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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

本の出番、あるいはWeb検索を使って物事を深く理解することの困難性について

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年末年始は5冊目の本を書いていた。
その最中に「世の人々は要求定義、要件定義、基本設計などの言葉を、どの様に使い分けているんだろうか?」と思ってGoogle先生に聞いてみた。
もちろんその辺は僕の専門であって経験も豊富なので、仕事をする上では人から教わる必要はない。
だが本を書く上では少し確認する。僕はこういった定義や、最適な作業プロセスをゼロから自分で考えるので、しばしば世間で言われていることとずれるリスクがある。ずれていても仕事では支障ないが、本を書く上ではズレを知った上で読者に配慮したい。

ところが、先生がリストアップした検索上位の記事をパラパラと読んでみたものの、理解にはとうてい到達できそうにはなかった。「あー、これ以上読み進めてもなるほどこう言うことか、という感じにはならんな」という感覚わかりますよね。初心者がGoogle先生にものを教わる時代は完全に終わったんだなぁ、と嘆息した。

記事の書き手によって見解が完全にバラバラなのが原因だと思う。見解が違うだけならまだ良いが、話の前提が全くバラバラだし、書き手がそれを認識していない。

例えば「システム構築プロジェクトは要件定義から始まるのだ」という前提の人(SEとかプログラマー?)は、
・業務改革の目的や方向性の検討
・業務フローを書く
みたいなことも要件定義の一部だと書いている。

例えば「システム構築プロジェクトでは、発注者と請負業者は役割を明確に分けるべきである」という前提の人は、
・発注者がやるのが要求定義
・請負業者がやるのが要件定義
と書いている。

どちらも僕の意見とは違うが、その人の中では整合していて、別に間違った記事ではない。
だが、自分の意見を確立出来ていない人が、いくつかの記事を読めば読むほど混乱するだろう。上記の様に、書き手のバイアスや経験の違いによって前提からズレていることに気づくことすら難しいから。

初心者がGoogle先生にものを教わる時代は完全に終わった。そこで「一つの価値体系のもとに一貫して書かれた文章群」の出番となる。つまり本だ。
分かりにくいだろうからもう少し説明しよう。

例えば、要求定義、要件定義について僕はかつていくつかのブログを書いた。
だが、6年前の記事もあれば2年前の記事もあるし、書く切り口はその時々で微妙に違う。1つ1つの記事は変なことは書いてないのだが、続けて読むと矛盾したこと、少しずれたことが書いてある。例えば要件定義と要求定義という言葉の使い分けが曖昧だったり。僕という1人格が書いた記事同士ですらそうなのだ。

だが、1冊の本を書く時に、章と章の間に矛盾があるのは許されない。1冊の本は、一貫した観点、一貫したオピニオン、一貫した言葉遣いのもとで書かれ、それをまるっと読者に提供すべきものだと考えている。
そういう本がないとは言わないが、ちゃんとした本とは言えない。本というのは単なる記事の寄せ集めではない。(こういう観点で、僕は大勢の執筆者の寄稿を集めた本が好きではない)


なぜ本は一貫性が命なのか。
このインターネット時代に、わざわざ「本というフォーマット」で情報を届ける意義がそれしかないからだ。
本来、情報はある程度はハンドリングしやすい大きさにバラけさせたほうが拡散しやすい。昨今、本が売れにくくなっているのは、単にインターネットで無償の記事が読めるというお金の問題だけでなく、本というフォーマットが情報のまとまりとしては大きすぎて流通しにくいからなのだ。
朝の通勤電車で読むには、全10冊の大著より、3分で読める記事×5本の方が楽だ。なんなら140字×100本の方がもっと楽だ。もともと読書が好きで自分でも本を書いている僕ですら(頭ではダメだと思っていても)Twitterやブログを眺めてしまうのだから、普通の人はもっとそうだろう。
それにも関わらずあえて情報をバンドルして、読者に多大な読書時間を強いるメディアが本である。だからせめて、バンドルされた情報は、一貫性した体系をベースに書かれているべきだ。そうしないと本である意味がない。

だから本を書くにあたっては、自分の体系を改めて整理する必要が出てくる。それをしないと散漫な本になってしまう。僕が毎回違うテーマで本を書いているのは、この整理が自分にとって楽しく苦しい修行だから、という面が大きい。


一方読者にとって読書の価値も、この「一貫性した体系」にある。
少なくとも1冊の本を読んでいる限りは、書き手の一貫した価値体系に浸ることになる。
例えば先にあげた「要件定義とはなにか?」に、正解はない。だが一旦は著者の定義に身を任せてみる。そうすると、そこを土台に「要件定義がそういう意味だとしたら、どういうプロセスで進めるべきか?」「誰がやるべきか?」「実務上、何が困難なのか?」などと考察を深めることができる。
一貫した体系という土台をもとにしないと、到達できない深い理解というものがあるのだ。読書というのはそういう体験だ。

一方で、Googleがリストアップしてくれた記事をいくつ読み散らかしてもこうはいかない。記事によってバラバラな土台に立って、「だから要件定義はこうあらなねばならない」とか書いてあるのをいくら読んでも、混乱するだけで深い理解には到達できない(ものすごい洞察力の持ち主なら別だが、そういう人はさっさと書き手側に回ってほしい・・)。


Googleで簡単に検索ができるが、その検索順位は近年ますます怪しくなってきた。「今日は○○についてまとめてみました。どうでしたか?」という定型まとめ記事(いわゆるどうですか記事)の増殖もひどい。

こういう時代だからこそ、本で学ぶことの価値が再び高まっている。
本で学ぶ能力を身に着けているか否かが、知的労働者の成果を分ける。本で学ぶ能力というのは、長文読解力、読み通すための根気、お金と時間を使う意思、良い本を選ぶ選球眼などの総合力だ。
僕が尊敬するビジネスパーソンは例外なく読書家だ。
一周回って本の時代の時代ですよ、皆さん。

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