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ナナメ45度の角度で渡世する非社会人の非日常的日常

私は昨日、アイティメディアを辞めました

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 エイプリールフールネタではない。私は本当に昨日、つまり2009年3月31日付けをもって、アイティメディアを辞めたのだ。在社すること9年余り、思えばよく続いたものだと思う。円満退社だったことは、こうして辞めた翌日にブロガーとして再登場できたことでも分かるだろう。

 そもそも私は会社勤めには向いていない。真っ当な勤め人からすれば信じられないことだろうが、毎日同じルートで同じ場所に行くことさえ、苦痛なのだ。通勤ラッシュなど、とてもではないが耐えられることではない。

 そんな私がアイティメディア(当時はZDNetだったが)に勤めることになったのは、入社のときの条件が破格だったからだ。まだまだ“なんちゃって株式会社”だった同社で、面接のとき社長から言われたのが、「出勤は週3回ぐらい、会議のある時に来てくれればいいです」「他社の仕事をやってもいいです」「出勤時間は自由にしてください」――なんという条件だろう! これなら“こんな私”でも勤まるかもしれない、と思ったのも無理はない。 

 ついでに上長になる取締役にはもう一つ条件を付け加えておいた。「2002年の日韓ワールドカップのときは1カ月お休みします」。これも了承された。2002年の6月には、本当に1カ月出勤しなかった。編集長業務は宿泊先のホテルでPCを繋ぎ、こなした。おかげで日本戦3試合を含め、合計13試合を観戦できた。

 変化を感じ始めたのはいつ頃のことだろう。多分、「アロハ・サンダルでの出勤は禁止」になったのが最初ではないかと思う。夏といえばアロハ、Tommy Bahamaのアロハを夏の制服代わりにしていた私にとっては、いきなり暑苦しい服を着ることになってかなり閉口したものだった。

 浮き沈みはあったが、アイティメディアは概ねすくすくと成長した。とともに、だんだんと“なんちゃって会社”からまともな会社になっていった。2006年、ドイツで開かれたワールドカップに私は行けなかった。1990年のイタリア大会から続いていたワールドカップ参加記録は、こうして途絶えた。

 アットマーク・アイティとの合併、マザーズ上場。株式を公開すれば、もう“いっぱしの大人”である。社員数も契約社員などを含めると200人を超えた。大人になれば、社会常識やルールを守ることが求められる。規則も増えた。会議も信じられないぐらい多くなった。

 ルールが決まれば、ルールを守れない人間がスポイルされるのは自明の理である。私は「朝9時半に出社する」「定時には会社で仕事をする」という、ごく当たり前のことが生理的にできない。こうして2枚目のイエローカードをもらい、ピッチを後にすることになった。

 こんな私である。「反社会的勢力」ではないが、「真っ当な勤め人」でもない。無理やり垂直に立っていた暮らしを止めた今、45度ぐらい傾いて渡世していくことになるだろう。ナナメ45度の角度で世の中を見ると、どんな風景が映るのか――私のブログでは、それをお伝えしていこうと思う。

P.S.というわけで、来年の南アフリカ大会のときは1カ月仕事をお休みします。宿はすでに確保済み。各編集部の皆様、よろしくお願いします。

1960年生まれ、早大卒。元日経新聞記者。その後、出版社を転々とし、1999年、ソフトバンク・ジーディーネット設立に参画。ニュース編集長、コンシューマー事業部長などを経た後、内部監査室長でアイティメディアを退社。現在はフリーランスのライター兼オンラインのアンティークショップ店主。座右の銘は「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」。

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