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デスクトップLinuxはなぜ普及しなかったのか

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先週は、IBMがRedHatを買収した件で大騒ぎでしたね。この件でいろいろ調べていたら、こんな記事が目に止りました。

25歳になったRed HatはLinuxの先を見つめる

その中にこんな一節があります。

LinuxがMicrosoftのデスクトップ支配に敢然と立ち向かうかのように見えた90年代半ばの熱狂とは異なっているものの

そう、昔はLinuxはデスクトップWindowsに闘いを挑んでいたのですよね。今でももちろんデスクトップLinuxはありますが、主流はサーバー向けですし、Red Hatの成功もそこから来ています。

boroboro_computer.png私は今の会社を立ち上げる直前、RedHat Japanに在籍していました。12-3年前です。当時はLinux(というかオープンソース)はMicrosoftと全面戦争状態にあり、RedHat社員のPCはすべてデスクトップLinuxでした。(経理など一部の部門にはWindowsもありましたが)そのときに、やはりLinuxはデスクトップユーザーには使いづらい、ということを感じました。

バリバリのOSSコミュニティの人たちは、「かなりWindowsに近くなった」「少し我慢すれば全然大丈夫」と言っていましたが、ずっとMac/Windowsを使ってきて、半ば強制的にデスクトップLinuxを使わされた身としては、「あれもできない、これも不満」という状況だったのです。つまり、作っている側は「かなり良い線行ってる」と思っていたのが、利用者から見ると「全然駄目」だったわけで、この辺のギャップにデスクトップLinux失敗の要因があるように思います。

デスクトップLinuxのどこが残念だったのか

当然のことながらMicrosoft Officeが使えないのでOpenOfficeが標準ですが、細かい部分の操作が違うしファイルフォーマットも完全互換とは言えず、社外の企業や官庁とのデータのやりとりがうまくいかないことがしばしばありました。(プレゼンソフトで三角型が描けずに半日悩んだ、と言っている人もいました)未だにMS Officeが世界標準として使い続けられていることを考えると、この点が、企業がデスクトップLinuxを使おうと考える上で最も大きな問題だったのだろうと思います。Macはその点、幸運だったと言えるのでしょう。

もうひとつの大きな問題は、デバイスドライバです。プリンタやオーディオボードなどのドライバは、ベンダーが用意するもので、ベンダーは誰も使っていないようなOS向けのドライバを作りたがりません。そのため、接続できるデバイスがWindowsよりも明らかに少なく、そのときは動いても、将来のサポートも約束されていない状況でした。

UIは一見Windowsに似ていましたが、細かいところで違いがあったりツールによって見た目や操作が違ったりして、Windowsを知っていればいるほどその違いに気づいていらいらする、という状況でした。AppleのUIを最高と考える私にとって、Macより劣るWindowsの、さらに劣化コピーでしかないデスクトップ(当時はRHEL4でしたね)は、苦痛でしかなかったのを覚えています。コンシューマデバイスにおける一貫したUIの大切さを実感したということですね。

あと、日本語版で問題だったのはフォントです。英語は文字数が少ないため、アウトラインフォントも簡単に作ることができ、無料の優れたフォントがたくさんありましたが、日本語のフォントは非常に高価で(モリサワのフォントが1書体数万円で売られていた時代です)、OSSのディストリビューションに入れることは到底不可能だったために、コミュニティで作ったフォントを使っていたのです。作って下さった人たちには申し訳ないのですが、画面上の見栄えも印刷物も非常に悪いものでした。

一貫したデザインは集団開発体制では無理なのか?

そんなことを考えながらネットを検索していたら、こんな記事を見つけました。

何がLinuxデスクトップを殺したか

この中で筆者は、「デスクトップ分野で Linux をターゲットとしようとするサードパーティの開発者のエコシステムを殺した」のは以下の様な理由であったと書いています。

(a) 第一の要因:物事があまりに早く変化し、オープンソースも独占ソフトウェアも同じように壊れる。(b) Linux ディストリビューション間の非互換性。

これからわかるのは、開発のスピードが速く、多くの意志決定者が絡んだことで単一の方向性を出せなかった、ということです。それによって、多くのハッカーが「見た目が優れたUnix」であるOSXに移行した、というのです。「未だにメジャーなデスクトップAPIが4つある」ということですから、今でも状況はあまり改善されていないようです。

上の記事の最後にこうあります。

Linux を正常な状態に戻す唯一の手段は、一つのディストロ、一つのベースラインコンポーネント一式に絞り、それ以外はすべて諦め、皆がこの単一の Linux だけに貢献するようにすべきだ。

ただ、その後の〆として「頭のいい人たちが最後まで意見の一致をみないだろうけど」とも ^^;

優れたUX開発のために必要なこと

私は、デスクトップLinuxのユーザーが増えなかった原因は、一貫した使いやすいUX(ユーザーエクスペリエンス)を提供できなかったことも大きかったと思います。Windowsの完全なコピーで無くても、Linux内で操作性が一貫していれば、それなりの使いやすさは感じられ、ユーザーも増え、ソフトウェアも増えていったと思うのですが、それを全体で調整する仕組みが働かなかったということなのでしょう。Linuxの開発の中心はカーネルであり、UI部分は本流ではなかった(MacやWindowsを表面的に真似するのが精一杯)ということも要因としてはあったのかな、とも思いますが、多くの人が開発に関わるプロジェクトで優れたUI/UXを開発すること自体が難しいのかも知れません。

私はUI/UXの設計には一貫した思想というか理念が必要だと思っています。それが無いと、デバイスの操作のあちこちで操作や動作が異なったり見た目が違ったりして、結果としてUXが損なわれてしまいます。UI/UXは「デザイン」であり、理想的には突出した個性が担うものなのではないでしょうか。Appleのデザインは言うまでも無くJobsの拘りの結晶ですし、今ではJonny Iveがその役割を引き継いでいます。Mac開発の際にJobsがフォントに拘ったのは有名な話ですし、初代iPhoneの時にもいろいろな逸話があります。結局、万人に受け入れられるUI/UXはカリスマ的な個人によって産み出される、という皮肉な構図になっているのです。

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