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ITの技術や方向性考え方について別の選択肢を追求します

サンは機能化(狩猟型)集団なのか

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司馬遼太郎の「歴史の中の邂逅」という本が、中央公論新社から今年の4月に出版された。司馬遼太郎さんが亡くなられてから、すでに11年経つのに、こういった本が出版されるのは、司馬さんの洞察力が普遍のものだったのか、それとも司馬さんの読者層が健在で、出せば売れるので、編集者が縦のものを横にするような編集努力をして出版しているのか、おそらく両方ともが正しいのでしょう。

この本はシリーズもののようで、司馬さんが雑誌や新聞、本のあとがきなどに書いた文章を、登場する人物の年代順に並べています。その第一巻目に「織田軍団と武田軍団」という文章があり、雑誌「諸君」の1969年11月号に載ったものだ。機能化集団、管理型集団としての織田信長の軍隊と、農耕型、日本的な武田家の軍団との戦争能力の違いから、織田信長のみが天下平定が可能であったことを示唆しています。

この文章の中で、司馬さんは、

いいわるいは別として、終身雇用などというもの、役に立たなくなっても何かのポストをつくってくれて定年まで安楽に暮らせる、という会社が「藩」であればこそなんです。しかしこれが管理社会でないことはたしかだし、これでは企業競争に生き残れない、・・・・

 

と書かれています。徳川の世が300年続いたのは、いかに人に反乱をさせず、安泰に暮らせるかのみを追求したからだ、と、述べています。それは、能率・機能性を求めない体制だった。それが農耕型の発想だったからだと述べています。農業を基本とする社会では、その年の取れ高が低くとも、首になることはない、来年また同じ田んぼで稲を育てていくために、人の和を尊重し、トップのものは情実調整能力のみ求められます。

かたや、ジンギス汗のような遊牧民族、狩猟民族においては、能力のあるものがリーダーとなる、命がリーダーにかかっているのです。リーダーが愚直では食い物にあり付けない。織田軍団では、秀吉や明智光秀のような有能な人間であれば、出自が何であれ採用される。逆に能力がないものは、追い出される。信長を教師としていた秀吉は、蒲生氏郷には100万石を与えますが、その子供に能力がないと取り上げてしまう。人を機能としてみるからです。

司馬さんは、機能主義は平等主義だとも述べられています。一瞬逆のようにも感じられますが、機能主義・管理組織では、能力のある人、目標を達成した人には、その分の褒美が与えらあれ、うまくいかなかった人には、それなりにしか支払われません。

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さて、現在に視点を戻すと、皆さんの会社はどうでしょうか。日本的・農耕的な部分や文化を色濃く残していると思われます。人さまの事を言うのも変ですので、弊社、サン・マイクロシステムズはどうかというと、たいへんに狩猟型の組織であるといえます。言い換えると「機能化集団」の色彩が濃いです。特に米国本社はまったく機能化集団です。日本の組織は、さすがに日本人主体ですので、日本的・農耕的な考えが若干ありますが、基本的には他の日本の会社に比べれば、機能化集団といえるでしょう。

ITにおける機能化集団は、常に技術的革新を追い求めていかなければならない宿命にあります。だからサンは研究機関を強化し、常に新しい技術を作り出しています。そうしなければ、企業価値すらないかのように。

機能化集団の特徴に雇用の考え方があります。たとえば、他の企業のように、サンも全世界を3つの組織(アメリカ、ヨーロッパ・アフリカ、アジア太平洋)に分けていますが、以前、全てを米国本社直結にしたことがありました。このとき、アジア太平洋地区のHQにいた人たちは、不要になったので、能力のあるなしに関係なく、解雇でした。組織を変更したので、足りない部分にサッと潜り込む人もいましたが、外に職を見つけた人も多くいました。感覚が異なるので、血も涙もないとは一概に言い切れませんが、もしかしたら、私自身も、私のしている業務がサンの戦略上不要となったら、職を失う可能性があります。

また、従業員の評価も明確で、目標値を達成したか、しないかです。日本での歴史の浅い外資系企業に多く見られる状況でしょう。いわゆる能力主義ですが、これがそのまま適用されると、毎年の給与の差は驚くほどに異なってしまいます。目標を達成されなければ、生活が出来ないほどに、下げられてしまいます。なお、目標値はトップダウンであり(当たり前です)、こんな目標値は無理だと言っても、じゃ、いくらやるのと言われるだけです。

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司馬さんは、これからは管理社会・機能化社会でなければ生き残れない、と、1969年に書かれていますが、現状のところどうでしょうか? 

他の業種は語れませんが、このITの市場を考えると、必ずしも猟場環境だけではないように思えます。つまり田畑もあるのだと。両方の特徴を持っているのがIT市場なのでは、ないでしょうか。こういったアナロジー的な表現では、事実と異なる想像を与えてしまうので、注意しなければならないのですが、つまり、技術革新、競争原理だけでなく、長期的な敷設も必要な市場なのだと思います。 

日本のサンも、当然両方を見据えながら企業活動をしていく必要があります。でも、本社の戦略が大きく変わって、私の仕事がなくなったら、誰か救ってくださいね。

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