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やあ、金田一さん、お元気でしたか?

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今年になってからずーっと、土曜日曜も仕事など何かと忙しく、落ち着いて本も読めなかった。いや、読んでたんですが、「のんびり」と読めなかった。この土日は、なんとも久しぶりに、何も予定がない。金曜日の晩に用賀の本屋で創元推理文庫 日本探偵小説全集 9 「横溝正史集」を購入。厚さ 2.7 cm、766ページに及び、びっしりと細かい活字が埋まっている。

「うっ、うれしすぎるっ」

長編短編を集めた本で、特に「本陣殺人事件」と「獄門島」が入っているのがうれしい。金田一耕助が始めて登場する「本陣殺人事件」は昭和12年ごろ、戦前の岡山が舞台。発表時期は実は前後するのだが、戦争が終わり、復員した金田一耕助は、「獄門島」の前奏曲のような「百日紅(さるすべり)の下にて」でニューギニアでの戦友のひとり「川地謙三」のことづけを届けに来て、ひとつの事件の真相を明らかにし、もうひとりの戦友「鬼頭千万太」の死亡を伝え、千万太の最後の言葉のために獄門島にわたったのだった。

有名な小説たちなので内容を知っている人も多いと思うが、例に倣い、ここではストーリーは書かない。

私がこれら横溝正史の金田一耕助シリーズが好きなのは、戦前や戦後すぐの岡山や信州の風土を思い浮かべる事ができるからだ。横溝正史は、病気や戦争のための疎開地として、上諏訪や岡山に住んでいた。だから本物の景色や人々の暮らし、田舎の慣習や因習、血のつながりの不思議さ、不快さを目にし、感じ、思ったはずだ。横溝正史の小説を読んでいると、舗装されていない道、黒々とした瓦屋根、土蔵、深々とした林やじめじめとした森、雲の流れ、湖など、を思ってしまう。

もちろん、これらのイメージを膨らましてくれるのが、市川崑監督の「金田一シリーズ」だ。石坂浩二の金田一耕助ははまり役で、これに比べるとテレビシリーズの古谷一行の方は、ぎらぎらしすぎているように思える。「犬神家の一族」のリメーク版は、76年版のと2枚組みになっているDVDを購入し、見比べた。76年版の金田一は若すぎ、06年版は歳を取りすぎている。しかし、石坂浩二の演技で、06版の方が金田一らしい気がする。

配役も両方ともすごすぎる。06年版の犬神松子役の冨司純子は、76年版の高峰三枝子に比べ、母親の強さだけではなく、女の弱さすら表現していて、美しい(すみません、おふじさんファンなので)。しかも、役での親子役、犬神佐清の尾上菊之助は、本当の親子なので、スチールを見ると鼻筋、顔立ち、そっくりである。松坂慶子、萬田久子のような主役級を脇において、なお、おふじさんの演技はゆるぎないのだ。

等々力署長の加藤武、大山神官の大滝秀治は、30年前と同じ配役。すごいね。30年前は竹子の役だった三條美紀さんが今回は老女のお園役というのは、時代の流れか。市川組なので、三条さんは出てこないとね。ホテル(名ばかりだが)の女中「はる」の役は、30年前は坂口良子、今回は深キョン(深田恭子)だ。この役は、金田一を見守っているコメディエンヌなので、もっと微妙な間を取った方がよかった気がする。深キョン、ドロンジョとか、やはりコメディエンヌを目指すべきだと思うのだけれど、もっとコケティッシュに、体から出てくる可笑しみのようなものがほしいな。ところで、刑事役で、尾藤イサオが出てるんだけど、あの人、何歳?

犬神家の一族は、映画にするととても映えてすばらしいけれど、小説としたら「獄門島」はいいなあ。私の探偵もの小説のベスト5のひとつだね。映画の獄門島の方は、浅野ゆう子が白目むいたり、佐分利信の了然がさすがだったりするけど、大原慶子の早苗は、若干気弱さ、はかなさが出たらよかったのに。

新しい獄門島にするなら、早苗を壇れいさんあたりでお願いします。あ。単なるファンでして(ぽりぽり)。金田一耕助は、だれだろう。いないなあ。それに、昭和20年代を画像化できる監督はいるのだろうか?

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