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グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

IBMフェロー 浅川智恵子さんを参考に、自分のキャリアを見直しました

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浅川智恵子さんによる情報アクセシビリティの講義を拝聴

今日は第39回出版UD研究会 IBMフェロー 浅川智恵子さんと、部下の高木啓伸さん(日本アイ・ビー・エム株式会社 東京基礎研究所)による、「情報アクセシビリティの世界から見た本のアクセシビリティ」に参加しました。

浅川さんは事故で青年期に視力を失われたそうです。そして、全世界のIBMの技術職の中で最高位の方だそうです。

情報アクセシビリティの研究者として、プロフェッショナルの流儀(NHK系)に出演された事もある、知名度が高い方だと知りました。浅川さんの仕事の実績については以下の記事に詳細に記載されています。

参考:9月1日(土)第39回出版UD研究会のご案内 2012/08/14 19:21
テーマ「情報アクセシビリティの世界から見た本のアクセシビリティ」
ゲストスピーカー:浅川智恵子さん(IBMフェロー)
http://blog.goo.ne.jp/ud-pub_blog/e/89faeccb5f45400706f84a3633ae07cb#

私は浅川さんが開発されたaDesignerという無料ソフトを利用していたのでお名前を存じあげていました。私はこのソフトでウェブサイトの使いやすさ・アクセシビリティを確認しています。

aDesignerは視覚的な使いやすさだけでなく、音声合成でサイトを読み上げている人の使い勝手もわかるのが素晴らしい点です。

使いやすいウェブサイトかどうか、このソフトは数値化して教えてくれます。直す必要がある点をメッセージで知らせてくれます。

個人が開発したソフトでありながら高性能。しかも無料。ソフトに公益性がある点にも感銘を受けました。

今日の浅川さんと高木さんの講義は質疑応答もタメになる内容が多かったです。浅川さんはご聡明で綺麗な方だし、素敵だなあと思って帰宅してからある事に気がつきました。

文学系のご出身!?

私は浅川さんの生い立ちは、途中から講座に参加したので聞きそこねたのですが、Wikipediaによると浅川さんは英文学を専攻されていたと記載がありました。

以下、Wikipediaからの引用です。

小学校時代にプールで泳いでいた際に頭を壁にぶつけて怪我をし、視神経を痛めたのがもとで徐々に視力が衰え始め、中学2年生のときに失明。 1982年に追手門学院大学英文科を卒業。

  • 1984年 日本ライトハウス情報処理学科修了。同年、日本アイ・ビー・エムの学生研究員として点字翻訳システムを開発。
  • 1985年 日本アイ・ビー・エムに正式入社、東京基礎研究所に配属。
  • 1992年 日本語デジタル点字システムを開発。
  • 1997年 IBM ホームページリーダー開発。
  • 2001年 IBM Academy of Technology メンバー。
  • 2004年 Web Accessibility の評価ツール aDesigner開発。
  • 2004年 東京大学工学系研究科先端学際工学専攻 博士課程修了。 博士(工学)
  • 2007年 IBM Distinguished Engineer、音声ブラウザー aiBrowser開発。
  • 2009年 IBM Fellow

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/浅川智恵子#section_1 より引用

学生時代はお互いに文学系で浅川さんと似ていたのに今の自分を省みると......。IT業界に入ってから作り出したもの、世の中への貢献度など今までの自分のありかたを猛反省しました。

過去のキャリアを見直す

私は学生時代に日本文学を専攻していたものの、ソフトウェア会社に就職しました。汎用機系の言語に配属されましたが、失敗ばかりで上達しませんでした。

明らかに向いていないので、周りに迷惑をかけないために一年で辞めました。情報処理二種を持っていたおかげでExcel VBAやAccessマクロ作成の仕事につけました。

女性社員の中では最年少だったのに、お茶くみやコピー取りが著しくひどかったので、これは会社を首になるとおもいました。そこで手に職をつけようと考えました。

2001年からは会社が終わってから、占いとJavaとIllustratorを習いに行きました。以下のような事を考えたからです。

「女性は歳をとってくると恋愛や結婚、子育て、夫の出世の問題で占いにすがりたくなる時期がくるのではないか?」

そして、これから無線LANが普及してウェブ系のIT技術が発展する気がするから、ウェブ系のプログラミングができれば会社を首にならないかもしれないと仮説をたてました。

占いは一年勉強しましたが、先生から「上級コースはプロになるだけの資質がある人だけ受講できるので」と説明され、終了しました。

会社を首になった時のために、自分でウェブサイトを構築してポートフォリオを用意しておいたほうがよいと考えました。

単にHTMLでサイトを作るだけでは美大の人に完敗なので、最新技術を使おうと考えました。

確か2002年にNTT-BB社のブロードバンドサービスを契約して、動画配信サービスやmixiのコミュニティにそっくりなSNSみたいなものをつくりました。

ストレス解消法のサイトをつくっ、て副題をおいしい生活のレシピにしました。ストレス解消法のサイトと書いてあるのにお料理サイトと間違える人が多かった。

しかし、塞翁が馬。コミュニティはお料理のレシピの話題で非常に盛り上がりました。第一回ブロードバンドコンテストで優秀賞を受賞しました。

受賞はお料理のレシピでコミュニティが盛り上がったからと思いきや、審査員によると"タロット占いの動画配信"が決め手だったそうです。非常に驚きました。

賞をとったおかげなのか、会社を首にはなりませんでした。しかし、私は世間知らずな事が多すぎたので、体調を崩しました。会社を退職しました。

Javaを教えていただいていた先生が、アルバイトの仕事をくださいました。私はフリーランスの講師になりました。

私が大きく判断ミスをしたのは、2002年の頃のように作品を作らなくなった事です。体調を崩して以降は、講師の仕事に慣れる事に必死。仕事に関係ないものは、一切作っていませんでした。

2010年に物作りをしようと、仕事が終わってから夜中に、ベジェ曲線でバナー作成など毎日作って練習。一ヶ月で左肩を負傷しました。

作品を作ってナンボ

浅川さんのようにものを作り、公益性のある物を無償公開。一方で自分で作った作品をビジネスとして売る取り組みもした方がいい、という気持ちになってきました。

私のブログは英語の記事が一つしかないのに、英語圏の人が毎月600人くらい閲覧されています。日本語の記事を英語圏のどなたかがお読みくださっているようです。※Googleアナリティクスのデータを参照。

おそらく日本文化に関心がある外国の方がご覧なのかな?と推察しています。今後は日本国内だけでなく、世界全体を土俵にみなして仕事をしないといけないのかな?と体感しています。

浅川さんのように世界で通用するもの、公益性のある作品を作るように、私が意識をシフトしたほうがいいと考えました。

子どものICT教育は続けるけれども、ものを作る事でビジネスに取り組み、その体験を子供達に伝える。を目標に、実践したいと思います。

編集履歴:2013.12.19 23:56 冒頭の一文を追加しました。2012.12.3 2:15 最後の文章に「を目標に実践したいと思います。」を追加。2013.12.19 17:50 「過去のキャリアを見直す」の部分を独立させました。同日17:52 「気軽に書いたものほどアクセス数が良い」の部分を独立させました。2013.12.19 17:52 「IBMフェロー 浅川智恵子さんを参考に自分のキャリアを見直しました」から独立させました。同日19:21 「「過去のキャリアを見直す」」から独立させました。2013.12.20 0:03 冒頭の一文を追加しました。2015.4.17 20:23 別記事として独立させた「過去のキャリアを見直す」「作品を作ってナンボ」を再統合しました。句読点を追加。本文から「>>「過去のキャリアを見直す」に続く」「>>「作品を作ってナンボ」に続く」「「過去のキャリアを見直す」の続きです。」「一般の人からも」「下手くそでも製作して、フィードバックを得て改善できれば、私にとって素晴らしいです。」「2002年の頃のように最新技術を取り入れるなど、自分なりのトライでものを作る事を再開します。」「もちろん」「生き方が子供たちからカッコイイと思われる大人になる。」「私はIT系の講師なので浅川さんのように作品を作って物で表現する事も必要なのではないか?と考えさせられました。」「IBMフェロー 浅川智恵子さんを参考に自分のキャリアを見直しました」の続きです。」を削除。「の話の」→「は、」、「組んで、」→「組み、」、「あり様」→「生き方」、「する必要がある勘が働きました」→「した方がいい、という気持ちになってきました。」、「心配して」→「、」に修正。「後」「、これから」を追加。

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