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ICT業界動向やICT関連政策を基に「未来はこんな感じ?」を自分なりの目線で「主張(Assioma)」します。

キュレータとは? - ONETOPI最新バージョン発表とキュレーションについて考える会に参加して -

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先日、ITmediaさん主催のONETOPI最新バージョン発表会に参加させて頂き、その中でキュレーションについて考えると題したパネルディスカションにパネラーとして参加させて頂いた。

当日の様子は、下記二つから参照して頂くことが可能だ。
 Naverまとめ:キュレーションメディアONETOPIって何だ?
 Ustream:ONETOPI最新バージョン発表とキュレーションについて

当日話した内容を少し補足しつつ、「キュレータ」について私の考えをまとめてみた。

■言葉とは?
 キュレータの話をする前に、まず「言葉」というものが誕生したある仮説についてお話したい。

 言葉の起源には、大きく二種類の説があり、一つは動物の「しぐさ」で物事を伝えていたものが「言葉」になったという説と、鳥の鳴き声などの「リズム」が「言葉」になったという説がある。

 すなわち「言葉」とは、ある一定期間の時代、地域で共通する、「しぐさ」や「リズム」を「ラベル」にした物だと考えられる。

 住む場所、住む次代が異なれば、その響きは当然異なる。その時代に生きる人の「センス」によっても代わるだろう。このことを考えると、一つの言葉が特定の場所、時代で定義されたとしても、「所変われば品変わる」のが「言葉」なのだ。

■キュレータの言葉の定義について
 良く、博物館や美術館の「キュレータ」と、ソーシャルメディア上の「キュレータ」が比較される。「美術館のキュレータは、そもそも」という論調で、美術館のキュレータの職務について語られる。

 しかし、私の住むIT業界では、概念として既存の言葉を用いて、本来の意味と異なるケースというのは多い。例えば自然界では「クラウド」と言えば、大気中にかたまって浮かぶ水滴のことを指すが、IT業界ではインターネット上で提供されるサービスのことを指す。ATMやBYODといった単語も、一般の世界とは異なる意味をもつ。

 従って、美術館のキュレータの人を引き合いに出してくるのは、少し無理があるのでは無いかといつも感じていた。言葉の起源を考えると、美術の世界等で語られる「キュレータ」と、ソーシャルメディア上での文脈での「キューレータ」は、その意味が異なっても問題無いのでは無いかと思う。

 大切なことは「ソーシャルメディア上でのキュレータ」の定義を、ブレないように定義することだろう。美術界のキュレータとの比較は参考にはなるが、かえってあちらの世界のキュレータの方に失礼なのでは無いかとすら思う。

■私の考えるキュレータとは
 まず、必須条件として下記の二つを満たしていること。
 ・特定のテーマに対して語るに値するバックグラウンドを持っている
 ・「公平無私」、自分の利益や主観、感情を判断基準から外し、公平に記事をピックアップする

 その上で、単なる記事のピックアップでは見えてこない、新たな知見等を加味し、より多くの人がその記事を活用出来るような紹介を出来る人。

 が、私の考えるベストなキュレータだ。

■役立つ記事は紹介されず、「話題になる記事」だけがピックアップされる
 私も有料メルマガを始めてから「仕事で役立つ記事」を毎週ITとソーシャルメディアに関連したトピックを10個ずつピックアップしている。そこである傾向が見受けられることに気づいた。

 これは「仕事で役にたつ」と思う記事は全くといって良いほどバイラルが発生していない。本当にやくにたつそうなノウハウ等は全然呟かれていないのだ。

 では、どんな記事が多くの「キュレータ」達に呟かれていると言えば「話題になりそう」な記事なのだ。例えばFacebookやGoogle、AppleといったGang of Fourに関連する記事ならこぞって呟かれている。しかし、Appleの新製品の情報等、はっきり言ってしまえば大半の人にとって仕事の上では役に立たないだろうし、呟かなくてもマスメディアから自然と情報が入ってくる。

■本当に役立つノウハウは紹介したくないのが人情
 「この情報は自分の提案に役に立つ」そう思った時、「皆さんにも有用な記事なので"シェア"しよう」と、考える人が何人居るだろうか。ソーシャルメディアは共有の文化と言われるが、現実にはこのようなシチュエーションになった時、「誰にも知られたくない」と思うのが、普通の人の心情では無いだろうか。誰だって自分が見つけたお宝は他の人、ましてや社内の出世争いをしている同僚には気づかれたく無いと思ったとしても、それは不思議なことでは無いのでは無いだろうか。

 そういった私欲を捨て、公平無私に、本当に役立つ情報を厳選して紹介する、それは出来そうでいて中々難しいことだ。

■ONETOPIの課題
 原則としてボランティアベースで運営されるONETOPIで、「無報酬」でキュレーションを行いつづけるキュレータがどの程度、公平無私でいられるか。それが大きな課題となるだろう。

 なぜなら、仕事で役立ちそうな記事というのは、内容が専門的だったり、難しかったりするため多くのリアクションが期待出来ないのだ(秘密にしておきたいという気持ちも働くかもしれないが)。

 リスナーからのリアクションが無いとなるとキュレータとして「モチベーション」を維持することが難しくなる。リアクションが無ければフォロワーも増えないので益々モチベーションが続かない。

 そして、次第に「役立つキュレーション」から「話題性のある記事のピックアップ」へと変貌していく。そんな危険性があるのでは無いかと考えている。

 これは、ONETOPIがどのような方向性に進むかというブランディングにも関わってくることだが、話題性のある記事を提供するのか、専門的で役立つ記事を紹介するのかで、キュレータの「モチベーションコントロール」が課題となるだろう。

■情報過多の時代に生きるということ
 最後に、情報過多の時代について一言述べたい。

 現在は情報爆発時代であり、増えすぎた情報を誰でも検索出来るように検索エンジンが登場したが、余りに情報が多くなり、ゴミの山から宝石を探し出すような状態になった。そこで、選び抜かれた宝石だけを提供してくれる「人」を求めるようになった。ソーシャルメディアによって良質な情報に触れやすくなる「はず」だった。検索エンジンに変わってソーシャルメディアが求められるようになったとされる「定説」であり、私も自著にそう書いた。

 しかし、検索エンジンの時代、私達は情報にアクセスしようとするとグーグルに聞いた。グーグルという扉を開けなければ、無数の情報に触れる必要が「無かった」のでは無いだろうか。それが、ソーシャルメディアの時代になり、情報は洪水のように向うから流れてくる。必要な情報も不必要な情報も。人間の脳は新しい情報に反応する。そのため私達はその情報が有用であるか不要であるかに関らず、新しいという事に反応し疲弊する。

ソーシャルメディアとは人類にとって、「情報洪水」という扉を開けるパンドラの箱だったのでは無いだろうかとすら思う。

 この開けてしまったパンドラの箱が、人をより豊かにするための道具なのか、人を軽薄で思慮の浅い人に変える道具なのか。その答えを私達は自らの体験をもって各々が見つけなければならない。

 その解決策の一つが「キュレータ」なのかもしれない。ONETOPIだけを見ていれば情報洪水の中から開放される。そんな信頼出来るキュレーションメディアとして発展することを期待したい。

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