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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点

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「傷つかない技術」を体験した授業 というブログ記事を読み、深く共感した。
詳しくはリンク先を読んで欲しいが、かいつまむと・・

アメリカの大学でアート&ビジネスというクラスを取っていた際、
「はい。みんな課題持って来ましたか?では、机の上に出して、紙の人はそのまま破り捨てなさい。立体物の人は壊してゴミ箱へ捨てなさい。」
と先生に言われた。
曰く、「プロのデザイナーを目指しているなら、一生懸命作ったアイデアや作品を見ることもなく破り捨てられる経験をこれからたくさんする。それに耐えられなければ、プロのデザイナーにはならない方が良い」

僕の職業はデザイナーではなく、コンサルタント(≒プロジェクトの成功請負人)なのだが、同じようなことは毎日のようにある。自分が深夜までかけて作った打ち合わせ資料が、翌日の打ち合わせ本番では全く別な資料に差し変わっていたとか、「天に唾はく様なプレゼンだ」と切り捨てられたとか。

そして今では、誰かが作ってくれたモノを破り捨てることの方がずっと多い。
一生懸命説明してくれたことに一言「うーん、つまんないね」と言うことも良くある。
このままだといつまで経っても検討が深まらないと判断して、仕事を取り上げることもある。
その場で壁いっぱいに方針を書き付けて、「いいから、これを紙にしておいて」と言うときもある。

そういうことを繰り返していると、双方向人事考課の際に「あのときは酷かった」「もっと違うやり方をすべきだと思います」と非難されることもある。
でも、今のところ、このスタイルを変えるつもりはない。プロの仕事をする上で、避けて通れないと思っているからだ。

手塚貴晴さんという建築家がいる。一種の天才なのだと思うのだが、5年ほど前、TVで見た光景が忘れられない。
部下の設計者が徹夜で作ってきた建築模型を一目見るなり「これはゴミだね」と言って、ガシャリと壊してしまったのだ。
僕はそのころ駆け出しコンサルタントになったばかりで、部下の人の痛みがよく分かった。
それと同時に、本当にたくさんのことも学んだ。

・モノには価値があるモノとないモノがある
・「頑張ったか」は価値があるかどうかとは無関係
・価値がないと判断したときは、それをオブラートに包んで伝えるべきではない
・価値があるかどうかは、作った本人には判断出来ないことがある
・作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまではゴミと言っていない
・「ゴミだね」に傷ついていたら、クリエイティブな仕事はできない
そして、「ゴミだね」への反論は、ゴミではないモノを作ることしか許されないこと。

変革プロジェクトを支援する仕事で言えば、価値があるモノとは、
「お客様のビジネスを動かすことに貢献できるモノ」
「プロジェクトの方向性を見極め、合意するのに貢献出来るモノ」
「プロジェクトを前に進められるモノ」
である。もちろんモノというより無形のサービスであることも多い。

そして、「頑張ること」それ自体に価値があるのはアマチュアの世界、価値がないのがプロフェッショナルの世界である。
全ての人がプロフェッショナル的に仕事をするべきだ、とは僕は思わない。
でももしプロフェッショナルになりたいのであれば、「僕、努力したもん」は封印しなければならない。そんなこと、他の人は知ったこっちゃないのだ。

努力は確かに価値がある。
でもそれは、頑張ったその人だけに関係がある種類の価値だ。いつか努力が能力に転換され、他の人にとっても価値のあるモノを生み出した時に初めて「価値のあるモノを生み出している」と胸を張れるのだ。

もう一つ大事なこと。
「ゴミだね」を恐れて指示を待っていると、永遠にゴミしか作れない。
・価値があると信じて自分の頭で考えたモノを作る。
・そして「ゴミだね」と言われる。
・そこでイチイチ立ち止まらずに、また自分の頭で考えて作る。
この繰り返しでしか、プロフェッショナルになれない。
傷ついたことを「ゴミだね」と言った人のせいにしているうちは、決してプロフェッショナルにはなれない。

一緒に頑張りましょう。

> 5年ほど前、TVで見た光景が忘れられない。
> 僕はそのころ駆け出しコンサルタントになったばかりで、
と書きましたが、9年くらい前だった気がしてきました。
どちらにせよ、駆け出しというよりは、中堅くらいにはなっていましたね。
記事のメッセージには影響ないと思いますが、自分で気持ち悪かったので追記しておきます。

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