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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「マネージャー」=「偉い人」なのか、というソボクな疑問。

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あるコラムを読んでいましたら、「女性も偉くなるべし」的な論調で展開されていて、なんだかちょっと違和感を覚えました。

「管理職になること」=「偉くなること」

と定義づけているようで、うーん、ほんまやろか、と似非関西弁で唸ってしまったのでした。

管理職、マネージャー、あるいは、経営者。

偉くなることでしょうか?

責任の範囲が広くなる、責任が重くなる。
やりたいと思うことの可能性が広がる。
他者に対する影響力が強くなる(うまくリーダーシップを発揮できれば)。

などなど、管理職・マネージャーになればできることは増えるでしょうが、それ「偉くなる」ことなんでしょうか?

私は、常々思っているのですけれども、

「マネージャー」は「役割」であって、「地位」ではない、はず。

「地位」だと思うから、おかしなことになるケースも多々あります。たとえば、今では考えられませんが、部下に「タバコ買ってきて」とプライベートな買い物をさせるなんてありましたよね、昔。

・・・・。

・・・まそれはそれとして。

女性の活躍を祈る、女性ももっと頑張ろう!というのであれば、

「偉くなろう!」

ではなく、

「もっと自分の裁量でできることを増やしてみないかね?」

というメッセージのほうが有効だと思うのです。

女性が「いや、私は、女だから」と腰が引けているとき、「もっとやれることを増やしてみないかね。もっと影響力を及ぼせる範囲を増やしてみないかね。もちろん、責任も重くなるけど、それを楽しんでみないかね」とそういうメッセージを女性に向けて発信してはどうなんだろう?と思ってしまいました。

「我慢しなくてもいいんだよ。やりたい、って口に出していいんだよ」も伝えつつ。

そして、それって、一つの選択肢として管理職・マネージャーというものがあるのであって、専門職としての道を究めるというのもきっとありで、たくさんの選択肢を、あきらめることなく、「自分で選んでいく」ことが大事なんだよ、ということも同時に伝えていく。

もちろん、男性にも同じですけれど。

偉いとか偉くないではなく、「自分にブレーキかけずに、やってみたいことがあれば、やってみようね」というそこが大事な気がしておりまする。

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話題になっている『リーン・イン』を読み始めました。

ああ、かの国の女性も同じように内なる声にブレーキかけられてしまっているのだなぁ・・としみじみしながら、読み進めています。これは、読み終わったら、また読後感をこちらで書くつもりです。

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