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オルタナティブ・ブログ6周年:社長としての6年

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オルタナティブ・ブログは今日で6周年だそうで、「『6』をお題に、何か書け!」と指令が出ました。私の場合、テーマを決められるとなかなか筆が進まないのですが・・・そうそう、私が社長になったのも6年前でした。本当は12月なので、まだなのですが、強引に書きます。

私が日本シー・エー・ディー株式会社の社長になったのは、2005年の12月でした。39才の時です。私の場合は起業したのではなく、もともと勤務していた会社の社長になりました。

大学1年(1985年)の夏休みからアルバイトで仕事をしていた会社に、そのまま新卒で1989年(平成元年)に就職しました。3年目(1992年)にCAD開発販売を行う事業部を作り、課長を名乗り(社内的には平社員)、2001年(?)に部長、2005年(?)に統括部長になり、同年12月に社長になったという感じだったと思います。

同じ会社でアルバイターから社長というと、ずいぶん出世したものだ、と感じるかもしれませんが、今振り返れば、ほとんど苦しかったことしか思い出せません。

アルバイト時代はかなり優遇されていて、大学4年の時に入社を決めた後は、当時の社長に高級ステーキをご馳走になったりした思いでもありますが、入社後(1989年:23才)はがらりと変わりました。

まず、入社1ヶ月前くらいから、6月の展示会に出展するCADシステムの新製品の開発が始まったのですが、もう一人社外の方の協力を得て二人で開発する予定だったところを、私が「調整が面倒なので一人でやる!」と言ったため、6月の展示会まではほとんど毎日終電。しかも、試用期間なので残業代もなし。さらに、正社員でCAD開発をしているのは私だけでしたので、展示会や、来客時のデモも全て私。CAD事業部という部署に配属でしたが、CADオペレーターの部署だったので、開発の仕事はほとんど理解してもらえず、孤立。3年目に事業部を作ったのも、「あまりにも仕事内容が違うのだから、分けるべき」と、社長に直談判したのでした。

事業部を立ち上げると、当たり前ですがノルマが課せられ、開発だけでも大変なのに、「稼げ!」と言われます。おまけに、社外から凄腕の部長がやってきたり、すぐに辞めたりと、振り回され、終いには「CADじゃなくてもいいから、何かして稼げ!」と、出向に。出向もあれこれ振り回され、小さな特注品の開発で振り回され・・・まあ、本当に何一つ良い思い出はないくらいひどい時期でした。もちろん、今振り返ればあの逆境を経験したから、今があるわけですが。会社全体としても業績が悪く、待遇ももちろん悪く、親と仕事の話はしたくないものでした。

その後、たまたま大手さんの孫請けの仕事をもらうことができ、圧倒的な開発スピードと品質でビックリされ、そこから受託開発に主軸を移し、1996年(30才)で、ようやく自分の事業を黒字化できたのですが、その後は大幅黒字を続けました。共に逆境を味わったメンバー達ですので、強かったのと、もちろん、お客さんにも恵まれたからでしょう。

2000年(34才)には1冊目の著書「C for UNIX」を書き、ようやく自信もついてきて、部長・統括部長を経て、2005年(39才)で「会社全体を良くしろ!」と、前社長(現会長)から、社長の命を受けました。

ここまでを振り返ると、
23才〜30才:どん底時代
30才〜39才:受託開発で黒字時代
という感じでしょうか。

社長になってからは、景気の悪化もありますが、受託開発の低迷もあり、決して楽な状態ではありません。社長になってからの6年で良いことといえば、2000年からほぼ年1冊のペースで著書を書き続け、2008年(42才)でオルタナティブ・ブログで書き始め、情報発信を続けたおかげで、良いメンバーが集まったことと、製品事業が立ち上がってきたことでしょうか。実は社長になってからの方が以前より年収は下がっています。当社は社員も出来高制に近いのですが、社長ももちろん出来高年俸制です。景気の影響もありますが、私としてはそれ以上に、「事業の方向性を変えるための産みの辛さ」だと考えるようにしてきました。

受託→提案型
トップダウン→ボトムアップ:メンバーの主体性重視
得意分野で勝負

何事もそう簡単にうまくはいきません。社長になってからの6年は、入社直後のどん底時代ほどではないにしても(精神的にはもっと辛かったかもしれませんが)、なかなか大変でした。前社長の会長(オーナーでもある)が常にいる状態で、雇われ社長は何をできるのかを悩んだ時期も結構長かったと思います。孤独で辛い6年だった気がします。社長というとあこがれる人も多いかもしれませんが、単純に比較すれば「やり損」という面の方が多い気がします(とくに、受動的な人だと)。「やりたいからやっている」という人でないと無理でしょう。

社長としての孤独な悩みは、オルタナティブ・ブログを通じて多くの方々と知り合え、刺激を受けたり情報交換ができたりできたおかげで乗り越えてこられたと感じています。オルタナには似たような立場の方も多く、もしオルタナに加わっていなければと思うとゾッとします。

ちょっと「6」からずれた内容という気もしますが、オルタナ6年の歴史のうち、後半の4年、一緒に活動できたことは、私の社長6年の大きなプラスになったということで、これからも共に成長していきたいと思っています!

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