グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

かけ算の順番問題はなぜ今、目立つのか

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かけ算の順番を入れ替えてはいけない?

私の主観ですが、少なくとも一年に一回は「かけ算の順番を入れ替えるとバツにされるのは納得がいかない」と保護者から問題提起がなされているように感じます。

Wikipediaにも「かけ算の順序問題」という項目ができました。一連の「かけ算の順序問題」がまとめられています。おおよその流れは以下のページでご確認いただけます。

私が小学生の時は文章題でかけ算の順番を入れ替えても答えがあっていれば正解でした。

【筆者が小学生だった頃(昭和50年代〜60年代)】

正解 ○:5×3=15

正解 ○:3×5=15

小学校では習わなかった気がしますが、高校の時に「数学の交換法則にもとづいて丸なのだ」と習った記憶がありました。

【現在(平成20年代)】

正解 ○:5×3=15

正解 ×:3×5=15

一体、なぜかけ算の順番問題が今、目につくようになったのでしょうか。

facebookで質問してみた

なぜ昔はOKだったかけ算の順番が今はNGになったのか。教育Communityで、馬鹿正直にかけ算の順番の件を質問をしました。

※コミュニティは一般公開されていて私の質問や皆様の回答も公開されています。ですが、公になっていることに気がついていないユーザーがいらっしゃるかもしれないので、コミュニティ名や他の方の投稿の具体的な紹介は控えます。

  1. 私には子どもがいないので小学校の現場がわからない上での質問であること
  2. 私が小学生の時はかけ算の順番を入れ替えても正解だったこと
  3. なぜ今はかけ算の順番を入れ替えるとバツなのか
  4. 文部科学省が「かけ算の順番を入れ替えるとバツ」にするように指導したのか
  5. 現場の先生の判断次第で採点は変わるのか
    ※先生によって「かけ算の順番を入れ替えるとバツ」「かけ算の順番を入れ替ええても丸」と違いがあるのか

小学校の現場がわからないと馬鹿正直に書いた上で質問した所、保護者の方だけでなく現役の先生や支援員の方も親切に教えて下さいました。

みなさまの回答をこの場で公開するのはプライバシーの侵害なので、私が新たに知った事実だけを書きます。

  • 「かけ算の順番を入れ替えるとNG」という採点は文部科学省が何かを決めたり支持したわけではない。
    →現場の先生がたの判断によるもの。
  • 一通りの解法で教えるのは数学的な問題もあるが、発達障害の子どもたちが普通学級で学んでいることとも関連しているらしいこと※一通りの解法と直しました。 2013.1.29 0:41

文部科学省のサイトにこんなことが書いてあった

びっくりしたのは「かけ算の順番を入れ替えてはNG」とされている一因に発達障害の子どもたちの存在があるらしきことです。

追記 2013.1.28 23:31 誤解を与えたようですが、以下、順番が違うけど正しい回答をバツにする云々の是非ではなく、教え方についての話です。

私見ですが、これは文部科学省が推進している「インクルーシブ教育」と関係がありそうです。やや長いのですが、「インクルーシブ教育」についての説明を引用します。

(1)共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築

  • 「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。(中略)
  • 障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive     education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、 自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、 障害のある者が「general     education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
  • 共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。
  • インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立 と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である。
    小・中学校における 通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要である。

(2)インクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進

  • 特別支援教育は、共生社会の形成に向けて、インクルーシブ教育システム構築のために必要不可欠なものである。そのため、以下の○1から ○3までの考え方に基づき、特別支援教育を発展させていくことが必要である。このような形で特別支援教育を推進していくことは、子ども一人一人の教育的 ニーズを把握し、適切な指導及び必要な支援を行うものであり、
    この観点から教育を進めていくことにより、障害のある子どもにも、障害があることが周囲から 認識されていないものの学習上又は生活上の困難のある子どもにも、更にはすべての子どもにとっても、良い効果をもたらすことができるものと考えられる。

 ○1 障害のある子どもが、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加することができるよう、医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、社会全体の様々な機能を活用して、十分な教育が受けられるよう、障害のある子どもの教育の充実を図ることが重要である。

 ○2 障害のある子どもが、地域社会の中で積極的に活動し、その一員として豊かに生きることができるよう、地域の同世代の子どもや人々の交流等を 通して、地域での生活基盤を形成することが求められている。
このため、可能な限り共に学ぶことができるよう配慮することが重要である。

 ○3 特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保し つつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。
次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな 社会の構築につながる。

  • 基本的な方向性としては、障害のある子どもと障害のない子どもが、できるだけ同じ場で共に学ぶことを目指すべきである。
    その場合には、そ れぞれの子どもが、授業内容が分かり学習活動に参加している実感・達成感を持ちながら、充実した時間を過ごしつつ、生きる力を身に付けていけるかどうか、 これが最も本質的な視点であり、そのための環境整備が必要である。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm より引用 (文部科学省)

あくまでも私の理解ですが、

  1. 世の中にはそれぞれ多様な存在が居ることを自覚し、健常な子どもだけでなく障害がある子どもも大人になってから社会で自立する権利を持っています。それを踏まえた上で教育のプランを立てて行きましょうね。
  2. 障害がある子どもも健常な子どもたちとできるだけ同じ場で学べるようにしましょう。
  3. 先生や学校関係者・保護者は子どもたちがが学びやすいように、つまり「個別の教育的ニーズ」を満たせるように取り組んでくださいね。
  4. 今は普通学級から特別支援学校まで様々な学びの場があります。だけどバラバラではなくて、それぞれの場が連携して子どもの学びに的確に対応してくださいね。

という事ではないかと受け止めています。

>>「かけ算の順番問題はなぜ今、目立つのか(続編)」へ続く

お礼 2013.1.30 0:48

この記事に対して様々な立場の方からご意見・情報をいただきました。ありがとうございました。私がコメント欄に回答することで論点を複雑にしている気がしてきました。

そのためこの場を借りてお礼とし、コメントへの返信はここまでとすることにしました。コメントを下さった高橋誠様、積分定数様、あさか様、あとり様、TaKu様、K.K様、TETSU様、KEN様ほか 皆様に個別に御礼がしきれないことと、お詫び申し上げます。

追記
この記事は「子供のICT教育とインクルーシブ教育・前編」の続き(後編)に相当するものです。

編集履歴:2013.12.08 22:43 後半部分を別記事「かけ算の順番問題はなぜ今、目立つのか(続編)」として独立させました。

Comment(35)

コメント

小2のかけ算の導入の初めに1通りの教え方をするのは,発達障害の有無にかかわらず,それが分かりやすいし,教科書もそうなっています。(教科書はその後もこの1通りに固執するのが問題なのですが)そしてかけ算の単元の最後に交換法則は必ず教えることになっているし,途中で気がつく子もいるし,文科省は子どもが自分で気がつくことを推奨しています。何通りもの考え方があることは,算数の本質でないどころかそれこそ本質のように思います。
 発達障害の子の中にも,別の考え方に自分で気がつく子もいるだろうし,自分で考えた正しいことを否定されたら,発達障害の有無に関わらずそれこそ「パニック」の原因になります。発達障害のない子で実際そういう子の存在は報告されています。
 なお,『かけ算には順序があるのか』という本で,歴史的な経緯も書きましたので,参照していただければ幸いです。

初めまして。

根本的に勘違いしていますね。

「教師の側が一通りしか解法を示さない」
「一通りしか正解にしない」

この2つの区別が付いていますか?


あるいは、4人に3個ずつ蜜柑を配るばあい、「4×3」と式を書いた子に○を付けると、その子かあるいは別の子がパニックになることがあるのでしょうか?

片岡麻実

高橋誠 様
積分定数 様


はじめまして。コメントをありがとうございます。
それぞれの立場からのご意見・情報をいただき、非常にありがとうございました。


私は数年前から複数のNPOで発達障害の子どもたちにパソコンを教えています。一番人気はExcelです。
Excelでは教える際にかけ算が欠かせません。


高橋様が書かれていたように「発達障害の子の中にも,別の考え方に自分で気がつく子」もいます。数学的なセンスが高いことそうでもないお子様が両方いらっしゃいます。


さらに
>あるいは、4人に3個ずつ蜜柑を配るばあい、「4×3」と
>式を書いた子に○を付けると、その子かあるいは別の子が
>パニックになることがあるのでしょうか?
についてはパニックになった子も実際にいました。


自分は一通りしか解法がないと思っているのに、他の子が別な解法で丸になるのを見て「それは間違っている」とパニックになった場合もありました。


発達障害の子どもたちも多様なので、別の考え方に自分で気がつく子とそうではない子がいます。別の考え方が存在することが受け入れられない子もいます。


いろいろな子どもが居るのは当たり前なので、Excelを発達障害の子どもたちに教える時は1対1のみにしました。他の子どもの事が気になる子もいるからです。


どっちがいい悪いではなくて、子どもたちの特性に合わせて教える・対応することが大切だと私見では思います。


「交換法則」が成り立つのですから正しくて別な答え方をバツにしていいとは思っていませんが、教室の状況によっては現場の判断で1通りの答えのみ正解にしていることもあるのだろうなと考えた次第です。


私はあくまでも発達障害の子どもたちにExcelを教える際に数年間、かけ算の問題に触れただけです。

今回の記事は私が経験したこと、教えていただいたことに基づく仮説に過ぎません。


なので、小学校の先生や保護者の方、数学の専門家などとは違った経験・意見なのだろうと私見では思います。


かなり前から論じられてきている問題なので、リアルな世界ですっきり解決するということは当面ないだろうと感じています。


その上でこういう考え方ができるかもしれないという例として記事をうけとめていただけましたら幸いです。

丁寧にご教示していただき、ありがとうございました。

あとり

掛け算をわかりやすくするために、順番を教えること自体を批判する人はあまりいないと思います。
問題は「順番が違うから×」という扱いの是非です。
私自身の過去を思うと、こういう教え方をされていたら小学生の算数時点で脱落して
その後ずっと落ちこぼれていただろうなと思うので、余計と、
落ちこぼれる必要のない子を落ちこぼれさせる要因になってはいないかと危惧しています。

あさか

このかけ算の話は、割り算と引き算には順序が有るのに、足し算とかけ算には順序が無いのか?という命題を取り違えた記者がいて広まったしまった話ですよ。某塾や教科書に出ている云々は確かにそうなのですが、順序性が有るという事を第三者による客観的裏付けとして挙げたに過ぎません。

TaKu

>自分は一通りしか解法がないと思っているのに、他の子が別な解法で丸になるのを見て「それは間違っている」とパニックになった場合もありました。

今の算数教育では「一通りしか解法がない」と教えているのが問題になっています。
その教育のせいで「一通りしか解法がない」と思い込んでしまったのなら、教育方法に問題がある事になります。


「かけ算 レシート」で検索すると分かると思いますが、日常生活でも「どちらの順序でもいい」状況が出てきます。
かけ算の順序のせいでパニックになる可能性があるのでしたら、「どちらの順序でもいい」事を納得してもらう必要があると思いますが、どう思われますか。

TaKu

追記に私が気にしている点が載っていないので再度書かさせてもらいます。

「一通りしか解法がない」と思っている発達障害の人は、逆順を見るとパニックになる可能性があると受け取っています。
日常生活では逆順を見る機会(レシート等)があるので、「一通りしか解法がない」と思わせておくのは問題があると思います。
今の算数教育では「一通りしか解法がない」と教えています。
交換法則を教えた後も「一通りしか解法がない」と教え、小学生の間続く事が多いようで、大人になっても順序があると考えている人が多数見受けられます。
発達障害の人にそのような教え方をするのをどう思われますか。

また、「どちらの順序でもいい」事に気付いた発達障害の人は、「3×5」をバツにされると混乱したり、パニックになる可能性はないのでしょうか。
あるのでしたら「一通りしか解法がない」という教え方は問題ではないでしょうか。

片岡麻実

あとり様
あさか様
Taku様

コメントをありがとうございました。情報、ご意見に感謝しております。


この記事では私が順番が逆だとNGという表現をしたため、発達障害の子どものために順番が逆だとバツにする、という誤解を与えたようです。
発達障害の子どもが混乱しにくいように、現場の対応として一通りだけの教え方をする面もあるようだと書きたかったので恐れ入ります。


私としては順番が違うから正しい回答をバツにするのは子どもにとってはプラスにならないと思っています。混乱の種ですし、あっているものをバツにするのはナンセンスだと感じます。採点については私が学校の先生だったならばどちらも丸にします。


ただ、教え方については一通りで教えないと混乱する子もいるようなので、各教室で子どもたちの様子をみながら先生がたが判断されているのかな?と私見では感じた次第です。
私見ですが一通りの教え方が良いのか、最初からどちらでも良いと教えた方が良いのかは子どもの状況 特性次第かな?と考えています。
子どもにとって最善の教育が実現されるのが大事だと思っています。


どうぞ、よろしくお願いいたします。

K.K

あんたは、とことんおかしい。以下は発達障がいか否かを問わないで書く。つまり、全て含めてのことだと思って欲しい。

 確かに、自分が習って覚えたのと違う順序のかけ算が正解になるのを見て、『パニック』になる場合はあるだろう。では、自分が大丈夫と思ったつもりのかけ算にペケされて『パニック』になる場合のことは考えているのだろうか? しかも答えはあっている。

 問題の発端となったのは後者のケースだ。子どもに答案を見せられた保護者まで混乱した。分からなかった。数学者でも分からなかった。なぜなら、式も答えも正しいからだ。それは理解しているのだろうか?

 テスト問題が「4人の3個ずつミカンを配るのに、何個のみかんが必要ですか?」だとしよう。

 答案の「式:4×3=12」がペケされて「3×4=12」と朱書きしてある。これはまだ差異に気づける可能性がある(納得するかどうかは別にして)。「答:12個」にマルしてあればいい。しかし、それにさえペケして「12個」と朱書きしてある。

 そういうケースがあるわけだ。「12個」と「12個」の差異が分かったりするか? 分かるなら常人には見えてないものが見えているのだろう。

 しかも、九九には三四12があり、四三12がある。その頃になると明確に交換法則を習う。かけ算を習って九九を覚え始めるまで、あまり間がない。九九はかけ算が便利であるための重要なものだからね。

 それでもかけ算には正しい順序なるものがあると強弁できるだろうか? 普通はできない。かけ算を習って、たし算を使って試しているうちに、かける二つの数の順序がどちらがどうでも同じ答だと気付くことも多い。九九には明確にそれがいくつも出てくる。

 それでも、かけ算に順序があると言えるのだろうか? 学校の一部を巻き込んだ算数業界実際は言っているね、「文章題ではかけ算に順序がある」と。同時に、「数のかけ算なら順序は自由だ」ともね。そんなヘンテコなかけ算などは無い。算数の正しさを保証する数学からして、そんなかけ算はお手上げになる。

 かけ算は算数を含む数学として、×記号の前後に書く数について、何も規定していない。規定できない。そんな数学は未だかつて存在したことはない。業界などの単なる習慣として、そう決めることはあるが、それもいろいろ流儀があり、そうできるのは数学がかけ算の順序を規定していないお蔭で、そうできている。

 順序があったり無かったりするかけ算は、混乱やパニックを招かないのか? そんなことはない。既に習った子が混乱したり、保護者がパニックになった例が挙がっている。挙がっているから、こうして問題になるわけだ。一昨年辺りからは、特に反響が大きく、ずっと続いている。

 そんなはことはおかしいだろう、それは常識に反するだろう、社会生活に即さないだろう。そういう呼びかけが続いている。算数業界は相変わらず閉鎖環境に閉じこもっているが。もっとも、ときどき出て来てはそういう常識的な呼びかけに噛みつきにくる者もいる。しかし『かけ算の正しい順序』がどうして必要なのか、説明できた例はないようだ。

 かけ算の順序だけで終わらない。それは、たとえばわり算の分類に引き継がれる。等分除と包含除だ。それを、わり算を習う子に識別させ、区別させる。そうしないと、わり算が分かったことにならないらしい。これは、おかしいんだよ。算数業界の理屈によれば、□×6=12と6×■=12が違うから、対応するわり算が違うのだそうだ。そんなものは、かけ算に順序があるからこそ成り立つ理屈だ。12÷6=2しかないではないか。それの検算(逆算)がわり算なわけだが、2と6を掛けるのに順序が無ければ、何も迷う必要はない。

 そして、かけ算の順序が今の算数のおかしさの最初の関門ではない。たし算にも習って覚えるべき順序があるとしている。合併なら順序は無いが、増加なら順序があるという。たとえば、「2人でバスに乗ったら、既に3人乗っていました。全部で何人?」は、3+2=5でないといけないとしている。バスの初期状態としては乗客3人であり、そこへ2人増えたからだそうだ。。

 バスに乗る側の立場でイメージするとどうなるか。2人に3人が加わったとイメージして、何の問題があるだろうか? 無い。そういう状況の思い描き方に何の問題もない。しかも、たし算もかけ算同様、+記号の前後の数について、何も規定していない。できない。

 ひき算にも、いろいろ種類があることにされてしまっている。

 わり算を一つの数にしたような数である分数にも、こまごまとした分類が成されている。

 これらは、「余計なルールは課さない」ということさえできれば、ほとんど全てが不要になる。逆に言えば、たし算の順序やかけ算の順序があるだけで、小学校での算数で膨大な無駄知識を覚えなくてはいけなくなっている。

 あなたは発達障がいの子の心配をしているのだったね。よろしい。その話に戻ろう。そういう、膨大な無駄知識を覚えさせることは、ただでさえ勉強に苦労している子のためになるだろうか? 数学的(そして本来の算数的)に正しい答えにペケを付けて混乱させることが、そういう子のためになるだろうか?

 なるというなら論拠を示してもらいたい。あなたが目の前にで見た、混乱した子だけではない。全ての事の子のことを考えた上で、どうするのがいいか示してもらいたい。

 今まで、「勉強の遅い子のためになる」と称してかけ算の順序を弁護する者はいた。全て、己が正しさを強弁するために、勉強に苦労している子を理屈に使っただけの卑怯者だった。「苦労する子がいてもいいのか!」と強引な論難をするためだけに、苦労している子が何に苦労しているか、その先何に苦労するかを考えない愚か者だった。

 あなたが、そういう輩と同類でないことを祈る。

TETSU

とりあえず、無駄が有効か?についてだが
無駄な情報は有効ですよ。

例えば、年号を覚えるのに語呂合わせするでしょ
人の顔を覚えるのにも、名前だけでなくいろいろ余計な情報を付けておくと(あった時の天気とか)覚え易くなりますよ。
これは脳科学でも、実際の経験でも実証されてます。

まぁだからといって今回の算数問題が正しいというわけではないですが(^^;
かけ算を単なるかけ算ではなく、意味のある説明で理解すること自体は有効かもしれない(これが実証されたかどうかは知らないが)という話です。
そういえば代数よりも、言葉で理解する算数の方が実は難しいと感じたことあるな(^^;

高橋さんも書かれている通り「何通りもの考え方があることは算数の本質」ですからね。
おかしいと思ったら自分で考えるきっかけになる。それだけでも十分有意義だと思います。良い悪いで決めつけたがる親の方が障害になるかも?

片岡麻実

K.K様
TETSU様


コメントをありがとうございます。無駄が有効か?についてはお二人のご意見がとても興味深く、参考になりました。ありがとうございました。


数学として正しい式を順番が違うからバツにすることに関しては既に前傾していますが、私としては障害の有無にかかわらず混乱の種だと思っていて、あっているものをバツにするのはナンセンスだと感じます。


数学的に正しいものをバツにするのは子供の教育にとってメリットを感じません。高橋さんが書かれているように「正しいことを否定されたら,発達障害の有無に関わらずそれこそ「パニック」の原因になります」はそうだろうと私見では感じます。

そして、そこから子どもたちがどう疑問(正しい回答をしたのになぜバツにされたのか)を解決していくのかも大事なプロセスだと考えています。
※なぜバツにされたのか考えたいと思ってしまう私が変わり者だったら恐れ入ります。


教え方については、私ならば子どもたちの状況によって「別な回答も可能なんだよ」「1通り教えただけで、後は子どもたち自身が気がつくのを待つ」にするかどうかを変えるような気がします。


採点については私が学校の先生だったならばどちらも丸にします。ただし、文章題の場合は読解力を伸ばすことを主眼にかけ算の順番を守りなさいと指導する場合がありえそうです。

計算力のみを問うテストでない場合は一概に私の考えが正しいと言えないような気もしています。


私がこの記事を書いて読者の方からの意見を拝読して感じたのは、集団で授業をすることの是非に関しては意見が来ないのが不思議に思いました。

1つの教室で集団で授業をすると多様な子どもがいるので、かけ算を教えることだけでも、私見では複雑な問題が生じている気がしています。

これがもし集団ではない形式、例えば少人数の授業だったり、個別だったり、デジタル教科書・教材を使用する授業だったらかけ算の順番問題はどうなるのか気になっています。


そしてかけ算問題が話題になるのは、子どもたちがより良い教育を受けられるようにという保護者や先生など関係者の思いから来るものだと感じています。


採点の問題が語っている事は、かけ算に限らず障害の有無にかかわらず一人ひとりの子どもの状態・様子を見て、出来る限り最善の対応をしたいという保護者や現場の関係者が事の試行錯誤のプロセスなのかなと私見では思いました。

「子どもが良くなって欲しい」が共通の願いだと思いますので、これからも試行錯誤しながら子どもたちにとって最善の教育を探していけばいいと考えています。

私はパソコンを教えるという部分だけですが、子どもにとってよりよい教育になるように、現場で教育的な個別のニーズに答えられるように今できる取り組みをしていきたいと考えています。

K.K

>ただし、文章題の場合は読解力を伸ばすことを主眼にかけ算の順番を守りなさいと指導する場合がありえそうです。

 ここがおかしい。掛け順を言う人は、ほぼすべてここで間違っている。

 その「かけ算の順番」とは何かということだ。それを説明できた人は、今のところいない。文章題、さらにはそれが描くイメージからだといっても、掛算の側に受け入れられるのは、二つの数の掛算関係であるなら、二つの数を掛算するということでしかない。

 そこに天下り的な順序は無い。「一つ分」と「いくつ分」を読み取ったとして、それをどういう順番で掛算に書くかは、掛算にそれを決める機能は一切ない。

 それが理解できないようでは駄目だ。「かけ算は、一つ分×いくつ分と書けるんだよ」というのは教え方のサンプルでしかない。ルールではないわけだ。

 どうしてもやろうとすれば解答欄に制限を加えて、

 □(個)×□(人)=□(個)

とでもしておくしかない。それでも、いわゆるトランプ配りと言われるようなイメージの仕方もあって、唯一には決まらない。それは採点する側が読み取らなければいけない。思った通りに書いてないからといって、採点を左右するのは論外なことだ。

 なぜ子どもの答案を見る大人の側が間口を広くすることを考えないのか。なぜ天下りな恣意的なルールを前提として考えてしまっているのか。そこがおかしい。そのために学ぶ子が苦労することになる。しかも、掛算の順序を持たせ続け、敷衍して割算までやりにくくしている。等分除と包含除を見分けなければ割算ができないなどということはない。

 掛算の順序としてサンドイッチ方式があるのはいい。それは、入門時に掛算の理屈はなんとか飲みこめても、いざ式を書こうとしたら迷うといった子に使って貰えばいい。割算の等分除や包含除は、割算で躓くかもしれないポイントとして教える側が知っておいた方がいい。

 それは間違いではないし、有用に使えるのだけれども、算数のルールとして学ぶ子に押し付けてはいけない。それでは本末転倒だ。

 まず必要最低限にして充分である算数とは何かを考えることが必要だ。それが重要で基本となる骨格だ。それを外さない前提での、いろいろな工夫があるはずではないか。骨格無視で歪めて、ごてごて貼り付けたものを前提にしてはいけない。

 算数には本来不要な恣意的なルールだらけの、ごてごてした算数ではいけない。ましてや、それが学ぶのが普通より苦労する子のためになるなどとしてしまうと、ただでさえ苦労する子はさらに苦しんで、ついにはついて行けなくなってしまう。

 そういうことが、どうしても理解できないと仰るのだろうか?

K.K

最初の投稿を読み直して「あんた」表記に気が付きました。「あなた」の打ち間違いです。大変失礼いたしました。訂正してお詫びいたします。

あとり

大元の指導方針が「掛け算の順番重視」であればそれに沿った教材が作られ指導が行われるわけですから、指導現場の人数、教材の種類は関係ないように思いますが。
集団指導では「掛け算の順番を重視し、順番通りでなければ認めない」、個別指導では「掛け算の順番は重視しない、順番どおりでなくても正解」というのでは、余計と教育の現場に混乱をきたすのではないでしょうか。
また、「正しい回答をしたのになぜバツにされたのか」を子供に考えさせるのは余りにも不毛です。
それが教育だというなら呆れます。

>自分は一通りしか解法がないと思っているのに、他の子が別な解法で丸になるのを見て「それは間違っている」とパニックになった場合もありました。

なるほど、そういう事例があることは承知しました。

>びっくりしたのは「かけ算の順番を入れ替えてはNG」とされている一因に発達障害の子どもたちの存在があるらしきことです。

まあしかし、これは、すでにご自分でお気づきだとは思いますが、全くとんちんかんですね。

「かけ算の順序」が教えられる理由は、別のところになると思っています。

足し算の合併と増加の区別
引き算の求残・求補・求差の区別
等分除と包含除の区別

こういうこういう無駄で無意味なことを子供にやらせる。抽象化を否定する。

かけ算の順序もその一環。


しかし、かけ算の順序だけが顕著に問題視されるので「なぜなのか?」という話になり、それでいろいろな“理由”が上げられることになる。

 本葉に合理的な理由があるなら、それが挙げられるはずだが、そんなものはない。

 だからとってつけたような思いつきのような“理由”が延々挙げられる。

 全部後付の理由だから、説得力はない。

 でも、実際に毛毛残の順序は教えられているので、「こういう理由ではないのか」「ああいう理由ではないのか」と憶測が語られて、この問題はいつまでも収束しない。

 というのが私の認識です。

失礼しました。

TaKu

>教育制度の変化、「インクルーシブ教育」「共生」という考え方が「かけ算の学び」にも影響を与えているようです。

かけ算の順序問題は数十年前からあり、順序固定を擁護したい人達が発達障害を利用する(している)のではと危惧しております。

一部の発達障害の人に対して、かけ算を教えるのに有効だったとしても、安易にそう教えるのがいいのか疑問も残ります。

KEN

初めまして。KENといいます。

私は片岡さんの話に納得しました。実際の子どもの行動に合致するからです。

他の方が色々な意見を述べていますが、片岡さんの話は一つの根拠として充分理解できる話だと思っています。

他の方の意見に対する細かい反論は他の場所で行いたいと思っています。それでは。

Ifreeta

算数は、方程式を用いないで解く方法と習っていたような気がします。

私が習っていた時は、答えを出すだけでした。

その過程が必要で表に出しなさいと言われたのは、中学に入ってからで、テストに過程まで採点されるのは高校に入ってからでした。

もちろん、高校に入ってからは過程が大事になり答えも複数あり、場合分けも必要となり結構な人が脱落してゆきました。


算数の段階では問題に対しての答えは、一つです。でも、答えを導き出す方法は複数あります。

おさえるところを間違うと迷いますよ。

ちゃお。

意見が偏っているようなので、別の観点から意見を言ってみたいと思います。

私は小学校の算数で、交換法則を習う前であれば特に、順番が違えばバツで構わないと思います。

その理由は子供にとって「テストとはなんぞや」というのを考えるいい機会だと思うからです。
テストとは「生徒の理解度を確認するために行う作業」です。
この場合の理解度、とは「算数の知識」ではなく「授業の内容」を指します。
「式の過程も書きなさい」というのはまさに理解度をチェックするためのものです。例えば図を定規で測って倍率をかけて出した、電卓を使用して計算した、というような答えではなく、実際に公式を理解した上で解いていますよ、という証明のようなものです。

算数の授業でわかりやすくするために掛け算の順番を指定しているのであれば、そのテストでは順番通りに解かないと「授業を理解している」とはいえません。
その生徒は交換法則を理解した上で解いているのかもしれないし、買い物などのただの経験に基づいて「どっちでもいい」としているのかもしれません。順番通りに解こうと思ってミスしたのかもしれません。判断できないのですから「授業を理解していたとは確かめられない」ということになり、バツです。

数学的に合っているから問題ない、という理論が通るのであれば
国語などで「この時の作者の気持ちは?」という問いに「締め切りに間に合いますように」と書いても正解となりますし、理科で「※但し摩擦抵抗はないものとする」という但し書きがついている問いに「摩擦抵抗をゼロにするのは地球上では不可能なので、この問題は問題としての体をなしていない」としても正解、英語で「Yes, I do.」と答えるところを「Yep!!」と書いても正解になります。必要なのは「正解を出すこと」ではなく「理論を理解しているかを確かめること」だからです。

次にテクニックとして「テストは出題者の意図を汲み取って答えるもの」ということをわかってもらうためです。
これは知識云々ではなく教育論として必要なことだと思います。
相手の望んでいる答えを、相手の望んでいる形で出してあげる事、これは社会生活を営む上で非常に重要な要素です。
今後大人になった時に、理不尽な理由で遠回りしなくては行けない事も多々あります。しかしそこで目的を見失わなければ、判断が楽になり、ストレスが減ることでしょう。
「問題を解決すること」が目的ならば、その理不尽なことを押し付ける人をねじ伏せたり、無視したりして解決すればいいですし、「問題を解決して相手から評価を得ること」であれば、相手によっては理不尽でも言う事を聞いたほうが結果的に目的を達成できるかもしれません。
テストの目的とは「先生の望む答えを望む形で出してあげる」ことです。従って、突飛な答えを書いたり、習っていない方法で答えを出して「数学的に合ってるだろ」「答えは正解だろ」と先生に反発することは、目的を力技で達成しようという行為なので、これからの人生で苦労することでしょう。
理想は「順番を入れ替えても答えは正解だが、このテストでは順番通りに書いたら◯がもらえる」と理解した上で順番通りに書くことですね。


私なら
私が先生なら、子供と話して理解度を確かめた上で判断します。
でも私が親なら「習ったとおりにできなかったお前が悪い」と子供に言います。

K.K

ちゃお。さん:

>私は小学校の算数で、交換法則を習う前であれば特に、順番が違えばバツで構わないと思います。

 この呪縛は非常に多い。そして、ほとんど全てのことは、これを前提に出てくる。

 敢えて逆を言うようだが、その交換法則は二つの数の掛算において、二つの数の入れ替えをしても答えは同じということを保証するものだ。そして、これは数でのことゆえに、文章題とは全く無関係だ。

 何度でも言うが、二つの数という基本の掛け算の機能に、どういう数が先で、どういう数が後なのかは、全く含まれない。含まれないから、非常に幅広く使える。

 そういう道具のメリットを犠牲にするならするで、それに見合った対価が無ければいけない。たとえば同じ努力で、算数の習得が速いとか、深いとかだ。これは、「そう思う」「そのはず」ではいけない。きちんと、「二重盲検法を用い、危険率○%で有意」といった結果を安定して出さなければならない。

 そんな研究やレポートは未だにない。たとえばネットで探してみた人は、「掛け順ありきの報告」ばかりであることが分かっている。掛け順があったって、勉強すれば成績は上がるだろう。そんなことは当たり前だ。必要なのは、それがある方がいいのかどうかだ。その検証は全くといっていいほど為されていない。

 結局は、あなたの以下の言に行きつくわけだ。

>でも私が親なら「習ったとおりにできなかったお前が悪い」と子供に言います。

 言った通りに動かないなら駄目。それは勉強ではない。機械的にマスゲームをする練習でしかない。こういうことを望むようになると、教育が成立していない。虐待によるロボット製造になっている。子どもと言えど人間だぞ? 相手は人間なんだぞ?

 小学校の勉強で洗脳もどきなことは勘弁してほしい。洗脳でないと言い募るだろうか? それは無理だ。なぜなら、「掛け順を認めないならこんなことが起こる!」と極端な話に飛躍しているからだ。

>「締め切りに間に合いますように」
>「※但し摩擦抵抗はないものとする」

 掛け順自由を認めるなら、上記を認めろと明言している。こんな横車的な子供騙しの力技もどきは通用しない。

 子どもに対してなら通用すると、経験的に知っているのだろうか? それなら人間性に問題があるだろう。そういう強弁が習い性になっている。大人同士でも、すぐにそうヒートアップする輩は迷惑するし、「もう、とりあえずハイハイ返事しておけ」という気分になりやすい。

 しかし、それは誰でもそうなわけではないし、ネットでは冷静に読んでから答えるので通用しない。それは覚えておいて損は無い。

 ちなみに、

>英語で「Yes, I do.」と答えるところを「Yep!!」

は、会話文ならOKになり得る答えだ。Yes, I do.は常に適切なわけではないし、Yep!!も同じだ。それくらいの英語は理解してもらいたい。

 よく知らないことを語ると、こういうボロが出る。注意した方がいいだろうね。

2×8ならタコ2本足
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

こういう授業が発達障害の子供を配慮してのものとはとても思えないけどね。

>ちゃお。さん

>別の観点

その手のくだらない陳腐な主張はこれまでも繰り返しなされているもので、特に目新しいものではありません。

TaKu

素人発言で申し訳ありませんが、「一通りの考えしか出来ない」発達障害の人は、教え方によっては「色々な考え方が出来る」ようにならないのでしょうか。
将来の事を考えれば「色々な考え方が出来る」ようにならないと大変な思いをするような気がします。
訓練次第でどうにかなるのでしたら、かけ算の順序はいい題材になるように思えます。
もちろん個人差はあるでしょうが、パニックにならない状況を周りで整え続けるより、パニックになり難いようにするのがいい教育だと思います。
的外れな内容でしたらすみません。

ちゃお。

>K.Kさん

結局のところあなたは本質を何も理解していないと言えます。

> 敢えて逆を言うようだが、その交換法則は二つの数の掛算において、二つの数の入れ替えをしても答えは同じということを保証するものだ。そして、これは数でのことゆえに、文章題とは全く無関係だ。
> そういう道具のメリットを犠牲にするならするで、それに見合った対価が無ければいけない

そう思っているのは「あなた」であって「出題者」ではないのです。そして何度も言うようにテストというのは出題者を説き伏せる為にあるのではなく、出題者があなたの理解度をチェックするためにあるのですから、あなたの信念は加点対象にはなりません。

> 言った通りに動かないなら駄目。それは勉強ではない。機械的にマスゲームをする練習でしかない。こういうことを望むようになると、教育が成立していない。虐待によるロボット製造になっている。子どもと言えど人間だぞ? 相手は人間なんだぞ?

言ったとおりにすら動けない人間が言ったこと以外の行動をとったとするならば
それは個性ではなく、ただの身勝手です。
個性とは常識の上にオプションとして置かれることで社会生活として通用します。いくら死者の姿が美しいと感じても、人を殺してはいけないのと同じです。
そして義務教育とは「まず言ったことが出来るようになりましょう」という段階を教育するものです。
言ったこと以外の行動を取りたければ、言ったことを理解し、それを証明した上でそれ以外の行動をとるべきです。

> 掛け順自由を認めるなら、上記を認めろと明言している。こんな横車的な子供騙しの力技もどきは通用しない。

論理的反論が出来ない人ほどこうやって「屁理屈だ」「そんなの通用しない」と断定して議論を終わらせるのです。
なぜ通用しないのか、違いは何なのか、論理的に反論できないのならばわざわざ引用してまで答えるべきではありません。
あなたの論の説得力が下がるからです。

>会話文ならOKになり得る答えだ。Yes, I do.は常に適切なわけではないし、Yep!!も同じだ。それくらいの英語は理解してもらいたい。

「なり得る答え」で正解がとれるほどテストは本来甘くありません。
大学入試試験でYep!!と書いてみてください。間違いなくバツになります。
英語として適切かどうか、に答えのポイントがあるとするならば、
所謂試験英語の問題文には半分近くが「英語の言い回しとしては適切ではないもの」が含まれています。
しかし「この言い回しは英語としてはおかしいです」と書いたら?もちろんバツです。その理由は「そんなことは聴いてないから」です。わかりますか?

ちなみにYep!!というのはアメリカでの口語です。試験英語はイギリス英語を主体にしていますのでYep!!という答えが「適切」である場合はほぼないです。それくらいの英語は理解してもらいたい。
 よく知らないことを語ると、こういうボロが出る。注意した方がいいだろうね。

ちゃお。

>積分定数さん

>その手のくだらない陳腐な主張はこれまでも繰り返しなされているもので、特に目新しいものではありません。

そのくだらない陳腐な主張に対して何も言い返せないあなた自身をまず恥じてください。

くだらない。
陳腐だ。
誰でも言えますね。何も考えてなくても言えます。誰の得にもならない。ただの罵詈雑言です。
つまりあなたは自分の論を発表出来ればそれでいい、自分がスッキリすればそれでいいという人間であって、相手とコミュニケーションを取って考えを深められるような人間ではないわけです。
そんな人間があろうことか教育を語るなど、それこそくだらないです。

あなたの陳腐な主張から読み取れるのは私にはこれくらいの情報量しかありませんでした。

K.K

ちゃお。さん:

>テストというのは出題者を説き伏せる為にあるのではなく、出題者があなたの理解度をチェックするためにあるのですから、あなたの信念は加点対象にはなりません。

 当たり前のことを言っても仕方がない。掛算の機能は私の信念と無縁のところにある。

 掛算をきっちり説明したご覧。たとえば「一つ当たりの数」と「いくつ分の数」があって、それが掛算の順番について必然、または好ましい理由を。

 いつもそうなのだが、「そう思いたい」くらいのことしか言えていない掛け順強制人間しかいない。

 掛け順ありきの能書きは不要で有害だ。話をしたいなら、それが役に立つことを説明してからだ。

 あなたのような浅い言辞は、既に随所で行われ、反論して論点に沈黙した例しかない。

>ちなみにYep!!というのはアメリカでの口語です。試験英語はイギリス英語を主体にしていますのでYep!!という答えが「適切」である場合はほぼないです。

 日本では従来からアメリカ英語主体だ。そして、イギリス英語含めて許容範囲が広がっている。思い込みもいい加減にすることだ。思い込みは検証してから言いなさい。

 あなたのような、自分で考えることを嫌い、面倒くさがる人間には者が教えられない。性根を据え直したほうがいいだろうね。

 で、最初に自信満々論じたことは、さっぱり言えなくなっている自分に気が付いているかね?(苦笑)

 哀れなことだ。

ちゃお。

>K.K.さん

哀れなのはあなたです。
自分の書いているコメントの割合から論理的反論がどんどんなくなり、代わりに誹謗中傷や意味のない言葉が増えていることに気づいていますか?

> 掛算をきっちり説明したご覧。たとえば「一つ当たりの数」と「いくつ分の数」があって、それが掛算の順番について必然、または好ましい理由を。

小学校の学習指導要領には小学生が理解するべき事柄として
「乗数が1ずつ増えるときの積の増え方」というのがあります。
つまり「かけられる数が増えるたびにかける数分だけ答えが増えていく」という考え方です。現在の日本では掛け算の根底にあるのはこの考え方です。ここから九九に進んでいきます。
掛け算の順番にこだわる教師がいるのは、この学習指導要領を理解させる事が基本にあるべき、と考えるからです。
学習指導要領が間違っている、というのであれば文部科学省に入って策定委員になるか、学習指導要領に基いて指導する小学校など登校拒否して、独自に教育するべきですね。

> 日本では従来からアメリカ英語主体だ。そして、イギリス英語含めて許容範囲が広がっている。思い込みもいい加減にすることだ。思い込みは検証してから言いなさい。

入学試験に於いては発音が綺麗でより日本人が理解しやすいイギリス英語が主体になっています。元々そういう経緯で外国語授業が生まれたからです。思い込みは検証してから言いなさい。

> あなたのような、自分で考えることを嫌い、面倒くさがる人間には者が教えられない。性根を据え直したほうがいいだろうね。

あなたの場合はものを教えようとする前に、ものを教わる姿勢を身につけるべきです。

ちゃお。

かける順番が違ってバツになるのは構わない、というのは
「偉い人の言うことは無批判に受け止めろ」ということではなく、
「人の言いたいことを理解しろ」ということです。

例えば交換法則を本当に理解しているのであれば
掛け算の順番を変えても答えは変わらない、
つまり変えなくても変わらない、ということを理解しているはずです。
一方その生徒は「かける数」「かけられる数」という小学校で最初に教えている事柄については軽視、もしくは理解していないと取れます。
数学というのは積み重ねの学問なので、基礎となる事柄を踏まえて次の次元の事象を公式化する、という事が求められます
(かける数かけられる数が交換法則の基礎かどうか、というのは
意見が分かれるところだと思います)。
ですので理想は「かける数」「かけられる数」の言いたいことを理解した上で交換法則を理解している事、となります。
両方理解している上であえてかける数とかけられる数を変えているのであれば、当然「何のために?」となりますが、
交換法則を理解しているからかける順番を変えている、という人は、
大抵はそんな事は気にせずに「どっちが先でも答えが同じだから」ということのみを公式として覚えているからそのように答えます。
これは数学教育としてはマイナスです。

次に「かける数」と「かけられる数」という考え方についてです。
国によって考え方の違う問題なのですが、
日本では掛け算とは「1あたり量」という考え方を基本に考えます。1つあたりいくつあるものが、いくつあると全部でいくつ?という考え方です。
この考え方の応用が「0をかける」「分数をかける」「グラフの傾き」「微分積分」へとつながっていきます。

交換法則を掛け算の基礎に捉える子供は掛け算を足し算の延長のように考える傾向があります。つまり3×4は3+3+3+3だから12なんだ、という考え方です。
この考え方を元にして公式化して覚えてしまうと、単位が変わった時、例えばハジキの問題などで躓く子供が出てきます。
「時速40キロで2時間半走る」という現象と足し算の末の掛け算、という考え方に現実的齟齬が生じるからです。

とまあ、色々考えた上でできているのが教育指導なので
答えがあっているから構わない、というのは違うんではないかな、というのが私の考えです。

ちゃお。

最後に軽く「アメリカ英語」と「イギリス英語」について触れておきます。

イギリス英語はアメリカ英語に比べて子音の発音が日本語に近いため、また国土面積の違いから「共通語」というものがハッキリしている為、更には歴史的に最初に国交が樹立して人々が往来したのがイギリスだったため、日本の英語教育はイギリスを主体に行われていました。

その後戦争があり、戦後の日本の教育はアメリカが仕切っていたので、教科書等がアメリカ式に変わっていった経緯もありますが、その後日本が独立した後は再びイギリス英語に戻って行きました。

例えば中学校などでよく出る単語で「郵便屋さん」というのがありますが、イギリスではpostman, アメリカではmailmanです。
教科書ではpostmanと教えるのですが、研修でアメリカに行った時に、アメリカ人にひたすら否定されました。。。

>ちゃお。さん

>算数の授業でわかりやすくするために掛け算の順番を指定しているのであれば、そのテストでは順番通りに解かないと「授業を理解している」とはいえません。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm
>【子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?】
という問題に対して、娘は数字の出てくる順番に、
【5×2=10】という計算式を書いていたのですが、学校ではどうやら、【2×5=10】と、指導しているらしいのです。
>家には、この娘の下にまだ2人の子供がいます。
今日のおやつは袋入りの小さなドーナツです。袋の中にドーナツが何個入っているのかはわかりません。
こういう時、私は3人分のお皿に1個ずつ、順番にお菓子を入れていきます。3人に1個ずつ行きわたったら、また最初の皿から1個ずつ…。
そうするとドーナツは、1人に4個ずつ行きわたりました。
こう考えてみると、我が家に限っては、3個が4回→3+3+3+3→3×4…この配り方をトピ本文の問題に当てはめると、5個が2回分→5+5→5×2、となります。
1人2個ずつね!と言って配ることもありますが、そういう配り方をするのは、ウチでは最初からお菓子の個数がわかっている場合のみです。


教わったとおりにひとつ分×いくつ分の順序で書いてある可能性が大きいにも関わらず、教師の想定した順序と逆だというだけで理解していないと決めつける。

 こういう浅はかな考え。


>数学的に合っているから問題ない、という理論が通るのであれば・・・・

「あれば」の前後のつながりが全く意味不明。


>答えがあっているから構わない、


藁人形


逐一反論するのも面倒くさいくらい陳腐でくだらなくて何の合理性もない。


しかし、順序擁護論がいかにくだらないかを如実に示すコメントになっている。


ありがとうございます。


もしかして、ちゃお。さんは、順序反対派で、順序擁護派をおとしめるためにわざと擁護派の振りをしてくだらないことを書いたのでしょうか?
 そうであるとしたら、失礼な言い方をしてしまいました。済みませんでした。

t.m

ちゃお。さんの書かれていることに基本的に同意します。批判する人々は、「かけられる数とかける数の意味を大事にする」という現状の教育を、改めたいと思っている側に、エビデンスを出す責任があることを、無視しているように見受けます。


そのもとで、勝手ながらいくつか補足させていただきます。2年でも交換法則は学びます。それは、「かけられる数とかける数を入れかえると、答えは同じ」であって、「でも意味はちがう」となります。これは日本に限った話ではなく、"While it is true that 3×4 is equal to 4×3, 3×4 may not be the same as 4×3 in a real-life situation."と書かれている本もあります。


それから、連続する2つの書き込みで「学習指導要領」と「1あたり量」を挙げていますが、これは水と油です。「乗数が1ずつ増えるときの積の増え方」は累加と関連するのに対し、「1あたり量」を用いた意味づけは、累加の課題を克服するために考案されたものです。なお、学習指導要領の解説では、乗法の導入は「一つ分の大きさ」を用いており、教科書では「1つぶんの数」が主流ではないかと思います。「~あたり」は5年で学習します。

t.m

片岡様へ


おつかれさまです。私は、トラックバックを送った者です。


インクルーシブ教育を、トップダウンの方向性ととらえるなら、『医学と教育との連携で生まれたグレーゾーンの子どもに対応した算数ワーク』の本は、ボトムアップからの提案になると思います。何かの機会にご覧いただければと願います。


テストのマルバツとは別に、集団による授業の中で、「かけ算の順番」をどのように取り扱い指導しているかについては、書店で算数指導の本を見るのが手っ取り早いように思います。1冊挙げるなら、筑波大学附属小学校算数部編『板書で見る 全単元・全時間の授業のすべて 小学校算数2年下』をおすすめします。

K.K

ちゃお。さん:

>小学校の学習指導要領には小学生が理解するべき事柄として「乗数が1ずつ増えるときの積の増え方」というのがあります。

 九九がそうだね。それで?

>つまり「かけられる数が増えるたびにかける数分だけ答えが増えていく」という考え方です。

 乗数という言葉を用いたら、乗数で通すべきものだよ。「かけられる数」から「いくつ分の数」に言い換えたいのだろう? そういう話は聞き飽きている。

>現在の日本では掛け算の根底にあるのはこの考え方です。ここから九九に進んでいきます。

 ここだな。数多あるシンプルな間違いはね(苦笑)、説明サンプルがいつの間にか根底にある考え方に化ける。それがおかしいわけだよ。

>掛け算の順番にこだわる教師がいるのは、この学習指導要領を理解させる事が基本にあるべき、と考えるからです。

 学習指導要領に掛け順がないことは文科省が言明している。最近では朝日新聞の記事にも掲載された。昔、掛け順を是認した文言がある指導要領はあったが、その文言は撤回されている。もっとも、「学校に任せる」旨言っていたりはするがね。

>学習指導要領が間違っている、というのであれば文部科学省に入って策定委員になるか、学習指導要領に基いて指導する小学校など登校拒否して、独自に教育するべきですね。

 ほうら、また極論に走る。あなたはホントに沸騰しやすい人だね(笑)。そして、学習指導要領は間違っていない。あなたは二重におかしいわけだ。間違った知識で、しかも自分で自分をたきつけてはいけないね(苦笑)。

>> 日本では従来からアメリカ英語主体だ。そして、イギリス英語含めて許容範囲が広がっている。思い込みもいい加減にすることだ。思い込みは検証してから言いなさい。

>入学試験に於いては発音が綺麗でより日本人が理解しやすいイギリス英語が主体になっています。

 思い込みは検証しなさいと言ってあげたのだけどね。発音は米国(そして、その中西部)が中心となっているよ。並記として英国の発音も教えられる「ことがある」。たとえば語尾のrをどうしているか、それくらいは調べてみることだ。

>元々そういう経緯で外国語授業が生まれたからです。思い込みは検証してから言いなさい。

 まったくね。あなたはいろいろなところで九官鳥だね(苦笑)。鳥では言葉を真似ても内容は理解できないか。


>かける順番が違ってバツになるのは構わない、というのは「偉い人の言うことは無批判に受け止めろ」ということではなく、「人の言いたいことを理解しろ」ということです。
 そこから踏み込んで「算数を理解する」にならないところが、あなたの間違っているところだ。しかも根本の間違いだ。何についてのことか忘れたのかね? 算数だよ。

何の話かも忘れてしまったら、少し頭でも冷やしてきたまえ(苦笑)。

>例えば交換法則を本当に理解しているのであれば掛け算の順番を変えても答えは変わらない、つまり変えなくても変わらない、ということを理解しているはずです。

 九九を覚え始めた途端、明確に遭遇するわけだ。そして明示的に、それが正しいことを教わる。しかし何度も繰り返して教えてあげるが、「かたまりの数」「いくつ分」といったものの掛ける順序は交換法則とは無関係だ。

>一方その生徒は「かける数」「かけられる数」という小学校で最初に教えている事柄については軽視、もしくは理解していないと取れます。

 理解していないのは、あなただよ(笑)。あるいは間違って理解している。「かける数」と「いくつずつ」は無関係であり、「かけられる数」と「一つ分」と無縁だ。

>数学というのは積み重ねの学問なので、基礎となる事柄を踏まえて次の次元の事象を公式化する、という事が求められます

 公式化する必要はないが、まあ、間違いではないね。それで?

>(かける数かけられる数が交換法則の基礎かどうか、というのは意見が分かれるところだと思います)。

 そうだろうね。言葉の定義を曖昧にして述べるからね、掛け順大好きな人は(苦笑)。

>ですので理想は「かける数」「かけられる数」の言いたいことを理解した上で交換法則を理解している事、となります。

 そういうこともあるだろうね。そこから掛け順は出てこないけどね。

>両方理解している上であえてかける数とかけられる数を変えているのであれば、当然「何のために?」となりますが、

 被乗数、乗数ということであれば、たとえばそれが×記号の前と後の位置の意味であれば入れ替えられない。いずれにしても、かりそめの定義でしかないよ。経済学なんかでは、割と積極的に使いはするがね。乗数効果などというものがあったりするわけだからね。

>交換法則を理解しているからかける順番を変えている、という人は、大抵はそんな事は気にせずに「どっちが先でも答えが同じだから」ということのみを公式として覚えているからそのように答えます。

 アレレ~、おはじき並べ(あるいはブロック図等々)って、公式だっけ?(苦笑)

 ま、何度でも教えてあげるが、掛算には因数を分類したり、その順序を決める機能は一切ないよ。そのように洗練された定義があるし、それだからこそ便利になんにでも、どのようにでも使える。

>これは数学教育としてはマイナスです。

 数学を数学として理解する、それが世間の常識であることを確認するのがマイナスであるなら、そしてそれが算数ギョーカイなわけだが、そんなものは願い下げだね。ましてや、子どもに教え込むなど論外だ。

>次に「かける数」と「かけられる数」という考え方についてです。
>国によって考え方の違う問題なのですが、日本では掛け算とは「1あたり量」という考え方を基本に考えます。1つあたりいくつあるものが、いくつあると全部でいくつ?という考え方です。

 人により、だよ。 英語のtimesでも持ち出してくるかね。それ、英英辞書で調べてみたまえ。timeとは別の語として扱われている。前置詞でありmultiplied byと同義としている。そのように英語では理解されているということだ。

(再掲:笑)ま、何度でも教えてあげるが、掛算には因数を分類したり、その順序を決める機能は一切ないよ。そのように洗練された定義があるし、それだからこそ便利になんにでも、どのようにでも使える。

>この考え方の応用が「0をかける」「分数をかける」「グラフの傾き」「微分積分」へとつながっていきます。

 つなげなくてもいい。自然につながっているからね。下手の考え休むに似たり、ということだ(笑)。そして、慣れてしまえば何でもないことを、慣れるときに無駄に重い負荷をかけるのは駄目だと言うことだ。

>交換法則を掛け算の基礎に捉える子供は掛け算を足し算の延長のように考える傾向があります。つまり3×4は3+3+3+3だから12なんだ、という考え方です。

 そのように理解できる部分もあるわけだ。それなら、そのように理解すればいい。徐々にやっていくわけだ。一度に何もかもとしてはいけない。そんな当たり前のことくらい認識したまえ。

>この考え方を元にして公式化して覚えてしまうと、単位が変わった時、例えばハジキの問題などで躓く子供が出てきます。

 躓いたとしたら、教えればいいだろう。そういうことを、あなたはやらないのかね?

>「時速40キロで2時間半走る」という現象と足し算の末の掛け算、という考え方に現実的齟齬が生じるからです。

 あのな(苦笑)、あなたは「2個半」って理解できないということかね?

>とまあ、色々考えた上でできているのが教育指導なので答えがあっているから構わない、というのは違うんではないかな、というのが私の考えです。

 答えが合っているなら、それでいいんだよ。それで測れないものがあるなら、たとえばテストの作り方の問題だ。学ぶ子に何も責任は無い。

>最後に軽く「アメリカ英語」と「イギリス英語」について触れておきます。

 やめておおいた方がいいと思うけどね(笑)。

>イギリス英語はアメリカ英語に比べて子音の発音が日本語に近いため、また国土面積の違いから「共通語」というものがハッキリしている為、更には歴史的に最初に国交が樹立して人々が往来したのがイギリスだったため、日本の英語教育はイギリスを主体に行われていました。

 明治期から戦前まではね。その時点では英語圏では英国が米国より上という雰囲気が世界にはあったわけだからね。

>その後戦争があり、戦後の日本の教育はアメリカが仕切っていたので、教科書等がアメリカ式に変わっていった経緯もありますが、その後日本が独立した後は再びイギリス英語に戻って行きました。

 もう一つの理由は、衰退して行く英国に比べ、米国が世界一に台頭したからだよ。

>例えば中学校などでよく出る単語で「郵便屋さん」というのがありますが、イギリスではpostman, アメリカではmailmanです。

 man? politically correctくらい認識しておきたまえ。

>教科書ではpostmanと教えるのですが、研修でアメリカに行った時に、アメリカ人にひたすら否定されました。。。

 で、それがどうかしたのかね? そんなことは、ごまんとある。辞書にすらね。ちなみに、オーストラリア、カナダ等々、いろいろある。米国と英国だけしか知らないのかね?

 まあ、そうだろうね。辞書にはほとんど米国と英国しかない。あなたはつくづく浅はかなだね。自分が世界を規定している、と意識してかどうか知らんが、そう思い込んでいるところがね(笑)。

K.K

>全てのアスペルガー症候群の人に当てはまるわけではありませんが、何通りも解法(正解への道筋)があると説明されたとします。

 算数教育で、最初からそんなことはしていないわけだ。発達障がいか否かを問わず、初手から可換性まで含めて教えたら、誰でも混乱する。少数の例外的な「それでも分かる子がいる」という論は認められない。義務教育は全ての子の権利だからだ。

 しかし、逆に分かってしまう子に制限も加えることは許されない。それも、義務教育を学ぶ権利を害する。そういう難しさがあるからこそ、公教育での教職というのは資格を要する難しいものであるわけだ。無資格の、たとえばサラリーマンが容易いとは言わんがね。


>あくまでも私見ですが「なんで何通りも答え方があるわけ!? 」「なんで?なんで?なんで?」など本質ではない部分が気になってしまい、パニックになる場合がありえます。

 あり得るね。それがづかしたのかね? パニックが個別に生じるなら個別に対応すべきだし、複数、さらに多数がそうなるなら、マス教育でのやり方の問題点を洗い出して対応する。それがPDC(A)サイクルであるわけだ。見たことを考えもせずに対応するのは、別の問題点を連鎖的に作ることになる。

>あるいは集団の授業なのに先生に納得するまで質問し続け、授業が進められない状況も起こりえます。

 算数を教えることと、集団を指導することを混同しているね。それでは問題は解決しない。算数を教えるうえでは、順々に全容を教えて行くこと、さらに学んでいくと答えが見つかることを前提としていることを、教わる子に納得させておくべきだろうし、集団指導においては、一人が納得いかないからといって、多数に不利益を働いてはいけないことを教える必要がある。

>「かけ算の順番を入れ替えるとバツ」と教える一因に、「発達障害のお子様がいる場合も先生が集団授業をマネジメントしやすくなるように」という要素もあるようです。

 その要素があるのは事実だろう。では、「かけ算の順番を入れ替えるとバツ」としてパニックになることは考えないのか? それでは駄目だ。もぐら叩きがネズミ算で増えてしまう。

>「あえて最初に1通りの解法だけを教える」ことにより、発達障害のお子様がパニックを起こさずに学びやすくなるという面があるようです。

 つまり、あなたは掛け順固定教育でパニックを起こさない子だけを選択的に教育したいということになる。それ、何の選民思想なのかね?

>それにより健常な子どもたちも学びやすくなるという狙いがあるのかもしれません。

 これも同じだ。己が思う通りの人間だけを選ぶ。思う通りでない人間にはバツという罰を与えて苦しめ洗脳する。最低の人間だけがやることだね。

>ただし、学級によって生徒さんの様子も違います。

 生徒一人ひとりで、だよ。学級単位で子どもが規格化されているわけがないだろう。人間はロボットではないのだからね。当たり前だが、その当たり前が分からないようだね。

>そのため、最初は1通りだけの解法を説明するけれども、学級の子どもたちの理解度に応じて、補足として「交換法則」の話をしてかけ算を入れ替えるのもOKなんですよ」と説明する事例もあるようです。

 説明サンプルは統一しておくものだ。それは当たり前なのだよ。子ども同士で勉強して、先生の説明が食い違っていたらどうなるか。子ども同士で食い違いを解消せねばならん。習ったばかりの事をね。そんなことはしてはいけないわけだ。

>一通りで教えるのは数学的な意味付けの他に、現場の先生かだたがこどもたちにわかりやすく教えたいという工夫もあったようです。※2013.1.29 0:25 太字の部分を追加しました。

 当たり前だ。分かりやすい特殊な例から入る。それは常識だよ。いきなり一般化されたものを提示するのは、多数向けには不向きなやり方だ。「上がって来たい奴だけ、ついて来い」的な場合は、いきなり全て提示するやり方も可だけどね。それが公教育、特に義務教育では禁じ手なのは常識だ。

>追記 2013.1.28 23:24 :誤解を与えているようなので追記します。計算式の順番を入れ替えた正しい回答をバツにすることに関しては私がされたらイヤなことです。納得がいきません。私ならば丸にします。

 計算式の順番を入れ替えた、と認識してしまう点で、問題は入れ替えたと思ってしまう側にある。

>子供達に一通りの解法を学校で教えるのには発達障害の子供達への配慮も含まれているようだと書いた次第です。

 ある発達障がいの子ども達、であるわけだ、あなたが言っているのはね。論理の基本だが、「あるA」を「すべてのA」と言い換えてはならない。

>おそらく「正しいものをバツにするのはおかしい」がかけ算問題の論点だと思うので、私が紹介したかった子供たちへの教え方の部分は「かけ算の順序問題」から論点がずれている気がしました。

 正答にバツをするのは、現象の一端でしかない。そんなことは論点ではないんだよ。なぜ不合理で無駄で、しかも常識外れのことがあるのか。なぜ、そうしたものに疑問を抱かないのか。なぜ、小学校(だけではないが)の中では、そんなことが罷り通っているのか。そういうことなわけだ。

 さらに、そうした無理に乗じて儲けている悪徳な輩もいるわけだ。掛け順や割り算の分類をマスターさせるとかいう教材を売りつける、そういう通信教育等々とかね。

 あなたが、発達障がいで悩む人々を食いものにしていないことを祈る。

>採点云々をいいたい訳ではなかったので、題名を「かけ算の教え方」にしたほうが内容にふさわしかったのかもしれません。恐れ入ります。※採点云々の一文を2013.1.29 0:28に追加しました。

 それは、ほとんど的外れだよ。採点の不合理は現象、しかも氷山の一角でしかない。

>前掲しましたが、文部科学省が「インクルーシブ教育」を打ち出しています。「インクルーシブ教育」「共生」に関する詳しい説明、資料は以下のURLからご覧いただけます。

 それを、あなたは噛み砕いて理解すべきだ。「こんなのがあった!」と驚くのはいい。しかし、未消化のまま吐き出すな。そういうことでヘンテコになっているものが数多とある。ある算数教育系季刊誌には、そうしたものが満載状態だ。しかも、あちこちで好意的に参考にされたり、真似されたりしている。非常にまずい状況だ。

>これからの日本の教育がどうなっていこうとしているのか。参考になるデータが集められているのではないでしょうか。

 ひたすら伏せられ、ひたすらデータが集まらないようにされている。現状を改善しようとするデータはね。

>今後は今まで以上に障害がある子どもたちも普通学級で健常な子どもたちと学ぶように制度が変わっていくようです。

 そうなるべき部分はだろうね。そして、分離すべき部分もあるだろうね。

>教育制度の変化、「インクルーシブ教育」「共生」という考え方が「かけ算の学び」にも影響を与えているようです。

 ある子にはね。繰り返すが、それがすべての子へと飛躍してしまわないことは大事だ。

 このコメントの最後に、あなたの重大な欠陥を指摘しておく。

 恣意的な選択肢を作り、「これとこれは駄目だから、残るこれが良い」としてしまう悪癖だ。

 あなたが作った選択肢以外に、無数の選択肢が現実にはある。それを認識しない限り、あなたは問題を解決する方向で何かをすることはできない。

K.K

私は本当に冷静怒っているのであって、あなたが言っているような誤魔化しの言い訳などは無用なことは知っておいてもらいたい。

あbc

掛け算の順序に大人がいろいろな夢や希望を詰め込みすぎてわけわからん状態になってることはわかった。
この手の話題は必ずと言っていいほど子供が置き去りにされるんだよなあ。子供のため子供のためと大人はうそぶくけれど、ほんまかいな。
インセンチブ教育だか割り算のための布石とかどうでもいいけど、それはもちろん子供に説明して納得してもらってるんだよねえ?
そうでないのなら「この方法以外認めない!」なんて脳死教育の方が有害そうだけどなあ。

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