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どんなときに主語を省略できるのか 【文章技術:ピリオド越え】

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 翻訳原稿を編集していて、どうも同じ主語が続いて文の流れが悪いなと思うときがある。「私は… 私は… 私は…」と続く原稿を見ていて、つい「カモメ」とつぶやいてしまってもおかしくはない。もちろん英語の文には主語があるのが普通だから「I(私)」が続いても問題ないが、日本語だとそうはいかない。

 しかし、同じ主語が続くからといって、いつでも削除できるわけではない。どういう場合に省略してもいいのか。その手がかりのひとつが、三上章(1960)が提唱した「ピリオド越え」である(註:ここでピリオドとは句点「 。」のこと)。

 ピリオド越えとは、「Xは」という主語が以降の文の主語としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

 最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。それぞれの文に主語を入れてみると次のようになる。[ ]のところが主語を追加した箇所である。

吾輩は猫である。[吾輩(に)は]名前はまだ無い。[吾輩は]どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
[吾輩は]何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

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 このように「吾輩は」は以降の文のピリオド(つまり句点)を越えて作用し、これらの文をひとつの意味的なかたまりとして認識するように働いているのである。

 では、どのようなときにピリオド越えが起き、どのようなときに起きないのだろうか。
 それに関しては、清水佳子(1995)が興味深い指摘をしている。清水は、主語が持つ属性を述べた文(属性叙述文)と主語の行動を説明する文(事象叙述文)の2つに焦点をあてて分析している。この属性叙述文と事象叙述文との組み合わせは4つある。次の3つ

   属性叙述文 → 事象叙述文
   事象叙述文 → 事象叙述文
   属性叙述文 → 属性叙述文

の場合には、2番目の文に主語はあってもなくてもよいが、次ののケースでは省略できない。

   事象叙述文 → 属性叙述文

 本当だろうか。実際に例文で確認してみよう(※1)。なお、[ ]でくくっている箇所は、省略可能を表している。

 ばんちょ〜は趣味の多い人である。[ばんちょ〜は]昨日は釣りに出かけていった。
 ばんちょ〜は昨日釣りに出かけていった。[ばんちょ〜は]半日ねばったが一匹も釣れなかった。
 ばんちょ〜は趣味の多い人である。[ばんちょ〜は]釣り同好会の会員でもある。
 ばんちょ〜は昨日釣りに出かけていった。ばんちょ〜は釣り同好会の会員である。

 は前半と後半の2つの文でひとかたまりの内容を表しているが、は、あるひとつの「事態」を述べている。つまり、ばんちょ〜が何をしたか(あるいは何が起きたか)を述べている。そしては、ばんちょ〜がどのような人なのかを「解説」している。
 ところがでは、前半で「事態」を述べ、後半は「解説」している。つまり、前半の文と後半の文とが担う役割が違うため、(主語の)省略が困難である という。

 以上のことから、どのような含意が得られるのかを考えてみると、編集あるいは翻訳時に「ここは主語が省かれているけど、どうも違和感がある」「同じ主語が続いて鬱陶しい」という場合の主語の付加/削除の判断基準になりそうだ。


※1 清水論文と同じ例文だが、「ばんちょ〜」ではなく「鈴木さん」となっている。
 [お名前お借りしました。>ばんちょ〜様]
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【参考文献】
三上 章(1960)『象は鼻が長い 日本文法入門』くろしお出版
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4874241174/
久野 暲(1978)『談話の文法』大修館書店
 http://www.amazon.co.jp/dp/4469220213/
庵 功雄(2003)『『象は鼻が長い』入門』くろしお出版
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4874242782/
清水佳子(1995)「「NP ハ」と「φ(NP ハ)」『日本語類義表現の文法(下)複文・連文編』くろしお出版
 http://www.amazon.co.jp/dp/4874241107/

「ピリオド越え」以外にも三上章から学ぶべきものがあると山岡洋一氏(故人)も述べている。有志により再公開された「翻訳通信」を参照。
●山岡洋一(2005)「翻訳論講義 翻訳の理論をどう学ぶか」翻訳通信、2005年6月号 第2期第37号
 http://www.honyaku-tsushin.net/bn/200506.pdf

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