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「月2回勤務、年収1千万円」働き方としては理想的?

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天下り先「月2回勤務、年収1千万円」国会どよめくと朝日新聞が報じています。

こちらのサイトを拝見すると、平成27年度(2015年)の平均年収420万円というのがあり、普通に平日フルタイムで働く人から見れば、月2回の出社で年収1千万円は受け入れがたいものがあろうと推測します。

ですが、働き方改革の一環として、成果を評価する形のひとつとありかたとして、月2回の出社だろうが、年間に2回だろうが、その収入に見合う成果を上げていれば経営者は喜んで給料支払うと思います。

機械との競争の共著者として知られる、アンドリュー・マカフィーのこちらのプレゼンの中では、

過去数十年の資本収益率と労働収益率のグラフが登場します。

capital-and-labor.jpg

そこでは、企業が大きく資本収益率を伸ばしている一方、労働収益率は激減とも言える状態です。

このプレゼンテーションの中においても、ホワイトカラーの下位職かブルーカラーの仕事をする人たちが今後の経済社会に参加できなくなる状況を何かしら対策が必要と訴えています。

それがベーシック・インカムになるのかは現時点ではわかりませんが、、、

冒頭紹介した朝日新聞の記事の最後にこんな記載があります

■明治安田生命「経験や知見への報酬」

 明治安田生命保険は嶋貫氏の顧問就任について、「文科省を中心とした法人営業への助言をしてもらっていた。報酬は労働時間ではなく、嶋貫氏の経験や知見へのもので妥当な水準ととらえている」と回答した。文科省からの組織的なあっせんは「把握していない」としている。

音楽や芸能の仕事に携わるなかで、営業一回で100万、数百万の単位の金額が動くことはよくあり、講演などでも著名な方ですと200万を超えるギャラはめずらしくないと思います。

講演などのギャラを半々でわけるなら1回の講演でも相当稼げるわけで、余人をもって替えがたい能力や成果を出せば、稼働する日数は極めてすくなくても1000万を稼ぐことはべつにできないことではありません。

それは個人事業主や特殊な働き方であって一般労働者とは訳が違うというご指摘もあろうかと思いますが、これだけ毎日働き方改革とかワークスタイル変革、日本人の生産性が低いという話をしている時期でもあり、問題をそこにかけた時間や回数が得られた収入と見合っているのかという議論の持って行き方をメディアが仕掛けるのはやめてはどうかと思う次第です。

日本の会社も終身雇用を放棄すると、雇う側と雇われる側の意識も変化し、待遇もいろいろ変化してくると思います。

青色発光ダイオードの件では、特許をめぐって裁判になりましたが、会社が一生面倒を見てくれない時代の技術職の方々には、きっとこの辺の収益分配のルールも個人に有利な方向で調整かけていくことで、勤めてはいるけれど権利収入があるから好きな研究が続けられるというケースも出てくるのではないでしょうか。

そういう意味で、このテクノロジ時代にマッチをした才能をもっている人たちには、いま日本で起きている現象、働き方改革というよりは、人生の稼ぎ方改革なのかもしれません。

P.S.

そもそも記事が指摘している天下り問題については、こちら城繁幸さんの記事を一読されることをお勧めします。

わたしの今日のエントリは天下りの是非について論じたものではありませんが、文中で引用されている大蔵省OBの"ミスター円"こと榊原英資氏のことばを紹介しておきたいと思います。

天下り規制も全くナンセンスです。日本の場合、雇用制度は終身雇用、年功序列が基本。民間企業の場合も官庁の場合も、同期が重役・社長に昇進するにつれ、多くの人たちは関連会社や子会社へ出向していきます。

役所の場合も公社・公団などの独立行政法人に40・50代から転職していきます。役所にとってこうした組織は関連会社であり子会社です。天下りというと何か権力を背景に出向するようですが、実態は関連組織への転職です。

日本的雇用システムのもとでは、人事をスムースに運営するためにはこうした転職は民間でも官庁でもごく自然なことなのです。それを官庁だけ根絶するというのは、現実をまったく無視した暴論です。民間企業で関連会社、子会社への出向を禁止したらどうなるのかを考えれば、答えはおのずから明らかでしょう。

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