IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

会社が買収されてもあわてないための方法序説

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本記事は2011年2月20日付で公開されたものに、現状にあわせた内容やエピソードを加筆したものです。


2011年NECとレノボが合弁会社を設立し、PC事業を移管した。2014年にはソニーがPC事業を「VAIO株式会社」として分離したし、2016年には富士通もレノボとの連携を検討していると報道された。東芝もPC事業の再編を検討中だという。

PC事業に限らず、部門売却や経営統合は日常茶飯事となったが、多くの人は「自分とは無関係」と考えているようだ。でも、企業規模の大小にかかわらず、自分の会社や部門がなくなる可能性は意識しておいた方がよい。

 

■DECの経営者は無能だったのか。

前回の記事「ケン・オルセンの訃報にあたって」について「DECについて少々辛口ですね」とのコメントを頂いた(初出時)。特に辛口のつもりはなかったが、DECについては甘い評価をするエンジニアが(世界的に)多いので、相対的に辛口になってしまったかもしれない。ただ、私の職業人生のスタートであり、多くのことを学んだDECには感謝していることは書き添えておく。

「DECが凋落したのは経営者が無能なせいだ」と一般には言われる。確かにPCに乗り遅れたのは経営判断のミスだが、1980年代までの経営方針は極めて優秀だった。

DECのビジネス戦略は、IBMを頂点とする汎用機ベンダーにはない独創的なものだった。全社システムではなく、部門や現場で導入できるコンピュータからスタートしたこと。OEMを重視し、DEC製のコンピュータを「部品」として採用できるようにしたこと。ハードウェア規格を積極的に公開し、周辺機器ベンダーが参入しやすかったこと。いずれもIBM汎用機に代表されるクローズドなマシンとは全く違ったアプローチだった。そして、これらの特徴はすべてPCに受け継がれた。正確には、Apple IIからIBM PCに受け継がれた。

会社はなくなっても文化は生き残った。名前は残ったものの、創業事業とは全く違う製品を作り、全く違う文化になってしまう会社は多い。それに比べれば社名は消えても文化を残すことの方が価値あることではないかと思う。なくなる会社に勤めている人は大変だろうとは思うけれど。

 

■日本のPCの歴史

日本で最初に完成品のパーソナルコンピュータを発売したのは日立製作所で、1978年のことだった(ベーシックマスターMB-6880)。NECのPC-8001は1979年、シャープのMZ-80Cも同じ年だ(ただしMZ-80Cと同じ構成の組み立てキットMZ-80Kは1978年)。富士通は少し遅れて1981年にFM-8で市場に参入した。1982年にはソニーがSMC-70を発売した。世界最初の3.5インチフロッピーディスク搭載マシンである(その前にワープロ専用機に搭載されている)。

日立は2007年にコンシューマ向けPCから撤退、2010年にはシャープも撤退を決めた。2011年にNECがレノボと提携し、ソニーはVAIOを分離、富士通も事業再編を検討中なのは冒頭に書いたとおりである。

つまり、現時点でPC事業の継続意志を見せているのはVAIOだけとなった。

Mz80k.jpg
MZ-80K
By Lax1と推定(著作権の主張に基づく)- 投稿者自身による作品だと推定(著作権の主張に基づく), パブリック・ドメイン, Link

 

■部門売却・事業統合の場合

事業再編の経営的な是非は私の専門外である。ただ、部門売却の経験者として、現場の人はどういう気持ちなのかを少しは想像することができる。

社員は、自分の会社の企業合併や部門売却は新聞などのニュースで知る(私のときはニュースにもならなかったが)。多くの人は、こんな重要なことが知らされなかったことにショックを受けるが、これは法的な制約のためらしいので仕方がないことだ。ここで会社に不信感を持たないでほしい。

次に、新会社へ移籍するかどうかについて迷う。今は景気が悪いので、転職は難しいかもしれないが、技術職なら不可能ではないだろう。ソニーが買収したコニカミノルタのカメラ事業には、社員は含まれなかったらしいが、実際にはコニカミノルタの多くの社員がソニーに転職した。今でもカメラ関係のイベントでソニーのブースに寄ると大阪弁が多く聞こえる(ミノルタ本社が大阪にあったため)。

転職するかどうかの決め手は、職場の仲間と一緒にいられるかどうかだとされている。私は1人で決めたが、結果的にほとんどの仲間が一緒であることが分かり安心した記憶がある。仲間がいなければ、移籍後すぐに転職していたと思う。

ただ、最終的には「今と同じ人と働けるか」ではなく「今と同じ仕事ができるか」という点で判断してほしい。新会社を作る場合、旧会社では新会社と競合する事業を一定期間禁止するのが普通である。つまり、新会社に移籍しない場合、今の仕事は継続できない。転職してもいいが(実際、同業他社に転職した同僚もいた)、気心の知れた仲間が少しでもいる新会社に移籍した方が仕事はしやすいだろう。

会社がなくなるのは寂しいことだと思う。けれども、本当に大事なことは会社よりも、製品と、その製品がもたらす文化だし、その文化を作るのはひとりひとりの社員である。どうか、自分のやりたいことが何かをよく考えて欲しいし、自分のやりたいことができる環境にいられることを祈っている。

 

■事業譲渡のパターン、そしてアイドルの場合

ふつう、会社が特定の事業から撤退するとき、既存の商品や知的所有権の扱いには大きく4つのパターンがある。

  • 競合会社に部門売却…NECがPC事業をレノボに売却したケース
  • 投資会社に部門売却、新会社を設立…私の勤務先のケース
  • 部門分離と自主再建…あまりないがVAIOのケースが近い
  • 社員が個別に新会社を設立…1980年代のゼロックスなど

私の勤務先「グローバルナレッジネットワーク」は、DECの教育部門が投資会社に売却されてできた。1980年代のゼロックスは、パロアルト研究所(PARC)で多くの成果を出したものの商品化に手間取り、独立した社員がAdobeや3COMなどの創業につながった。

似たような話はどの業界でもある。たとえば、GALETTeというアイドルユニットがいる、というか、いた。2016年9月に所属事務所がアイドル事業から撤退することが発表され、それに伴い10月26日でGALETTeは解散した(関係ないが、解散コンサートは勤務先から徒歩3分の所にある)。パフォーマンスでは定評あるユニットらしく、Twitterは解散を惜しむ声であふれていた。

GALETTeのメンバー全員が引退ということはないと思うが、知人にもファンが多いので、できればユニット全体で残って欲しいものである。

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