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ITmediaオルタナティブブログの10周年を迎えて過去と未来に目を向ける

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ITmediaオルタナティブブログが10周年となりました。ブロガーではありますが読者でもありますのでここは「おめでとうございます」と書くこととします。

ITmediaがブログをやるという難しさは世の中で考えられている以上のことがあるように感じます。普通のオウンドメディアのように非メディア業がブログをやるなら多少の不手際は世の中からお目こぼしがあるでしょうが、メディア企業であるITmediaですので厳しい目で見られます。不見識なブログエントリが載ったことで「ブログとはいえメディアの癖にチェックもしていないのか?」というようなお叱りを見かけたこともありました。また、世の中の共通的な見解がなく衝突しがちな意見を扱ったブログエントリでは、どちらの肩を持つ内容でもないにも関わらずコメント欄で(筆者不在で)議論が行われたこともありました。

ブログを通じて現実世界での肩書が変わったり、製品やサービスが誕生したり、ネットワーキングになったりということは枚挙に暇がありません。私の書いたエントリに限っても思いもかけないところで引用されていたり、自分が探しごとをしているときに自分のブログがgoogleの検索結果のトップに出てきたり、初対面の人にブログ読んでいますと言われてり、おもしろいことが色々とあります。

また、つい先日の2015年7月2日の東洋経済に「「ベルマーク」は勘弁!母たちの切実な叫び 」という記事が掲載されました。その中でベルマーク集計の非効率さがこのような言葉で綴られています。

会社の仕事であれば、こんなことをしていたら人件費がかかりすぎますから、とっくの昔にやり方が見直されていたはずですが、なにせベルマークは「ボランティア」です。“お母さんの無償労働”に頼っていれば、誰も痛くもかゆくもありません。そのため、このような煩雑なシステムが温存されてきたのです。

おっしゃることはごもっともで深くうなずきました。これについては私もかんがえたことがありまして、このように綴っていました。

これまでベルマークは家庭の主婦の潤沢な労働力に支えられてきたためか、ベルマーク財団側での労力を最低限にし、家庭側に集計の労力を期待するような設計になっているようです。

知ってるようで知らないベルマーク:一般システムエンジニアの刻苦勉励:オルタナティブ・ブログ

私は共働きしていることから少し早く2009年の段階でこの流れは良くないと思いブログの記事としていました。それが6年ほど経って別の問題と化しています。というのも共働きの家庭が増えたことで、無い袖は触れない正社員ママは地域やPTA活動が手薄となり、その分を一手に専業主婦が担う流れができつつあるように感じます。その是非や行く末は別の機会に論じるとして、ブログはtwitterなどの流れるメディアとは違いその時点の自分の思いが固定されるメディアです。このベルマークのブログエントリは今読んでみると早い段階からなかなか鋭いことを言っている(そして2010年より前に本格ワーパパ活動をしていたんだな)なと自画自賛ながら思いました。このように古いブログエントリをあとから読み返し今との比較をして時代の移ろいを見つめると思考が整理されますので得るものが多いです。特に本人は書いた気持ちまで思い出せますので読者以上に役に立っています。

少しクドくなりますが、もう1点同じように古い話題に触れたいと思います。それはクラウドと外為法の問題です。

2011年頃から愛国者法に基づき米国内のDCに置かれたサーバが押収されたらデータが押収されてしまうのではないか?という問題が議論されていました。当時個人サイトながら速報性のあるニュースサイトとして勢いを増していたPublickeyが取り上げたことは世の中に広く知られるようになった大きなきっかけにだったのではないかと思います。

深夜、FBIがデータセンターを強制捜査しサーバ押収。国際的なサイバー犯罪摘発のためと - Publickey

愛国者法によるサーバ押収が発生した場合には業務の停止あるいは情報が漏洩(と言っても相手は米国政府ですが)する懸念もあり、なかなか難しい問題になります。また、それだけにとどまらずこちらの「クラウドを活用する上で 理解しておくべきこと - 経済産業省」のPDFでは日本の外為法が定める輸出規制のうち特定の情報を海外に送信してはならないと定める条項が海外DCのクラウドサーバにデータを保存することにも該当するのではないか?という点が指摘されました。

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/jouhoukeizai/jinzai/002_02_03d.pdf

私もこの点は日本におけるクラウド利用を阻害する可能性を感じました。そして何か調べて書いておきたいとも思いました。誤ったことを言ったりデマのようにリスクだけを喧伝したりすることがないよう心がけながら注意深く調べ事をして、結果このように非常に長いエントリになってしまいました。

クラウドコンピューティングと外為法に基づく輸出規制について(経済産業省の報告書より):一般システムエンジニアの刻苦勉励:オルタナティブ・ブログ

そして結局のところではそれがセーフとなることが経産省通達により明確に示されました。これが2013年のことですので2年ほどは微妙な期間があったことになります。

クラウドコンピューティングサービスと輸出規制 ~ 経産省通達により解釈が明確に - 青い空の向こうへ - Site Home - MSDN Blogs

おそらくこのように微妙な問題はメディアとしても白か黒かを言いにくかったのではないでしょうか。今、検索してもそれほどはっきりとこの問題に切り込んでいる大手メディアは少ないように見えます。Publickeyですとか、その他の個人ブログはぶっちゃけて言えば解釈を外したところで責任重大というわけではありませんので、その気楽さで国内外の文献リンクを集めて自分の考えを白黒はっきりと述べるということが行われました。自由闊達そのものです。ITmediaにおいても経済産業省がはっきりとした姿勢を示さない間にはITmediaエンタープライズではこのような話題を扱いにくかったかもしれませんし、そもそもはっきりとわかりませんということを記事にしても読者に得るものが少なく不安を煽ってしまったかもしれません。そういった隙間を埋める形でブログの場に個人の考えを示し、なんとなくそういう問題があるよという気づきを与えたり、気になりはじめた人に対してこの辺りが関連する情報だよというまとめを提供できたことはそれなりに貢献効果があったのではないかと思います。

外為法についてはそのような決着となりました。そして愛国者法の方はというと、米国資本の日本DCは愛国者法の対象になるのではないか?という見方が広まり不安が強まることとなります。そしてその後にこのような情報が拡散されまして、一旦は安心ムードとなりました。

パトリオット法は日本のDCに適用されるのか?についてのメモ - 急がば回れ、選ぶなら近道

そしてその後にスノーデン事件もあり、そもそも米国の監視は思ったよりも広範囲かつ既に行われてしまっているのではないか?ということが世論に浸透してきます。それが効いたのか効かなかったのか、愛国者法の一部の規定が失効したことがニュースとなりました。

米、テロ対策に大きな制約 米愛国者法規定失効で - 産経ニュース

どのような条項が失効したかまで確認していないため、現在DCのデータ押収が合法的には不可能となっているかどうかはわかりませんし、前述したようにそもそも非合法な世界でやられてしまっている可能性もありますが、大手メディアと、個人ブログとを読んでいくとこの辺りで進行していることがなんとなくわかる気がします。

しかしながら、この話題からはインターネットリテラシーの難しさもまた同時に感じます。それは「米国は愛国者法に基づきサーバを押収できるのか?」というフレームで物事を考え始めると、その根拠を検索することで「できそうだ」という可能性探しに終始しがちだからです。少し視点を変えて、具体的にサーバが押収されたとして秘密鍵を提供する必要性はあるのか?そもそもテロ捜査だからといって日本の企業のデータまでが押収されるのか?既にそういった事例はあるのか?米国では個人や企業が別の問題で政府をバンバン訴えているがこの問題ではなぜ米国政府と従順にデータを提供する政府という構図なのか?といったあたりになかなか考えが及びません。

人が病気になった時にその症状を検索すると悪い病気ばかりが目につきメンタルが不安定になってしまうことがあります。これをサイバーコンドリア(cyberchondria)といいますが、世の中の問題についても同じことが当てはまると言えないでしょうか?いや、そこまで積極的に世の中の病理を突き止めようとするのはブロガーの宿痾なのかもしれません。普通の人はそこまでやらないことのほうが多いでしょう。しかしながら政治や経済についてアクセス数のみを目的とした質の低いコンテンツが量産される動きはますます強まっていて、普通の人自身が悪い話題を検索しなくても代わりにそうしたことをする人がいます。そして例えば芸能人のちょっとした表情の癖をWikipediaの病気のページの特徴と結びつけて誰々は●●病ではないか?というような釣り記事に仕立て上げる人がいると、それを本当だと信じこんでしまう人も少なからずいるでしょう。

ブログは確かに大手メディアよりも迅速でバラエティに富んだ情報を発信できます。その一方で昔であれば実話系週刊誌やタブロイド紙ですら取り上げなかったであろうラッスンゴレライが反日だというような説までもが広がる危険性もはらんでいます。自分自身が作り出す場合もあれば、信じて他人に広めることで加担する側になってしまう可能性もあります。自分の親や上司、学校の先生はこれらの現象を知りません。現在進行形で体験する自分たち自身がこれらを受け止めてルールを作り後世に引き継いでいく必要があるのだと思います。それはエネルギーの要ることですし、時に自分自身が炎上してしまえば心身を消耗することでもありますが、おもしろくもあります。

2015年の今、ブログを書くということは未来と過去と現在とを文章で形作っていることなのではないかと思います。

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