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私の不合格の記録 - なさけなぁい話です

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大里真理子さんのマリコ駈ける!で「共通一時の思い出」の投稿があり、私もコメントさせてもらいましたが、どうせなら私の受験体験もこっそり書いておこう、と思って投稿します。

 

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私の受験の始まりは中学受験。当時いまのさいたま市に住んでいたので、埼玉大の附属中学校を受けた。落ちた。受験結果を見に行った後、おふくろにレストランに連れて行かれて、生まれて初めてグラタンを食べた。

長野市の中学に転校したが、おやじが東京で単身赴任していたので、高校は東京の高校を受けた。志望校は落ち、滑り止めの高校に滑り止まった。この高校、大学の附属高校だったので、受験勉強をしなくとも大学に行けるので、当然のように好きなことばかりしていた。おやじとのふたり暮しだったので、毎晩、おやじと飯を食うため、料理を始め、面白さに開眼してしまった。

あとは、登山と読書。漢文の先生がたいへんすばらしい先生だったので、漢文だけは勉強した。一学年10クラス、550名おり、450名までは附属元の大学に推薦入学できるが、後の100名は体育大学系への推薦入学しかなかった。2年の終わりには上から500番目あたりの成績になった。しかし、体育の先生や選手になるつもりはなかったので、この時点で大学受験を決意した。

大学では物理を勉強したかった。湯川秀樹、朝永振一郎、アインシュタイン。こういった人たちがどんなことを研究しているのか知りたかったから。物理学科のある国立大学と私立を受けたが、受験勉強などしていなかったので、現役ではすべて落ちた。

一年浪人(代々木ゼミナール)し、次の年も物理学科のある国立と私立を受けた。大里さんのブログのコメントに書かせていただいたが、友人が国際基督教大学を受けると言ったので、付き添いのつもりで受けたら、私が受かり、友人は落ちた。なんと国際基督教大学には物理学教室があるのですねぇ。当時、一浪してどこにも受からなかったらコックになると決めていたのだが、受かってしまったので勿体無いので入学した。実はICUに受かったので、国立は東大を受けたのだが、あっけなく落ちた(笑)。 

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ということで、私は一度として志望校には受かっていない。なさけない話だが、それでも今なんとか3度の食事も取れているし、アパートだが住む場所もある。UNIQLOだが服も着ている訳で、受験で失敗したからといって人生失望することはないですよ。う~ん、受験生には応援にはならないなぁ。

ちなみに入社試験だが、Canon に入りたかった。大学の先生に推薦してもらい(先生の弟さんがCanonで蒸着などの物性の研究をなさっていたので)、Canon の人事の方もそのつもりになっていたので、もう受かったも同然と思っていた。最後の役員面接で、その年に取締役になられた御手洗富士夫現社長に落とされた。さすが先見の明のある方である (おぃ、感心してどうする!)。

最終的にIBMには受かったのだが、志望の優先順位としては4番目(最後)だった。受かったのはIBMだけだった。大学で取ったコンピュータの授業は面白くなかったから(プログラムが書けず、後輩の女の子からコピーさせてもらった)別にコンピュータの会社に行く気はなかった。それに、もうコンピュータなんて時代じゃない、これからは遺伝子操作だ、なんて思っていた(当時は生物物理が流行りだったので)。

IBMを受けたのは、ロゴがかっこよかったという理由からだけでした。 m(_ _)m

Comment(2)

コメント

とおるさん
トラックバックありがとうございます。それにしても、このエントリー面白すぎます(笑)「塞翁が馬」ー前向きでおおらかに物事を捉えているところが素敵です。

マリコさん、コメントありがとうございます。 
 
過去は変わらないので、ありのままを受け入れる。将来はどうなるのかわからないので、自分の納得する事を選択する。選択するのに、何ものにも囚われないようにする。現状をあきらめない。これが、私の理想とする生活。だから、「代替案のある生活」なんです。

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