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マスコミに残された存在価値

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他人の迷惑も顧みず、深夜に電話をかけてくるマスコミは何かおかしくないか――という記事を読んで、僕は若干違った印象を受けました:

【正論】慶応大学教授・阿川尚之 「マスコミの常識」は非常識 (MSN産経ニュース)

もちろん「情報を伝えるためにはマスコミは何をしても良い」というつもりはありません。2ページ目で指摘されている「居丈高な物言いをする」「無責任かつ根拠のないコメントをする」というのも、最近のマスコミで目につく問題点です。総論で賛成なのですが、次の箇所については、状況は変わりつつあるのではと感じました:

速く伝えなくても、価値の減じない情報もある。相手かまわず夜中にたたき起こし取材して、一刻も早く伝えねばならない情報がどれだけあるのか。速報性を言うなら、新聞はネットやテレビに負ける。それでも人が新聞を買って読むのは、より正確で深い分析を求めるからだろう。

速報性という部分で、新聞はネットに負ける。しかし正確で深い分析ができるのは新聞だ――いまもそう言えるでしょうか。個人的な印象ですが、特定の分野(IT系など)については新聞等の既存マスコミでよりも、ネットの方でより正確な・深い分析を目にすることが多いように感じます。新聞やテレビは紙面や放送時間という制約があるのに対して、ネットはいくらでも情報を載せられるばかりか、関連する情報にいくらでもリンクすることができます。「ネットは玉石混淆」などと言われたのも過去の時代で、やり方さえ知っていれば、いくらでも「玉」を見つけることが可能でしょう。しかもますます多くの専門家たち、あるいは事件の当事者たちがネットで声を発するようになっていますから、見つけられる「玉」の数自体が増加しています(その一方で「石」が増えていることも事実ですが)。このような状況であれば、「新聞の方が深い分析をしている」などとも言えなくなっているのではないでしょうか。

ではマスコミに残された存在価値は何であろうか、と考えた場合、僕は「機動力」だと思います。何か事件が起きた場合、すぐに現地に飛んで取材する。面識のない相手、もしくは情報を出そうとしない相手から、無理やり情報を引き出す(もしくは「記者クラブ」などという形で、自分たちしか接触できない情報源を確保する)。誰も見向きもしないようなテーマを地道に取材して、スクープをものにする。これらは個人として情報を発信している人には難しい芸当です。皮肉かもしれませんが、阿川さんが体験された「深夜1時に電話をかける」というような行為自体、マスコミが残された存在価値を守ろうとしているものではないでしょうか。

繰り返しますが、だからと言って非常識な行動を取って良いというつもりはありません。そうではなく、マスコミは機動力という武器を正しい方向に使って欲しいと思います。それこそ政治家の不正を暴いたり、役人の腐敗を追及したり、企業が隠蔽しようとする事実を白日の下にさらしたり。個人では追えないテーマを組織として追求する、それが本当の存在価値として、マスコミに残されているのではないでしょうか。そしてそれが認識されれば、お金を払っても読もう・見ようとする人々、広告主ではなく「後援者」に近い意味で広告を出す企業が増えるのではないか――というのは過剰な期待かもしれませんが、存在価値に見合う新たな収益源が生まれるのではないかと思います。

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