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【書評】原発事故 未完の収支報告書 フクシマ2046―追記あります

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スリーマイル島の原発事故経験者(住民、地元町長、報道記者、訴訟にかかわった人など)への直接インタビューを、自腹で行って書き下ろした書籍、ということでよく確認せずに購入した。あとでタイトルを見たら「原発事故 未完の収支報告書 フクシマ2046」だった。

「フクシマ」というカタカナ表記は、福島県と福島市を区別したいこと、原発事故の影響は県外に及ぶことから「福島第一原発事故の被害や影響が及んでいる物理的・心理的空間」を明確にするために使われている。本稿もそれにならうことにする。

「2046」は、福島原発の事故は2011年3月11日から35年後の意味である(読んでわかった)。スリーマイル島の原発事故が1979年3月28日、その35年後が本書の執筆年である2014年だ(出版は2015年3月)。つまり、スリーマイル島の教訓を元に、フクシマの将来を考えるということである。

ただし、前書きにある通り、その将来は暗い。本書の帯にもこうある。

放射能被爆による健康被害は立証されず、訴訟は立ち消え、住民は勝てない

スリーマイル島の事故原因は、現在でも完全に解明されたとは言えないし、健康被害についても決着がついていない。それでも、過去の経験を知ることは、未来を生きる上で重要な指針となる。本書は、スリーマイル島の経験者に対する直接インタビューを元に、原発の是非とは距離を置き、中立的な視点で書かれている。原発の賛成反対に関わらずおすすめしたい。

一般住民を広く巻き込んだ大規模な原発事故は、スリーマイル島(1979年)、チェルノブイリ(1986年)、フクシマ(2011年)の3例である。チェルノブイリは旧ソ連の秘密主義の問題から取材しにくいし、言語の壁もある。そもそも国が変わっている。一方、スリーマイル島は、情報公開が原則の米国にあり、言語の問題もないこと、原子炉の形式が福島第一原発と似ていることから、取材対象に選ばれた。

事故の規模は、大ざっぱに言ってチェルノブイリ、フクシマ、スリーマイル島が100:10:1でフクシマがちょうど中間だそうだ。SNSでは、「ちょうど中間」という表現に違和感を覚える書き込みが見られたが、大規模災害は対数で評価するので「ちょうど中間」という表現で正しい。土木学会の論文でも、死傷者数を対数表記するものが見つかった。地震のエネルギーを示す「マグニチュード」も対数で、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約32倍、2増えると1000倍である。「マグニチュード6、4、2」と並べた場合、「マグニチュード4はちょうど中間である」と言っても違和感はないだろうが、エネルギーの大きさは「100万:1000:1」となる。

本書は、第1章でスリーマイル島の事故の全容を紹介し、第2章で健康被害についての見地を紹介している。第3章では訴訟問題、第4章で避難と報道を扱う。第5章では全体を総括し、スリーマイル島原発事故からの教訓が提示される。

1979年といえば、私が高校生の頃である。もちろん事件は覚えているが、最終的に「大事故ではあるが、深刻ではない」という印象を持っていた(とんでもないことである)。チェルノブイリ原発事故のあとで読んだ立花隆史氏の「東京に原発を」でも大きく取り上げられていたが、チェルノブイリの事故が大きすぎて、やはり印象に残らなかった。そもそもスリーマイル島がどこにあるのかもよく知らなかった。川沿いということは知っていたが、日本の状況から考えて、川といっても海に近い河口だろうと勝手に思っていたくらいだ(世界的には海岸の原発は少数で、河川沿いが多いそうだ)。

地理関係については著者の烏賀陽(うがや)氏も似たようなもので、最初に解説があった(あるいは知っていた上での読者サービスだろうか)。スリーマイル島は、ニューヨークから270Km、ワシントンDCから160Kmで、特に海沿いではない。しかも、原子炉から500mくらいの所に牧草地があり農家があるという。東京・福島間が約220Km、東京・浜岡間が約180Km、大阪・敦賀間が約120Kmなので、特別都心に近いわけではないが影響はある、それくらいの距離である(インディアンポイント原発はニューヨークから約50Km程度だそうで、これが都心部に最も近い原発だろう)。

驚いたのは、スリーマイル島には原発が2基あり、1基はメルトダウンしたが、もう1基は今も稼働中だという。実際に行って、人もいないので、勝手に写真を撮ったら警備員が飛んできた話にはつい笑ってしまった。もちろん写真の消去を求められたが、「メモリーカードはとっさにカメラから抜いてパンツに入れてあった」というのはもっと笑ってしまった。さすがベテラン記者である。

第2章では、フクシマの健康被害が出るのはこれからであり、現時点では何とも言えないこと、仮に健康被害が出ても事故との関連性を立証するのは困難であること、そもそも「健康被害」と解釈するかどうかは人間の判断であり、さまざまなバイアスがかかることが指摘されている。まったく同じ生データを解釈しても正反対の結果が出るくらいだ。

本書では、異なる結果を出したそれぞれの担当者に対して直接インタビューすることで、なぜ同じデータから異なる結論が出るのかも明らかにしている。科学は「仮説・実験・検証」の繰り返しで進歩するが、最初の仮説が人間に与えるバイアスは非常に大きいということだ。

第2章と第5章では、専門用語の難しさについても触れられている。「(統計的に)有意な差」のことを英語では「statistically significant」という。「significant」は「重大な」という意味も持つため、「not significant」だと「重大ではない」と誤訳する可能性がある(実際によくあるらしい)。統計的に有意な差がなくても実は因果関係が存在する場合もあるし(多くは母数が少ない場合)、有意差があっても直接的には無関係なこともある(たとえば第3の因子が真の原因の場合)。

英語の造語能力は比較的低く、専門用語を日常語で置き換えるのは珍しくない。その結果、なんとなく意味は分かるがしばしば誤読する。それに対して日本語は専門用語に特別な単語(またはカタカナ)を当てることが多いため、専門的な文章はまったく意味が分からない。分からないのと、間違った意味で理解するのとどちらがいいのだろうか。たとえば「ストレージ」は「倉庫」、「インストール」は「設置」であるが、「ストレージをインストールする」だと、コンピュータにハードディスクを追加すると思ってしまう人が多いのではないだろうか。実際は「組み立て式物置を(庭に)置く」かもしれない。

第3章では、資金や活動時間の限られる住民が、電力会社や政府を相手に訴訟を続けることの困難さが提示される。それはそうだろう。公害訴訟も全面和解まで数十年かかっている。企業や役所は担当者が変わるが、住民には代わりがいない。個別交渉による住民の分断もあるだろう。そもそも対等な関係ではないのである。こちらも、対象者に直接取材を試みている。取材を断られた人もいるが、それもまた真実であり、「取材拒否」という態度が立派な情報になっている。

第4章の避難と報道の問題は、日本とほぼ同じことがスリーマイル島で起きたことを、当時の町長や記者に直接インタビューをしている。なんと、事故当時の地元町長が今も現役だという。81歳ということなので、あと少し遅ければ話は聞けなかったかもしれない。本当に貴重な記録である。ところで、「(1979年当時と違って)今では何でも原発から報告があります」というのは素晴らしいが、他の原発はどうなのだろう。

残念ながら、本書を読んでも、事故原因は分からないし、これから本格化する健康被害の有無も分からない(追記:実際には影響ないだろうと私は思っている)。しかし、フクシマの経緯をより深く理解することはできるし、停止中の原発の保守作業では何に注意しないといけないのかを判断する助けにはなるし(原発は稼動を停止すれば安全というものではない)、コミュニティの分断の回避にも役立つかもしれない。

現在のフクシマを見て思うのは、さまざまなコミュニティが分断されていることである。原発反対派と賛成派はお互いに相手の主張を非難するし、それとは別に安全派と危険派がいる。そして、誰もがみんなをどこかの派閥に分類しようとする。私も無意識のうちに烏賀陽氏を反対派に分類していた(実際は、原発の設置に関しては中立である)。

本書を読めば、現時点では、健康被害についてはまったく議論できないことが分かる。4年経った現在は、そろそろ甲状腺ガンの発症が見られる頃だというが、35年経ったスリーマイル島ですら決着がついていないのだから、リスクはリスクとして評価しても、最後は自分で判断するしかない。しかし、つい感情的になってしまう。その気持ちもよく分かるが、それはあまり「得」ではない。

健康被害は立証されず、訴訟は立ち消え、住民は勝てなくても、本書のような中立的な書籍は、これからのフクシマに必要である。フクシマに関心がある人、影響を受ける人(これはほぼ全ての日本人だろう)に強くお勧めする。

本書に先立って刊行された「ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅」もお勧めする。こちらは、原子爆弾と原子力発電所の関係を示し、日本に原発が誘致された経緯を紹介している。こちらも関係者への直接取材がベースになっており、資料価値は非常に価値が高い。

一次資料への直接アクセスは報道の基本だが、近頃はいい加減な記事が増えた。「お前、それ、ネットで検索しただけで記事にしただろう」と思いたくなるものも多い。その点、烏賀陽氏の著作は安心して読める。もちろん、人間だから結論に対する誤謬が絶対ないとは言い切れないが、二次資料や三次資料のみを参考にした記事とは一線を画す価値がある。決して若くはない記者だが、これからの記事にも期待している。

 

【お願い】

著者の烏賀陽弘道氏はフリーランスのジャーナリストであり、これらの取材をすべて自腹でこなしている。昔はこの種の取材には出版社から取材費が出たものだが、それもないそうである。

実は、烏賀陽氏の著作の多くは無料で読める(たとえばJBPRESSBusiness Media誠)。これらの記事は無料で公開されているが、自ら金額を設定して「お代」を支払うこともできる。記事に対する対価、あるいは書籍に定価以上の価値があると思った方は、以下の宛先に送金してほしいということだ。

  • PayPal: ugayaアットマークda2.so-net.ne.jp
  • 銀行口座: 書籍に記載


原発事故 未完の収支報告書 フクシマ2046


ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅

 

【追記】

このあと、ブロガー仲間にTwitterで激しく批判された。すべての批判にお答えすることはできないが、若干の補足をさせてもらう。

まず、私は原子力発電所にも放射能による健康被害にも詳しくはない。

原子力発電所については、大学院の電力工学で基礎的な内容を学んだだけである。大学院といっても、私の専攻は電子工学なので電力は専門外であり、電力工学の授業も工学者としての基礎教養レベルを超えなかった。その他は、チェルノブイリ事故の頃に何冊か本を読んだ程度である。

ガンについても、細胞レベルの影響について少し本を読んだだけで、一般教養レベルを超える知識は持ち合わせていない。

本稿は、その程度の人間が、特定の著者の書籍を読んだ感想だという前提で読んで欲しい。以下の文についても同じである。

Twitterでの批判の中心は「これから本格化する健康被害の有無も分からない」という部分である(他にもあるが省略する)。仮に影響があったとしてもガンの発症には数年かかるので、「これから本格化する」の部分を撤回するつもりはないが、実際問題として健康被害が出ることはないだろうと思っている。

スリーマイル島の事故では、健康被害があったという説となかったという説があり、決着がついていない。つまり「誰にでも分かる明白な差はない」ということである。フクシマはスリーマイル島の10倍の規模だが、放射能汚染リスクの高い食物の流通が比較的早い段階で停止しており、屋内避難の指示も出たため、放射能による被害は10倍にもならないのではないだろうか。

こうしたことから、実際の健康被害はほとんどないと想像している。中にはガンになる人もいるだろうが、それは原発事故のせいなのか、その他の要因かは区別できないだろう。つまり「統計的に有意ではない」ということだ。聞いたところでは、専門家の間でも、この見解が一般的である。

しかし、これは「影響がまったくない」というわけではない。本当にないかもしれないし、あるかもしれない。

たとえば、私の両親を含め、親戚の大半はガンで亡くなっている。生活習慣のせいか遺伝のせいか分からないが、私もいずれガンになるだろう。家族にガン患者がいると、本人もガンになる確率は、統計的に有意である。フクシマの影響も、少なければゼロ、大きくても「親戚にガンが多い」程度の影響ではないかというのが、私の想像である。

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