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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

書評『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(岡田斗司夫FREEex)

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僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」というショッキングなタイトルは、新書にありがちなので「またか」と思った方もいるかもしれない。実際、本書は「働くこと」を否定しているわけではない。否定しているのは「就職活動を経た企業への就職」である。

製造している部品の10%に不具合があるなら、それは製造工程に問題がある。しかし、50%を超えていれば、それは製造工程の問題ではなく、そもそもの設計に問題があるということではないか。著者の岡田斗司夫氏は問いかける。

私が就職活動をした頃は「就活」という略語はなかった。短期間の活動なので、略すほど何度も使う用語ではなかったからだろう。就職活動は4年生の春から準備を始め、早ければゴールデンウィーク、遅ければ秋頃で終了した。4月中にコンタクトすると「ルールを守れない奴」ということで、無条件に落とされたくらいである。念のため書いておくが、3年生の4月ではない。4年生の4月である。

建前上は、9月から会社訪問解禁だったと記憶するが、実際には夏休みが勝負だった(繰り返すが4年生の夏休みである)。今のような状態になったのは、「協定破りが日常化してるため無意味である」と、経団連が就職協定を廃止した頃からである。数年前「就活ぶっ飛ばせデモ」の主宰者が、経団連を悪者扱いにしているのを見たが意味が分からなかった。

このように状況は異なるが、新卒で就職するというスタイル自体は同じだった。しかし、もっと昔はそうではなかったらしい。コンピュータ史を読んでいると、多くのエンジニアは大学卒業後にインターンとして仕事をして、それから就職した人が多い。また、「めざすはライカ! ある技術の書いた日本カメラ」という書籍では「戦前の技術者は何度も会社を変わるのが一般的だった」と書いてあった。

そう考えると、学校を卒業してすぐに会社員になる習慣はたかだか50年くらいの歴史だということになる。

そして現在、頑張って入社した会社が定年まで続く可能性は非常に低い。私は転職をしたことはないが、部門売却により会社が1回変わったし、その後も経営者が4回ほど変わっている。一方、売却元の会社は2回ほど買収された(いずれもIT史に残る大型買収だった)。大企業の場合、会社としては存続しているように見えることもあるがが、部門売却や再編成により、希望退職や実質的な解雇が頻繁にある。「日本は雇用が守られている」と思っている人が多いようだが、それは建前の話であり、終身雇用はとうになくなっている。

岡田氏は、会社寿命の平均値などを根拠に「就職する(会社勤めをする)」のは意味がないと主張する。例として挙げているのが新撰組である。

たとえば幕末に、主君に仕えない浪人や、武士に憧れる農民は「サムライになり、殿様に会うことができ、もしかしたら天皇にもお目通りがかなうかもしれない」と新撰組に入隊した。しかし、時代の流れは明らかであり、結局は全滅することになる。一方、地方の下級武士たちは新しい時代を求めて反体制運動に走り、革命に成功する。もっとも、そうした生き方が世間に認められたのは明治もかなりあとになってからである。

今の時代、無理に就活するのは新撰組に入隊するようなものであるが、それでは将来性が全くない(五稜郭で全滅するだけだ)。別のところで、岡田氏は「沈んでいくタイタニックから逃げるためにマストに登っても意味がない、危なそうに見えても救命ボートに乗れ」という意味のことを書いていた。就職活動というのはそれくらいナンセンスなことだというわけだ。

ではどうすればいいのか。

いくつかの選択肢が提示されているが、私が面白いと思ったのは「父親や親戚に仕事をあっせんしてもらえ」という下りだ。いわゆるコネである。高度成長期、親の力を借りることは恥ずかしいことだった。現在でもその風潮は残っている。しかし、あえてコネを使うことで堅実で親を安心させる就職先を確保できるというわけだ。

もっとも、こうしたコネの利用は次善の策であり本質的な解決策ではない。岡田氏は「仕事」というより「お手伝い」を考えろと主張する。そして、その「お手伝い」を「仕事」と考えて、それを50個やれという。副業を勧める本は見たことあるが、50の仕事を同時にせよというのは斬新である。利益を生まなくても、とにかくたくさんの仕事をしていれば、世の中が変わっても何とかなるという考え方だ。50の仕事のうち、ほとんどは利益を生まないだろうが、誰かの役に立っているならそれは「仕事」である。先の見えない世の中だから、今利益を生まなくても、将来何かの役に立つかもしれない。また「お金がなくても何とかなる」という時代が到来しており、昔ほど現金にこだわる必要はないという指摘もされている。

さらに、生き残るには「3つのC」が重要だとする。コンテンツ、コミュニティ、キャラクターである。コンテンツは自分が持っている技能であり、従来はこれだけが仕事の能力だった。現在でもコンテンツは必要だが、その上でコミュニティを広げてコネを作ること、キャラクターを認めてもらうことで「あいつに仕事をお願いしよう」と思ってもらうことで、会社に依存しない生き方をしようというわけだ。

昔はコミュニティを作り、キャラクターを認めてもらうには大きなコストがかかった。しかし、各種SNSが普及し、個人で複数のコミュニティに関わり、それぞれでキャラクターを出すことは難しくない。実際に、そうして生活している人実例も登場するが、決して珍しいケースではないという。

近代の工業化は、肉体労働が機械化されることで進歩した。最近のIT化は知的労働の一部も代替している。人間の仕事はどんどん減る一方である。景気のいいときは新しい仕事が生まれたので問題なかったが、景気が悪いと単に仕事が減るだけである。仕事が減って給与が同じなら言うことないのだが、なかなかそうもいかないのが不景気のつらいところである。

最後に、岡田斗司夫氏の仕事のスタイルについて書いておこう。

岡田斗司夫氏は、FREEex(フリックス)という組織を主宰している。FREEexメンバーは年間12万円を岡田斗司夫氏に支払う(実際には岡田斗司夫氏の経営する会社が提供する研修費として計上する)。FREEexメンバーは3年で「卒業」するが、常時100人を超えるメンバーがいるため、生活費はこれで十分まかなえる。そのため、岡田氏は自分の好きな仕事を無償で行うことができる。簡単に言えば、株式会社式のパトロン制度である。

FREEexメンバーは、出資する代わりに岡田氏の仕事を手伝い、OJT経験を得ることができる(これが研修費の根拠である)。平たく言うと「お金を払って仕事をする」のである。

もっとも、FREEexを続けていくうちに困ったことが起きた。FREEexでは仕事は義務ではなく権利、義務は年間12万円の支払いだけなので、やりたい仕事しか希望者がいないのである。そこで、現在は「FREEex外郭団体」といって、営利を目的とした団体がFREEex現役メンバーやOBによって数多く作られている。本書「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」はこうした外郭団体のひとつ「ビンワード」がマネージメントを行った。

岡田氏に対する印税は現在でもゼロだが、その代わりにマネージメント業務を行う外郭団体が間に入り、印税相当の額を外郭団体が受け取る。出版社から見れば、従来と同じ出費だが、岡田氏が好きな仕事ができることには変わりないし、FREEexメンバーがOJTで学べることも変わらない。無償で仕事を手伝うFREEexメンバーがいることも変わらないので、通常よりも安価なコストで制作ができる。

FREEexの試みは2010年からスタートしており、試行錯誤を繰り返しながら現在に至っている。誰でもすぐにできるというものではないが、著作やアートの世界では、これからの働き方の選択肢になるだろう。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

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