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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

コミュニティの「恩返し」と「恩送り」

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前回の記事「IT勉強会カレンダーの定期更新が停止するそうです」の評判が良かったようなので、コミュニティ活動の話を続ける。2012年11月に公開したものだが、出版社の都合でサイトごと消えてしまった記事に若干の手を加えたものである。内容の重複もあるが、そのまま掲載する。

 

■IT業界と情報共有

もともと、コンピュータ科学の分野では、インターネットを駆使した情報共有が盛んだった。そもそも、インターネットが情報共有のために生まれたものである。日本では村井純氏らの努力により、比較的早期からインターネットに接続されていた。そこには多くの電子掲示板(当時はWebベースではなくNNTPというプロトコルが使われていた)や、メーリングリストがあり、硬軟取り混ぜた話題が扱われていた。純粋に技術的な議論の場で、実に鋭い指摘を(しばしば人格攻撃とも取れるような厳しい口調で)するため恐れられていた人が、実は「斉藤由貴メーリングリスト」のメンバーだったことを知って、つい笑ってしまったこともある。

こうした伝統は現在も受け継がれており、コンピュータのシステム構造について語っていたかと思えば、路上アーティストの武道館コンサートについて書いたりする人もいる。

ここ数年は、実際に会場を借りて行なう「勉強会」も盛んである。場所の問題があるため、メーリングリストやWeb掲示板ほど手軽ではないが、それでも多くの勉強会が開催されている。IT系の勉強会をまとめたサイト「IT勉強会カレンダー」を見ると、目がチカチカするくらい多くの勉強会が開催されていることが分かる。ほぼ独力で維持されているはなずきんさんには敬服する(※前回書いたとおり、定期更新は停止)。

 

■勉強会の意味

ITにはさまざまな新しい技術が数多く登場する。短命に終わるものもあれば、その後の主流になるものもある。

多くのエンジニアは、新しいものが好きである。新しい技術が出るとわくわくして触ってみたくなり、何か動くシステムを作ってみたくなる。しかし、コンピュータが社会と企業の重要なインフラとなった現在、仕事としてはそう簡単に新しい技術に飛びつくわけにはいかない。予期しないトラブルが起きたり、その技術がすぐに廃れてしまったりする可能性があるからだ。現在は景気も良くなく、モノになるかどうか分からない技術を勤務中に学習する余力を持った企業は多くない。勉強したくてもなかなか時間が取れないのである。

勉強会では、いち早く新しい技術を習得した人と直接話すことで、学習の最初のステップを登ることができる。一般に、新しい技術は最初のステップが非常に重要である。あまりにも基本的すぎて、本を読んでも分からないこともある。こうした基本的な概念は、人に聞いたり、実際に手を動かしたりすることで、簡単に理解できることが多い(※これについては、以前「勉強会に参加しよう」という記事を書いたので後日再掲したい)。

【追記】既に「技術を習得するための4つのステップ」として公開していた(タイトルを変更していたので気付かなかった)。

私の経験でも何度かある。学生時代、Lispというプログラム言語を学んだときは、再帰呼び出しのイメージがまったくつかめなかったが、ゼミの大学院生と30分話しただけで完全にマスターできた。Prologという言語は、どんな本を読んでも動作の流れすら分からなかったのに、1時間講義を受けただけでプログラムが書けるようになった。ウィンドウシステムのイベントループも同様の経験があった。

あまりにも基本的なことは、かえって説明しにくいし、文字では理解しにくいものである。文字で理解できないのが、言葉で理解できるのは不思議だが、そういう体験をした人は多いに違いない。

直接話ができる勉強会は、興味を持っているが習得する機会の少ない新技術を学ぶのに良い場である。

 

■恩返しと恩送り

勉強会で成果を得られたら、感謝の気持ちを示したい。この時、主催者や講師にお礼を言うのも良いが、もっと良いのは学んだことをブログなどで公開することである。勉強会を主催したり、講師を引き受けたりする人は、その技術を世の中に広めたいと思っているのであって、別に感謝して欲しいわけではない。もちろん感謝されたら嬉しいが、もっと嬉しいのは、勉強会の参加者が自分の仕事に活かしてくれたり、世の中に広めてくれたりする時である。

かつて、メーリングリストでは、質問に対する回答に対してお礼を書くと怒られた(正確には「お礼だけ」を書くと怒られた)。メーリングリストは多くの人が見ているが、感謝の気持ちは個人的なものであり、全体で共有する価値はないという理屈である。求められるのは「質問と回答の要約」とされた。難しい質問には、複数の人から多くの回答が得られる場合がある。最終的に、真の問題は何だったのか、どの回答があてはまったのか、あるいはあてはまらなかったのか、ということをまとめることで、コミュニティ全体の財産が生まれる。

勉強会の主催者や担当講師に感謝の意を表明し、お礼に自分が持っている別の知識を伝えたり、労力を提供したりする、つまり「勉強会への恩返し」は素晴らしいことだ。しかし、その場合、得をする人は限定的である。

 

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▲恩返し

それよりも、自分が学んだ成果を、他の人に広く伝えていく方がずっと社会のためになる。これが「恩送り」である。もともと勉強会を主催する人は、コミュニティ全体のためと考えているのだから、恩返しよりも恩送りの方が喜んでくれるはずだ。

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▲恩送り

勉強会に限らず、掲示板でも同じである。人気のある掲示板には、何度も同じ質問が繰り返される。質問者が多いのだから、これは仕方がない。ところが、回答者が固定されてしまうと、同じ質問に何度も答えることになり嫌気が差す。つい厳しい文体になってしまうこともあるだろう。そうならないために、自分が質問をして回答をもらったら、同じ質問が出たときは自分で答えよう。掲示板の雰囲気も良くなるし、回答することで自分の理解も深くなる。ぜひ「恩送り」ということを考えてほしい。

路上ライブを中心に活動するシンガーソングライターの宮崎奈穂子さんは著書「路上から武道館へ」で、こう書いている。

デビュー当初にCDを買ってくれてから、それっきりお会いしていない人や、一度しかお会いできていない人、インターネット上の私が及び知らないところでサポートをしてくれた人などには、お礼を言いたくてもなかなかチャンスがありません。

<<中略>>

恩を別の人に送ることで、まわりまわって最初に人に恩が戻れば、その恩に報いることになると考えています。


路上から武道館へ

こういうケースは、私も実際に経験した。昔、私が掲示板に書いた質問に答えてくれた人は、そもそも私が誰かの質問に答えていた内容を、別の人が解説し、それを読んで勉強した人だった。恩が送られるうちに、だんだんと高度な内容になっていき、最後には私の知識以上の内容になっていたのである。それは私に取って役立っただけではなく、IT業界全体に貢献したわけで、これほど素晴らしいことはない。

自分に返ってくることを期待するのは本来の「恩送り」ではないが、結果として自分が得することもある。「恩送り」ぜひ心がけて欲しい。


▲猫のコミュニティ?

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