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情報システム界隈はなぜ受け身表現を多用するのか

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e-Janネットワークスの坂本さんがこんなエントリを書いていらっしゃいました。

小さな語尾の習慣で大きな実現力の差が出る

確かに「したいと思います」という表現は多くのところで聞きます。坂本さんのエントリでは社内の会話ということですので思いますが適さないという場面も多いのではないかと推察されます。一方で会社と会社をまたぐ話ではコミットする、しないという判断がつきまといますのでそこのところは意識して使うべきであって「思います」がすべて悪いということもないのではないかと思います。また、ブログに関しても活字で言い切るコミュニケーションであることから「いや、こういう場合もあるぞ」という反例を持ちだされることの面倒さから「思います」といったような表現がついて回るところがあります。

私が最近気にしている表現があります。それは受け身です。情報システムを主語として「○○システムが△△データを出力します」と言い切ればいいのに、「△△データが吐き出されます」、「○○画面にメッセージが表示されます」というように表現するシーンが多いように思います。自分たちで作ったシステムについて社内で話し合うなら主語を省略したほうが手っ取り早いですので、それに慣れてしまうのかもしれません。しかしいざ社外の人間がそのように話すのを聞かされると自然現象であるかのように傲慢にさえ見えてしまいます。

それと比べると大したことはありませんが、つなぎの「○○して、△△する」というのが条件になっているのか、それとも単なる時系列になっているのか、そのあたりのところも不明瞭に話す人が多いように感じます。ひょっとすると営業の場面では技術的にかちっと話しすぎると聞きにくいのでは?という心配が営業担当者の中にあるのかもしれません。

システム関係のドキュメントでは文章は短くすることと、主語が人間かシステムかを明確にすることは非常に大切です。特に、主語の異なる2つの文章を「○○して、△△する」と繋ぐのは危険で、人によっては時系列でしかないと捉える場合もあれば、○○が満たされない場合にはエラーとするように実装する場合も考えられるからです。しかしながら受け身表現を設計から開発のフェーズでも多用する人がいて、それは小さなチームのように明らかに分かる場合であれば問題ないのですが、話が込み入った時に「それは監視されているから大丈夫だ」というような話し方をすると「何のプロセスで監視するんだっけ?」というような部分が抜け落ちてしまう懸念があって危険なように思います。

では設計書の日本をどう書くかですとか、口頭でのコミュニケーションをどのように進めるかというと、そのあたりの体系は私が不勉強なこともありどうしたら良いのかよくわからず、気になった際に場当たり的に指摘することしかできておりません。英語は数学を学ぶのに不向きな言語だとするニュースがあったばかりですが、システムを開発するのに日本語というのは適した言語なんだろうかというところは気になるところです。

あまり日本語的ではない感じもしますが、「○○システムは画面にメッセージを表示します」と表現すると、話す側は少しくどいように感じますが、ユーザ目線で聞く場合には結構わかりやすいものです。設計から開発フェーズであればそのように話すだけで事足りますし、もし営業フェーズでしたら「○○システムは画面にメッセージを表示することでユーザが▲▲することを防ぎます」というように効果を盛り込むことができます。「このシステムを使えば▲▲を防止するメッセージが表示されます」というのは確かにすっきりするのですが、ちょっとはしょりすぎではないかなぁと感じます。

営業の現場でそういった表現が好まれるのはなんでなんですかね?

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