IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

ケン・オルセンの訃報にあたって

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本記事は2011年2月14日付で公開されたものに加筆したものです。


■ケン・オルセンって誰?

2011年2月6日にケン・オルセン氏が亡くなった。ディジタルイクイップメント社(DEC)の創業者である。報道では「共同創業者」となっているが、実質的な「創業者」と考えてよい。もうひとりの共同創業者はハーラン・アンダーソンだが、DEC出身の私でもほとんど記憶にない。

ケン・オルセンの訃報について、日本では簡単に報道されただけだが、米Computer Worldにはある程度詳しい記事が出ていた(Digital Equipment Corp. co-founder Ken Olsen dies at age 84)。日本語の記事だと、1978年から94年までのDEC黄金期にマネージメントの立場で関わった村上憲郎氏の文章が面白かった。

ケン・オルセンはMIT(マサチューセッツ工科大学)のリンカーン研究所で「Whirlwind(つむじ風)」と呼ばれる真空管式コンピュータの研究をしていた。1944年の話である。Whirlwindは、計算をまとめて実行する「バッチ処理」ではなく、即座に行なう「リアルタイム処理」を実現した世界最初の実用コンピュータである。その後、ケン・オルセンはWhirlwindの後継機をトランジスタで再設計した。これがTX-0であり、その改良版がTX-2である(TX-1は設計されたが実装されなかった)。

ケン・オルセンはWhirlwindの経験から「コンピュータは身近で実用的な道具である」と主張した。今では当たり前のことだが、コンピュータの操作に専任のオペレータが必要だった時代にはかなり先進的な意見だった。

ケン・オルセンがDEC創立後、最初に発表したコンピュータがPDP-1である。PDP-1はTX-0の経験が生かされ、CRTとライトペンを使った対話型処理が特徴だった(英語版Wikipedia)。ちなみに昔のブラウン管(CRT)は丸かった。画面サイズを対角線で示すのはその名残だろう。ライトペンは、今のスタイラスペンみたいなものである。

PDP-1.jpg
By Matthew Hutchinson - http://www.flickr.com/photos/hiddenloop/307119987/, CC BY 2.0, Link

 

■ミニコンピュータ

その後、1965年に発売された12ビットコンピュータPDP-8がヒットし、DECは優良コンピュータ企業に仲間入りする。ただし、当時のコンピュータは36ビットマシンが主流であり、PDP-8は「ミニコンピュータ」と揶揄された(いずれも6の倍数なのは1文字を6ビットで表現していたためである)。ちょうどミニスカートが流行した頃で「ミニ」という単語が流行したそうだ(ミニスカートの発表が1965年、ミニスカートを着用したモデルで有名なツイッギーの来日が1967年)。

ミニコンピュータ」というのは、「小さくて優れている」ではなく「ミニチュアのようなおもちゃ」という意味で使われた。そのためDECは「ミニコンピュータ」という言葉を嫌ったらしい。

PDP-8に続くヒット作が、16ビットコンピュータのPDP-11である。8ビットを単位とした「バイト処理」が中心になったのはここからである。そして、PDP-11の後継機が32ビットコンピュータの名機VAX-11である。VAX-11は「スーパーミニコンピュータ」と呼ばれた。DECもそろそろ「ミニ」と呼ばれるのを許容したようである(もしかしたら日本だけかもしれない)。ただし、VAX8000シリーズからは「メインフレーム」と呼んで欲しかったようで、DEC社内文書に「メインフレーム」という呼称が目立つようになった。

DECのエンジニアが世界に散ってから「VAX=メインフレーム」という印象が広まったが、VAXのハードウェアシステム構造はメインフレームとはかけ離れたもので、むしろ現在のPCに近い。

最盛期のDECは「IBMに次ぐ世界第2のコンピュータ企業」というのが売り文句だった。それは正しいのだが当時のIBMはDECの数倍の売り上げを誇り、2位というより「その他企業の中でのトップ」の方が正しかったのではないかと思う。

 

■DECの功績

DECがコンピュータ業界に与えた功績は多い。

初期のEthernetはゼロックスとインテルの共同開発だった。EthernetがIEEEにより標準化される前のフォーマットをDIX(DEC・Intel・Xerox)と呼ぶ。TCP/IPでは今でもIEEE 802フォーマットではなく、DIXを使うようだ。クラスタ技術を最初に商用化したのもDECだった。IBMなどのメインフレームが24ビットの仮想アドレス空間しか使えなかった時代に、完全な32ビット仮想メモリ空間をサポートしたのもDECだったし、OSのファイル指定にネットワークを統合したのもDECのVAX専用OS「VMS」だった。VMSでは以下のファイル指定表現をOSレベルでサポートする。

ホスト名::デバイス名:[ディレクトリ階層]ファイル名.拡張子;バージョン

VMSの影響を受けたWindowsは、ファイル指定にネットワークパスを指定できるのは当たり前で、原則としてすべてのコマンドで共有フォルダーを指定できるが、多くのOSではそうなっていない。

VMSの設計者であるデビッド・カトラーはマイクロソフトに入社してWindows NTを設計した。そのWindows NTの優れた解説書である「Inside Windows NT」は、第2版からデビッド・ソロモンが執筆している(第3版からは共著者にマーク・ルシノビッチが加わる)。デビッド・ソロモンもDECの出身である。MITでX Window Systemの基本原則を決めたジム・ゲティスはDECでXの開発を続け、そのままHPに移籍した。今はGoogleに在籍しているらしい。

ケン・オルセンは、UNIXについては一貫して否定的だったが会社として一応製品を出していた。そして、DECの消極的なサポートにもかかわらず、UNIXコミュニティはVAXを強く支持した。BSD UNIXがVAXで開発されたためか、VAXは長くUNIXの標準機とされ、本来はVAX固有の実装なのに、標準実装だと勘違いされたコードもあったくらいだ。The Hacker’s Dictionaryには「vaxocentrism(VAX中心主義)」という単語が掲載されている。

 

■DECの失敗

ただし、PCについては動向を完全に見誤った。対話型コンピュータの重要性に気づきながら、PC戦略を誤ったのは不思議だが、過去の成功体験から抜けられなかったのだろう。結局、新興PCベンダーであるCompaqに買収され、そのCompaqはHPに買収された。そしてHPは創業事業である計測器部門を切り離し、コンピュータ専業ベンダーとして生き残った。

ケン・オルセンを擁護する声もあるが、たぶん、本当にPCの可能性が分かっていなかったのだと思う。新しい技術が出たとき、既存技術の権威者は、できないことを探し出して「あれは駄目だ」と決めつけることが多い。必ずしもケン・オルセンだけが無能なわけではない。

マイクロソフトは、ビル・ゲーツだけでなく、スティーブ・バルマーがいるから何度かの危機を乗り切ったと評論する人は多い。しかし、クラウドへの流れやLinuxの対応は結局できず、次のCEOであるサティア・ナデラ氏が立て直した。スティーブ・ジョブズは一度Appleを追放されているから復活したのだろうし、IBMも経営陣を交代させて倒産を免れた。

DECの残念なところはケン・オルセンに続く人間がいなかったこと、株主が早い段階でケン・オルセンをクビにできなかったことだと思う。

会社が買収されたり、経営者が首にされたりするのは、従業員にとって悲しいことかもしれないが、必ずしも悪いこととは限らない。過去の成功体験から離れ、会社を存続させるために必要なこともあるのだ。

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