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書評:『古代東アジアの女帝』

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第130回.jpg古代東アジアの女帝
入江 曜子(著)

 本書の冒頭で、80歳を超えた著者は、高らかにかつこの上なく明晰に述べる。「これまで女帝は中継ぎの存在にすぎない、あるいは巫女的な役割であったなどその存在を矮小化されてきた。しかし、それは古代社会を男性中心に考える歴史観の偏見にすぎないのではないだろうか。時系列に従って箇条書き的に事柄を並べる正史の底流を繋いでいくと、逆に、伝統に依存した男性支配の政治の停滞と破綻が見えてくる」と。本書は、推古から持統までのわが国の女帝たちと、新羅の善徳、真徳女帝、唐の武則天、都合9名の7世紀に輝いた女帝の鮮烈な生涯を掘り起こし、東アジア史を読み直そうとした意欲的な試みである。

 どうして、この時代に女帝が次々と登場してきたのか。7世紀は、大唐世界帝国が新しい華夷体制を確立しつつある中で、朝鮮の三国が揺れに揺れ、唐・新羅に対して百済を救援すべく日本が海外出兵に踏み切った激動の時代であった。日本の野望は白村江の戦いで脆くも潰え去るのだが。著者は鋭い人間観察で女帝たちの実像に迫り、激動の時代にあっては強靭な資質こそが何よりも尊ばれたと、また、推古が善徳のロールモデルになったのではないか、との仮説を立てる。天智の実妹であった間人が大王に即位していたと考え、天智の大后、倭姫を天智朝と天武朝のあいだのミッシング・リンクとして位置付ける。しかし、圧巻は、やはり、遠謀深慮の持統と実に50年の長きに渡って権力の座にあった武則天であろう。なお、著者は歴史の偶然性にも言及する。「この世紀の中軸ともいうべき時代の王―天武、天智、(唐の)高宗に通底する620年代生まれの気質とでもいうべきものが、女帝の強靭な資質に場を譲ったことにもあるのではないか」と。つまり、男性が揃いも揃ってだらしなかったというのだ。

 中国を統一した唐は、北魏、隋、唐と続く鮮卑・拓跋部が建てた国である。遊牧民の拓跋部では女性の地位が高く、早くも5世紀後半には、均田制を施行した馮太后が都の平城(現在の大同)で権力を恣にしている(わが国の平城京のモデルはおそらく平城であろう)。ここから女帝のロールモデルが始まったと見ることもできるだろう。また、著者は武則天の死で女帝の世紀は終わったと筆を擱いているが、8世紀の称徳まで含めて考えることも可能であろう。武則天を写したといわれてきた洛陽郊外、龍門石窟の本尊盧遮那仏は、東大寺の毘盧遮那仏にそのまま繋がっており、称徳は武則天の影響を色濃く受けている(勝浦令子「考謙・称徳天皇」)。もっとも、半世紀も大唐世界帝国を統治した女傑の影響を受けなかった東アジアの国があるはずはない、と素直に考える方が自然であろうが。

 いずれにせよ、唐の揺籃期、気候が温暖となり分裂していた東アジアが統一へと向かう画期を舞台に、「事実は何か。それだけを考えて」という恩師(故村山光一)の言葉に励まされて労作を書き上げた著者に深い敬意を表したい。

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