃいけない)ような場合はクオリティに妥協する必要があります。
どんなにクオリティが高くても期限までに完成できなければゴミにもなりませんから。

パロアルトのゼロックスで埋もれていたマウスの原型をスティーブジョブズが発掘した。もしこれがゴミのままだったら今日のコンピュータは存在しないのかもしれない。そう考えるとゴミは宝の山かもしれないと思い返した。

TH

家の会社では難しいですねぇ。
似たようなことをやったら、努力を評価しないと。。。言われて。
アマとプロという意味では、アマの集団ですね

makino

おっしゃる通り、成果と人格は無関係だという認識をする必要があると思うのですが、なかなか困難だと感じてます。
幼少からの学校教育の賜物なんでしょうかね…

もうすぐ社会人

今度の四月からの、駆け出しの社会人です。
仕事へのあり方についてとてもためになるものを学べました。
今の時期に、この記事に出会えたことをとてもうれしく思います。
ちょっと大げさかもしれませんが、一生ものの財産に感じました!!

匿名

モノも作れない人が好きそうな記事ですね
プロは結果が全て、は全く揺るぎ無く正しいけれど、ゴミがゴミと判断することが横行してこのザマですし
コンサルタントできるデザイナは素晴らしい仕事を見せてくれますが、コンサルタントしかできない人間はそれこそゴミです

hoge

この内容はゴミだね

矢部

ゴミのような記事。コンサルの9割はこういうろくでもない人種ですよね。

ハナクソみたいな記事ですね

hoge

この記事はゴミですね

詭弁

生きていれば不条理なこともあるからと
暴力を振るう優しさもあるということですね。
子を千尋の谷に突き落とす実在しない獅子のように。

文章の論理的飛躍が酷すぎます。
部分だけを取り出して共感している人に戦慄すら覚えます。

もちろん努力と成果は無関係です。
「無関係であるべき」ではなく、無関係です。

ダメージに耐えることあるいは麻痺させることと、
傷ついてもそれを乗り越えることは違います。

努力-結果論とプロ-アマ論と
傷に対しての麻痺-忍耐-克服論をごっちゃにしすぎです。
それらは全て別の問題です。

各論を全体論に置き換える。
これを詭弁と言います。

要するに「他人の言うことをいちいち真に受けるな」というのが、ここでの教訓です。
当然その教訓には、このレスも含まれます。

通りすがり

間違ったことは書かれていないと思うがすごく誤解を生む内容だと思う。モノを作る立場の人に厳しいわりにモノを判定する立場の人に甘すぎる。ご自身が現在ではモノを判定する立場にいるためでしょうか。

成果物には「ゴミ」と「価値あるモノ」の2種類しかなく、「ゴミ」はだれがいつどのようにみても永遠にゴミのままである、という態度は非常に危険です。実際には「磨けば光るゴミ」と「磨いても光らないゴミ」があり、「価値のあるモノ」のほとんどは「磨けば光るゴミ」を「磨く」ことで生まれています。「ゴミをゴミとしてしか扱わない」という態度こそ「価値あるモノ」を生み出すことを妨げる原因です。

木村さん、
>どんなにクオリティが高くても期限までに完成できなければゴミにもなりませんから。
そうですね・・。その、クオリティを高めたい、高めなきゃという欲求と、
real artists ship みたいな世界の間では悩みますよね。
そこにこそ、リーダーの色が一番出るというか・・。
悩んだ結果「ダメ」と言ったケースについて、この記事では取り上げてみました。

酒井能克さん、
これは「ある人から見ればゴミだが、別の人から見ればゴミではない」
という問題ですね。
そういうことはあると思います(パロアルトの話はあまりに劇的ですが)。
だからこそ、ゴミ判定力の面で信頼を置ける人に上司になってもらうことについても、
ある程度意識的でないと、長くは持たないでしょうね。
「上司を選ぶ」というと無理めに聞こえますが、プロフェッショナルを目指すのであれば、
数年のスパンでは必要なことだと思います。

名無しさんの
>ゴミがゴミと判断することが横行してこのザマ
も、どういうケースを想定しているのかは分かりませんが、判定者が重要、判定者も長期的に選ばないとだめ、という話だと理解しています。


THさん、
多くの会社で「努力を評価する」ことは行われていると思います。
僕の会社でも(プロフェッショナルになることを標榜していても)、多かれ少なかれあります。
「努力が能力向上への代替変数か?」「実は無関係になってきているか?」
が努力を評価することの、良し悪しの分かれ目かと思います。

makinoさん、
>成果と人格は無関係だという認識をする必要があると思うのですが、なかなか困難だと感じてます。
困難だし、そもそも不自然ですよね。
僕もこうやって文章を人目にさらしているので、色々な批判を受ける覚悟はあるわけですが、
hogeさん、矢部さん、ssig33さんの様に「おまえの文章こそゴミだろ」と言われると、やっぱり少しは傷つきますから( ̄ー ̄)。
それでも来週もブログアップしなきゃな、と思っていると、いつかはゴミじゃない文章を書けるようになる、という記事でした。

詭弁さん、
まだ書いていただいたことを正直、消化し切れていませんが、
>努力-結果論とプロ-アマ論と
>傷に対しての麻痺-忍耐-克服論をごっちゃにしすぎです。
>それらは全て別の問題です。
これは、そうなのかもしれませんね。
しかし僕自身はこの3つをセットで経験したし、セットだったからこそ
体で理解できたのだ、という様に考えており、この記事を書いた次第です。

罵倒されずにプロフェッショナリズムを身につけられる道があるのであれば、
そちらの方が良いと思います。
この記事がそれの一助になれば嬉しいのですが。

mtanedaさん、
>弊社では、頑張ってるんだからという考えが横行しているように感じているので、
上に書いたように、僕の会社もそういう所あります。
なので書きました。

通りすがりさん、
全面的に同意します。
この記事は「ゴミと言われる側の立場」にフォーカスして書きました。
一方、「ゴミと言う側」でこの記事を読むのは危険かもしれません。
僕自身、毎回ゴミと破り捨てているだけではもちろんなくて、「この部分はこう変えれば格好良くない?」という議論はしています。
でも、そんなことこの記事には書いてないですものね。
この手の文章を書いて発表することの怖さを学びました。

あ、たくさんコメントいただいたので、コメントいただいた方にお礼を忘れていました。
ありがとうございます!
はっとすることも多く、色々考えます。。

SR

ただ単にコンサル側が考えることを放棄して職場の空気を悪くすることしかないこのゴミのような考えに深く驚愕しました。

名無しさん

内容はまあ納得だけどタイトルが意味不明なんだが。

安藤

プロフェッショナル論は人それぞれさまざまだが、こういう考え方(やり方)がまかり通る業種・業界は限られているし、実行していい人間も限られるから、参考にするという人は十分に注意してからのほうがいい。特にプロフェッショナルもどきや人材を育成する立場の人間はやらないほうがいいだろう。

いぬ

個人的には、このやり方は「自分とは別のプロフェッショナル(ライバル)」を作る方法だと思っています。
これで下に残る部下は多分新しい物を作ることは出来ないのではないでしょうか。
上司のやり方と違う見方を持った優秀な人材は辞めて、他の所でプロフェッショナルになると思います。
デザイナー・クリエイターとしては正しい反応だとは思いますが、上司としてはどうなのか、と言われると疑問に感じます。
勿論、本当にゴミを作る部下もいるとは思うのですが、そのような方については無闇に傷つけることなく普通に辞めて頂いたらいいのだと思うのです。

Y

ゴミと言う側が理由なくゴミと言うのは、(組織の上司という立場において)プロのあるべき姿だとは思えない。とはいえ、プロではない(価値観の違う)上司あるいは顧客にゴミといわれる側としての心意気としては共感を覚えた。

匿名

こっちも言葉足らずだったので追記します。お気を悪くさせたなら削除でも何でもしてください
こう言っちゃ何ですけど、コンサルタントの方も結果出せないならゴミ扱いされてポイ捨てなんですよね?
安全な場所から判定をするだけの立場というのは得てして危険です。その立場を、あなたはどうやって得たんですか? 商売の成功を担うために実績か能力を買われたんじゃないのですか?
「悪いけど、これじゃあ商売にならない」という意味でのゴミというなら甘受もするでしょう。自己満足の品を持って来られても困るでしょうから
ですが、作る人間はゴミの山を踏み台にして提出してきています。それを簡単に覆せるだけの判断力と覚悟をお持ちですか?
モノを否定するにはそれだけの裏付けを必要とします。判断側も、それだけの覚悟と力をお持ちください。個人の努力には、他人にとってクソほど価値もありません。だからこそ、判断のプロの眼力が必要なのです
世に出たモノを「ゴミ」と軽くあしらっていいのは買い手の方々です。あなたがた判断者ではありません。あなた方は、誰もが「ゴミ」と判断するモノかどうかの判断を任されているのです。その結果「ゴミ」であれば、皆納得しますし、しない人は才能的に厳しいと思います
また、引用された話にしても、ガチの判断者にびっくりしないように慣れさせる親心みたいなものだと私は考えてます。あれでやめちゃうのであれば確かに作り手の素養として厳しいのは確かなのですが、判断者側が引用する場合は判断者が努力をゴミ扱いされた話をすべきでしょう
言い方の問題ではないと思ってます。単に「お前らもガチで来いや」と言いたいだけです。その判断がガチなら信頼されます。望むなら、お互いプロでありましょう

unko

ゴミみたいなマネジメントですね

ゲームデザイナー

価値ある記事だと思います。
自分が絶対にダイヤだと信じているものなら、他人からゴミだと言われても「どうしたらダイヤだと気付いてくれるかな」と思える。ゴミだと言われて、自分でもゴミかもと思ってしまう程度の物は、結局はゴミなのだ。それを問われているのだと思えば、はっきりゴミだと言ってくれた人の愛がわかる気がします。

興味深くエントリーを読ませていただきました。はてなブックマークのコメントなども大変盛況ですね。
私自身、デザイン業をする上で「自分が作るものは、たいしたものではない。ある人にとってはゴミかもしれない」という意識は常に持っています。しかし、それは自戒であり、おいそれと他人に言われて頷けるものではありません。
思うところがありましたので、感想を記します。
 
発注者に「ゴミだね」と言われた対象が
1. 作品に対してなのか
2. 制作者の技術力に対してなのか
3. 制作者の性格・人格に対してなのか
4. 職業に対してなのか(デザイナー、コンサルタントという属性が嫌い)
5. 制作者の所属する会社・コミュニティに対してなのか(会社や宗教性が嫌いor政治圧力)
どれに該当するか、注意しなければなりません。
そして、そのあたりの温度差や勘所を見極めるスキルを、部下に対して教育する必要もあります。
1、2の場合は、制作者のスキルやアイデアに問題があります。
しかし、3、4、5は注意深い対処を必要です。
元エントリーでも、このエントリーでも、
このあたりが書き分けられていないので、はてなブックマークやコメントで批判が多いと思います。
(正確には白川さんのこのエントリーでは基本的に「1」を扱っていますが、元のエントリーは「1から5」の判断を棚上げしています。)
 
デザイン学校の話では"社会の厳しさ"を表現する手段として
「ゴミだ」という言葉と「作品の理不尽な破棄」が語られています。
ですが、手塚貴晴さんが「作品を"一目見て"破棄した」と違い、専門学校の教師は作品を見ずに破棄しています。
これは教育者としても、デザイナーとしても、良い態度とは言えません。
意図はわかりますが、そこで素直に作品を破り捨てた学生と、私は一緒に仕事はできません。
お金を貰うプロとしての仕事はできるかもしれません。しかし、仕事に向かう為の人間性や、誇りに問題があると思えるからです。
傲慢はいけません。しかし卑屈は、サイアクです。
 
 
現実の仕事では、作品を破られようが、無視されようが、ゴミだクズだといわれようが、受注者の立場は低いですね。
1から5のどれに該当するか、正確に把握していないorできないケースが大変多いです。
「なんとなく、ちがうんだよねぇ、ダメだね。ゴミ。」とか
「ゴミだね。会議はここで終りね。来週また案を提出してね。じゃ。」
というセリフに惑わされて、制作者が原因把握が難しい。
ですがそこで「あの発注者はクソだ」と言うのは違うし「なんとか結果を出さなくては」「いいものを作って、見返そう」と仕事に没頭するのも、あるいは違う可能性があります。
3から5の場合、制作者にはどうしようもない。かもしれません。
 
判断力こそ、制作者に必要です。
しかし現実には教育や配慮が行き届かず、有能な人間が病んだりします。
その反動で「ブラック心理学」やら「クライアントを唸らせる100の方法」など、ピントのずれた書籍やブログがもてはやされる。
>「ある人から見ればゴミだが、別の人から見ればゴミではない」
がひとつの解決策であると同時に、発注者を判断する認識術や教育方法も、考慮すべきだと考えます。
 
厳しさと理不尽は、現実であると理解をしめしつつ、
全速力で逃げる事も想定すべきです。

出てる杭

”アート&ビジネス”というのが気になりました。アート、芸術にプロもアマもない。でなければゴッホの作品はすべてゴミです。前置きに、工芸と芸術の区別がされていないのがいらない批判を受けるのだと思います。もっといえば、職人と芸術家は別物。デザインはアートではなく職人による工芸だと知らなきゃいかんと思いますね。

ろむ

確かにその通りだけど、ズバっと「ゴミだね」と伝えるような事ばかりしていると人から不必要に恨まれるよ。
沢山の人に恨まれると仕事に支障が出るだけでなく、命の危険に晒されることもある。
逆恨みして人殺しするようなヤツは山ほどいるからね。

「オブラートに包んで伝えるべきではない」理由がいまいち分からない。

ブーメラン

タイトルがゴミだわ。
こんなblogゴミ箱行きだわ。
くしゃくしゃにするから書き直してこいw

白川さん 興味深い記事をありがとうございます。
最後の”もう一つ大事なこと。”段落に書いてあることが、この記事の結論として非常に良いと思いました。 私もプロとして、さらに勉強させてもらいます。

KT

現代では山本五十六のような考え方では後進を育てられないんですかね。いつの時代もただ切り捨てるだけでは駄目だと思うんですよね。だって相手は人間で心があるんですから。

匿名希望

言わんとしてる事は理解出来ますし同意出来る部分もありますが、「ゴミだね」という言葉を選んでしまったことが間違いだと思います。汚い言葉で罵倒する事を「相手の為だ」と言うこじつけをするような人がいないことを祈ります。

ワタミ的

どうかなと思います。

昭和オヤジの「俺も若い頃は・・」と同じ価値観だよね。
僕の経験則だけど、この手の人って若い頃の記憶を美化してる。
実際は色んな人に支えられたり運もあるのに、自分は苦労したとか、それで
成功したって言って決裁権とりたいだけでしょ。

↑の発言も他者の有名人を虎威化して、正当化してるだけ、て感じた。
そもそもパワハラ。違法行為には「違法」となる根拠がきちんとある。
それも分からないのによくコンサル名乗るよね。
「違法行為なんて構わずしますけど、社員の皆さんはもちろん従って下さいね」
てことだよね。

第一、この手の企業や団体の話はネットで直ぐに噂は広まる。
で、まともな優秀層ならはまともな他企業に流れる。
で、ゴミみたいな人材が集まって、ゴミ上司がゴミだね、と言ってゴミ箱に。
ゴミ人材はゴミ上司になって、やはりゴミ部下の作品をゴミ扱いに。

名前忘れましたが、ある小説家が『小説家になれて本当に良かった。だって、ゴミのようにしか思えなかったボクのこれまでの人生が、思い出たちが、みんな小説のネタとして使えるんだもん』みたいなことを言ってたような気がします。

SFファンの間で知られている言葉として「スタージョンの法則」あるいは「スタージョンの黙示」というものがあります。

「どんなものも、その90%はカス(crud)である」というのがそれです。

天才と言われる人でも、作品を100作れば90はゴミなのです。でも、その90のゴミをゴミとして捨ててしまうのはもったいない。「どんなものも、その90%はカス(crud)である」というのを拡大解釈すれば、「ゴミの中にも10%の可能性がある」ということになります。

手塚治虫先生の『ジャングル大帝』は白いライオンが主人公ですが、この主人公は失敗作、つまりゴミの中から誕生したのです。

ショートショートストーリーで知られる作家の星新一先生の単行本に『できそこない博物館』というのがあります。これは作品になり得なかったアイデアを集めて、なぜ作品として完成できなかったかを解説しているのですが、これが売れているのです。ゴミだと思っていたものが売れてしまうのだから、世の中不思議です。

中尾

プロの仕事という点については異論はないが、若干、詭弁っぽいのは、価値観が発注側に絶対的な指標があって、それが正しいという前提がなければ、ただのきまぐれや下請けいじめと区別がつかない。批判と否定はだれでもできる。作ったものが否定されるのはプロの世界だが、否定する側がそれでプロかどうかは断定できない。指示して作らせたものの成果は制作者だけの責任ではない。これを読んで勘違いを増幅させる代理店やマネージャが増えないことを祈る。もちろん勘違いクリエイターも氾濫しているし(そもそも自分からクリエティブだとのたまう時点でだめなやつが多い)、お金を持っている側が絶対であるというのもひとつのプロフェッショナル。ただ、そうでないプロも成立しうる。希少ではあるが。

ほまらら

仰ることはもっともです。
ただ、世の中には『素晴らしい仕事』に対してもゴミ扱いする人がいます。
努力を認めてくれる人が、作品は認めないというのであれば、それは仕方ないです。
でも、作品は認めない努力には価値がない、という人とは関わりたくないですね。

>「プロのデザイナーを目指しているなら、一生懸命作ったアイデアや作品を見ることもなく破り捨てられる経験をこれからたくさんする。
>それに耐えられなければ、プロのデザイナーにはならない方が良い」

その通りです。そういう経験は山ほどします。
しかしそれは、作品を見ることもなく破り捨てた人が正しいというわけではないのです。
世の中には、クソみたいな人もいて、プロになったらそういう人とも関わるのを避けて通れない、
というだけの事です。

私も多少は他人に指示を出す立場になってきましたが、相手の仕事の否定と、相手の努力の否定は、
断じてやってはならない事として自分に戒めているアンチパターンの一つです。
私が指示を出しているのは、作品製造機ではなく、人なんですから。
ダメ出しするときは、まず評価する点を伝え、努力に感謝し、その上でダメと判断した理由を伝える。
それがルールだと思ってます。

中尾

補足すると、このような態度が本物かどうかは、その場では絶対わからない。「ゴミ」だと発言した人が、そのときの立場や名刺が変わったとき、相手がどんな立場でも同じように接してくれるかどうか。そこで決定的な違いがでる。勘違いマネージャや上司やクライアントや代理店やコンサルは、その発言への信用が自分に対してのものか、名刺の肩書の数語に対するものなのかの区別がついていない。まあ、それを悟られず「名刺」にへつらうのもプロの技のひとつではある。私はどっちの立場でもそうはなりたくない(100%は無理でも)。それがアマチュアというなら私は約30年アマチュアのままである。

名無し

クリエイターの世界は特に厳しいようですね。

記事に書かれている内容は全く間違いではないと思いますが、結局それも自分自身の経験を通じて自覚し、自分のパーソナリティに合った形に咀嚼して受け入れないと、「俺は傷つかない傷つかないぞ」という強迫観念しか生まない気もします。

その流れの一助になるのなら、この記事の価値もあると思います。

jin

誰かに全否定された後、ゴミといわれた作品が別の所で拾われて爆発的な人気を得る例なんていくらでもある。ゴッホとかね。
この記事に書かれてあることそのものは現実にある。担当の気分一つでゴミ箱に入れられることもある。「理由はただの嫌がらせ」なんてのまで平気で行われる。

が、ゴミとまではいかなくても、入賞を逃して最終選考止まりだった作者が、拾い上げで書いたノベルが現在爆発的なヒットで多メディア展開してるのも事実。
この記事は「希望はあるが覚悟は常にしておけ」っていう教訓にするわ。
リア充はともかく自分は世の中理不尽だらけってことは身に沁みまくって正直今さらだしな。

ほげ

もともとの「傷つかない技術」の要はこれ↓

>傷つく事に出会った時は、まず「知る」ことから始めます。

>自分がどんな相手と対峙しているか、知ることで対処法が見えてきます。
>自分にとって何が大事なのか、今自分にとって何が必要なのか。

プロとかアマとかは関係ないので、大本の記事を読んだほうが
為になりますよ。

asdf

x作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまではゴミと言っていない
○作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまでもゴミと言っている

上は偽善的でいただけませんね

a

>そして、「ゴミだね」への反論は、ゴミではないモノを作ることしか許されないこと。

ゴミではないモノを作っても、残念ながらコンサルがゴミならどうしようもないんですよね…
ゴミではないコンサルに出会えるか?というのも重要な要素だと思いました

通りすがり

こんな体質な人が多いからが日本のITは陽の目をみないんだな
ゴミから優れた物が生まれるケースなんて一杯あるのに
退屈すぎるわ

バカトノX

最初の方のコメントで、この記事の内容がゴミだのハナクソだの言われていました。
しかし、皆さんのコメントによってブラッシュアップされ、
本ブログが価値あるものになりつつあります。
以上のことが、この記事の主張がかなり不完全であるということを
証明しているのだと思います。

ある人がこの記事を読み、「自分のことは棚にあげて、ゴミにはゴミって言っていいんだ」と勘違いをしてしまうと、その人の下には信頼出来る良い仲間が集まらず、一人ぼっちでやっていかなければなりません。
この考え方は、人生をつまらないものにしてしまいます。なんとか考えが凝り固まってしまう50歳までに、この考え方を変えたほうがいいと思います。

途中、KTさんが山本五十六のことを挙げていました。僕も好きです。
ここでもうひとつ、周囲の人との仕事の仕方について参考になる本を紹介させてください。
「道は開ける」(斉藤一人)(*D.カーネギーの方は読んだことありません。)
商売人の人の話ですが、いいこと書いてあります。もし良ければ読んでみてください。

ちょっとみたら

コンサルの人って虚勢はっているからなのかもしれんけどさ、私はスタッフとはいつでも対等でありたいと思っている、無論ダメな部分は論議するし、本人に納得してもらうことは必ずする。
貴方の感性に合うか合わないかの部分で判断している部分が多くない?
もし、他のプロフェッショナルがみたら賞賛するものかもしれない。ただ単に貴方の独善なのではとしか思えないです。??
それに貴方のプロジェクトはすべて歴史に名を残すぐらいの成果をあげたの??

長島渉

「厳しい世界で仕事をしている俺ってカッコイイ」
みたいな自己陶酔に浸っている人間が支持するような暴論。
ファシリテーション(笑)ってのも、
物作りのスキルが無いくせに口先ばかり達者な「口だけ番長」なんだろう。
「俺が『ゴミだ』って言ったら、お前はすぐに良いもの作ってくるな~それがプロなんだぜ~」
みたいな、地獄のミサワ。

議論の途中で意見を変えるという愉悦
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2012/01/post-0241.html


こんな記事を書いている辺り、暴論についても
立場が悪くなったら途端に手のひらを返して「なかったことにする」つもりだろうけどな。

Outin

そもそもこの記事は読み手に何を期待しているのですか?

「僕の業界ってこんな厳しいんだよ。すごいでしょ。でもこれがプロなんだよ」というレベルのことしか言ってるようにしか聞こえてきません。貴方が所属するケンブリッジ社の部下は可哀想だなぁとしか思えません。あなたが企業コンサルを通じて社会に相当なインパクトを与える凄腕のマネージャーならなんとか付いて行こうとは思えますがそんな僕もマイノリティでしょう。

「プロとは〜」と語られるのもいいですが、早く貴方のその素晴らしいプロ論でもって、
建設的なプロダクト・変革(案)をこの場を借りて社会に投げてみたらどうでしょうか。

そろそろそんな時期じゃないですか?

ショタ

面白い記事だけど、プロフェッショナルの作るものもゴミが多いよね

ディレクター&クリエイター

いろいろな立場で色々な事をそれぞれが言うので、コメントを読んで参考になるのでしょうか?
書いている方の肩書きも経歴も分からないし。自分がこう思うと言ったとたんこれですから。
ネットって大変な世界ですね。

ヒヨコサン

ゴミ大好き。

mimika

共感できます。通用しないのは何故なのか?と考えることは大事です。

migo

まさにゴミ記事ですね

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