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「学校にスマホ不要論」に感じる「プログラミング教育必修化」とのアンバランスさ

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■相変わらずの学校にスマホ不要論

日経の社説に『「学校にスマホ」適切な指針を』という見出しがありました。

登校時だけでなく、放課後の通塾や習い事などの時間帯の連絡手段としても欠かせないデバイスであり、大阪府は緊急時の使用は認め、校内ではカバンに入れるなどの指針をまとめたと日経紙面にはありました。

これとは別に、この方針変更に懸念を示す朝日の投書欄の記事も目にする機会がありました。

冒頭の日経の記事もおおいに推進することを推奨しているとは言えず、学校にスマホ持ち込みは不要だと考える、もしくはあまり歓迎していない層が一定数いると推測しています。

この他にも日経の社説は、実効性と紛失、目的外使用についての責任問題や、2020年度からの小学校で必修化されるプログラミング教育のことにも触れています。

先日クラウド時代に、そういった接続を認めない自治体のことを書きました。

この他にも、マイクロソフトがIEの使用をやめるように喚起しても、現実はうまくいかない実情についての報道が最近あったばかり。

そして、Googleのクロームでは確定申告ができないなどの指摘をしている記事も見かけるなど、テクノロジに進化スピードに既存社会がついて行けていない現実を垣間見ることができます。

■学校教育と自己決定原理のバランスの難しさ

さて、先日「AIと憲法」についてこちらの記事で紹介しました。

この書籍においては、8名の専門家がそれぞれの立場(憲法、プライバシー、自己決定原理、経済秩序、人格、教育制度、民主主義、選挙制度、裁判、刑事法)から、来るべきAIネットーワーク社会における課題や懸念が示されている書です。

この本をまず読んで感じたAIと個人の尊重問題の他に、わたしは「自己決定原理」を生活において大変重要視しています。

自分のような「自己決定原理」を大切にしたいと思うタイプからすると、未成年者の保護が必要だという基本概念や、この規制は個人所有のスマホを対象としているのは理解していますが、正直、小学校でプログラミング教育を必修化し、そこではパソコンやタブレットを使うけれど、個々人のスマホ利用は歓迎していない教育現場の様子に何か違う気がしています。

こういう主張が乱暴だという指摘をいただくとは思うのですが、現代においてパソコン、タブレット、スマホのような人間の能力を拡張してくれるデバイスを使いこなす機会を教育の場が奪ってどうするのでしょう。

なんでも規制して禁止するのは簡単ですが、「AIと憲法」を読んで痛烈に感じることは、日本の場合は特段AIが関連しなくとも、「意思決定をする権利」とか、「個人が自主的・主体的に決定・選択した結果を尊重しなければならない。」という観点からの考え方がなぜ取り入れらることが少ないのでしょうかね...

今日触れた学校へのスマホ持ち込み問題から派生して、まさか自分のブログに日本国憲法の条文を書く日がくるとは思いませんでしたが、

「学問の自由は、これを保障する。」

この重要性を感じた通勤時間のひとときでした。

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