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書評:『石の物語』

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『石の物語:中国の石伝説と『紅楼夢』『水滸伝』『西遊記』を読む』 
ジン ワン(著)

タイトルを一瞥しただけで、もうこれは読むしかないと観念させられるタイプの本がある。本書のサブタイトルに紅楼夢の文字を見出した瞬間に、紅迷の僕は観念した。本書は、中国の石伝説と、冒頭がいずれも石から始まる「紅楼夢(石頭記=石の物語)」「水滸伝」「西遊記」を論じたものである。

本書は6章からなる。第1章は「テクスト相関性と解釈」。先ず「他のテクストから完全に自由なテクストは存在しない」という「テクスト相関性」の問題が指摘され、司馬相如の「いろいろと混ぜ合わせて『文』を作るのだ」という言葉が紹介される。そして著者は、「連続性と非連続性とを同時に保持しつづけること」がテクスト相関性の特徴だと述べる。第2章は「石の神話辞典」。淮南子に描かれた、女媧が五色の石を溶かして蒼天を補修したという神話が語られる。第3章は「石と玉」。玉は石の精髄である。女媧は3万6千5百個の精錬した石を使って天を補った後、余った一個の石を捨てたのだ。精錬されたために霊性を具えた石は、選にもれたことで昼夜泣き悲しむ。その石が、僧侶と道士に会って俗界への欲望を燃やし、玉に姿を変えて下界に天下る。こうして紅楼夢の幕が上がるのだ。著者は、紅楼夢の中心を成す宝玉と黛玉の恋を、玉の持つ清らかさと真正さを手掛かりに「偽りに汚染された公的コード(≒儒教)の押し付けに抵抗し、清らかで真正な私的空間を何とかして守ろうとする人間の悲劇」と読み解く。そうであれば、舞台が、没落の運命にある富豪の閉ざされた庭園、大観園であることにも納得がいく。更に、著者は、女媧石の悲嘆は屈辱感から生まれるのではなく「異質でありそれゆえ独自の存在であることへの恐れこそが、激しい感情表現を引き起こしている」と指摘する。なるほど。著者の主張がストンと腑に落ちるのは、石の神話を渉猟し尽した上で石と玉との関係を整理しその延長線上に紅楼夢の構成を見据えているからだ。

第4章は「石の物語」。紅楼夢の結末で、しかし、玉は石に返る。「別世界の書は別世界の話しを伝え、人と石は再びまったき1つのものとなる」。連続した差異と変化と矛盾によって生じた亀裂が、なぜ、調和的な結末によってふさがれるのか。ここに、紅楼夢のパラドクスがあると著者は見立てる。第5章は「欲と空のパラドクス」。女媧石と同じく変容のエネルギーを持つ石から生まれた孫悟空、トリックスターとインド伝来の好色な猿という2つのテクストを加えて西遊記の絵解きがなされる。第6章は「文字を刻んだ石碑」。伏魔之殿の奥深く石の下に封印されていた百八の星の化身たちが解き放たれる水滸伝は、文字を刻んだ石碑が紅楼夢と共通している。著者は封禅の儀やモーゼの石板に言及しているが、キューブリックのモノリスや八犬伝にもイメージは繋がろう。

ともあれ、石を題材に、古代の伝説と3つの物語が響きあい、仏教、儒教、道教を縦横無尽に論じたこれほどまでに豊饒な世界が展開されるのは、1つの奇跡に近い。この3つの物語は、すべて石の円環の中にあるのだ。「花には香り、本には毒を」という大好きな言葉があるが、新訳紅楼夢(井波陵一)を再度手に取ったのは、毒が速やかに回ったからだろう。紅迷の徒にとっては必読の1冊だ。

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