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書評:『快楽について』

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第93回.jpg快楽について』 
ロレンツォ・ヴァッラ (著)

かつて「コンスタンティヌスの寄進状」と呼ばれた世紀の偽書があった。その内容は「ローマ司教(ローマ教皇)に自分(ローマ皇帝)と等しい権力を与え、全西方世界を委ねて、自分はコンスタンティノープルに隠居する」というものであった。もちろん、ガリア(フランス)を根拠地としたローマ皇帝たるコンスタンティヌス大帝がそのような文書を残すはずもなく、これは8世紀ごろにローマ教皇庁によって偽造された文書で、(東)ローマ皇帝からの独立、ピピンの寄進(755年)やシャルルマーニュへの(西)ローマ皇帝戴冠(800年)などの根拠として広く活用(悪用)された。この文書を厳密な考証に基づき偽作と論じたのが15世紀の人文学者ロレンツォ・ヴァッラである(「コンスタンティヌスの寄進状を論ず」)。ヴァッラは、古代の原典を丁寧に渉猟することで、ペトラルカやボッカッチョが始めたユマニスム(人文主義)を大地にしっかりと根付かせた。また、ヴルガータ(ヒエロニムスによるとされるラテン語訳聖書)ではなくギリシア語の聖書を、そして、中世のキリスト教社会でタブー視されていたエピクロスの快楽説を復権させようとした。それが本書であり、ヴァッラの代表作である。文章は生き生きしており、今読んでも全く古さを感じさせない。しかも精神的な快楽を求めたエピクロスに対して、ヴァッラは激しく肉体の快楽を高揚しているのである。

ある祭日の昼食後、パヴィーアの聖堂の柱廊(アテナイを想起させる)に有徳の学識者が集まり、まず法学者・弁論家のカトーネが、高潔の徳についてストア主義讃美の弁論を行う。これに対して、詩人のヴェージョが、快楽こそ善であり、身体美やブドウ酒など快楽説を具体的に展開するとともに、自然の法に従えと性的快楽の追求を肯定し、エピクロス主義を讃美する。これが第1巻。しかし、カト―ネ22ページvsヴェージョ93ページという分量が著者の意図のほぼ全てを物語っていよう。

第2巻に入ると、ヴェージョのストア主義論駁はさらに激しさを増す。勇気(われわれの益、つぎに両親の益、最後に祖国の益)、自殺(小カトー、スキピオ、ルクレティアなどの事例を引いて)、名誉や正義(ヘロドトスとは異るギュゲスの物語が面白い)などの項目について、快楽が高潔に勝ることを畳み掛けるように実証していく。そして、ヴェージョは全員を自邸への晩餐に招待するのだ。

ヴェージョ邸での晩餐の後、美しい庭園でシンポシオンは大団円を迎える。それが第3巻だ。ここではフランチェスコ会の修道士・神学者のラウデンセがカトーネとヴェージョを批判して(止揚して)キリスト教的快楽説を唱える。地上の快楽よりも天国の快楽(至福)がいかにすばらしいか、ラウデンセは天国の景観を述べ、ダビデや聖母(聖女全員が随行)について語る。聖母が「きみをだきしめ、くちづけをしてくださるでしょう」。そして、キリストが「両腕をひろげてきみを抱擁なさるでしょう」と。

本書は1431年に出版されているが、男尊女卑という時代の制約(ヘレネのレンタルなど)はあるものの、古典の引用部分を除けば、今年出版されたと言っても通じるだろう。キケロやウェルギリウス、ホラティウスやオウィディウスなど古典の引用が多いのは、ヴァッラがおそらくアテナイの学堂(弁論)を意識したためであろう。ヴァッラは本書を通じて、道徳の番人(ストア派)を排して、信仰・希望・愛というキリスト教の「真の徳」によって真の善(快楽)へと近づくことを真正面から論述したのである。もちろん、地上の快楽と天国の快楽は「一直線上に」ある。クアトロチェント(15世紀)のイタリアルネッサンスでは、最高の裸体画が花開く。ヴァッラの堂々とした理論づけなくして、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」やジョルジョーネの「眠るヴィーナス」が果して生まれただろうか。ヴァッラが至上の神の教会を人間の住む地上に引き降ろしたので、画家は存分に絵筆が揮えたのだ。ここにルネッサンスを準備した真髄の1冊がある。

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