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それでもFランクの大学や経営管理系の大学院が必要だと思う訳

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受験すれば誰でも合格する大学

BLOGOSで「【読書感想】Fランク化する大学」という記事を拝見しました。

Fランクの定義とはこういうことのようです。

実際は、ある大手の予備校が(偏差値が低いのは間違いないのですが)、「受験すれば誰でも合格する大学を、フリーの意味を込めて『Fランク』としていた」のです。
 あまりにも侮蔑的なニュアンスで使われることが増えてしまったため、この予備校も現在は「Fランク」というのは使っていないそうですが。

紹介されている「Fランク化する大学」では、生徒だけでなく大学側も含めた醜い実態が指摘されているとのこと。

ただし、単なる批判だけでなく、「Fランク」であってもそれなりに「デキる学生」はいること。んな大学でも、ゼミ選びで「大学生活を充実させる」ことは可能としているようです。

わたしが若い頃にはアメリカの大学は入学はしやすいけれど、卒業するのが大変だと聞いたことありますが、これからの時代は日本でも入りやすいけど、卒業は大変な形に大学が変化してもよいのではと考えます。

Fランクとされる大学であったり、専門学校化する経営管理系大学院への指摘がもっともだと思う部分も多くありますが、その存在意義についても考えてみたいと思います

「Fランク」の存在価値

47歳で通信制大学に入り、そこから大学院に進んでいる立場から申し上げると

まずチャンスを与えてくれる場が必要だと強く感じます。

特に最近は、IT化が進んだ時代であり、日本のホワイトカラーの生産性の低さであったり、機械との競争(共創?)の問題などなど、これまでのスキルセットで食べていくのが困難な時代になりつつあります。

このような背景において、年齢問わず学び直しとか、新たなスキル開発のための学び場が、門戸を大きく広げた状態で、(公的補助なども利用しつつ)比較的安価な費用負担で提供されることはとても重要だと考えるからです。

橘玲氏は「言ってはいけない 残酷すぎる真実」や「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」などの著書で、知識社会で勝ち抜く人は論理的・数学的知能が必要とされているとしています。

働き方改革も急上昇キーワードでありますが、苦労や徒労とも思えることを頑張ったとして評価する旧来の日本的働き方から、論理的・数学的知能を活かした働き方改革が必要であり、そこには「Fランク」であっても年齢関係なく経営学やマーケティング、ファイナンス、ロジカルシンキングなどに始まるMBA的なスキルセットを体系的に学び、習得できる環境が必要と考えます。

ですので、「Fランク化する大学」として改善すべき課題があることも現実ですが、一度レールを外れてしまった人が再チャレンジしようとした場合であったり、何かしらの理由で現在能力を開花できていない人材に能力開発の場、機会を幅広く提供できるという観点で「Fランク」の存在価値も見いだせるのではないでしょうか。

通信制の大学が「Fランク化する大学」で取り上げられているか未確認ですが、よほどのことがない限り入学可能な経営管理系の大学院なども含め、学業と仕事の両立には相当なタイムマネジメント能力が求められますので、こういう能力をもった人を組織はうまく能力開発できないものかと感じる場面が多くあったりします。

誰もが学び続けることが必要となる、"不可避"な未来

ケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則」では新しい仕事を生み出すのと同時にわれわれの仕事を奪うことは阻止できないとして「本質的に"不可避"な未来」について解説してくれています。

そこでは、無限のゲームとしてこんな形で要素分解できるわけですが、

  • テクノロジーを遅らせる事は出来るが 無くすことは出来ない
  • テクノロジーは消滅しない
  • 際限のないアップデート
  • 常に初心者
  • テクノロジーが進化を加速
  • 進化とはそのゲームのルールを変更して ゲームを延長させる方法

ここにおいても、際限のないアップデートに常に初心者として立ち向かうには、学びの場が必要であることが推測されます。

このような観点からも、どんなバックグラウンドをもった人であっても自分が望んだときに、叩ける門があることはとても大事だと思うのでした。

テクノロジを活用した人材能力開発の可能性

名前の通った有名大学に有能な人たちが入学し、卒業してから活躍する従来モデルが無くなることはないでしょう。

ここに対し、Fランク大学は遺伝子検査なのか、人工知能などを活かした適正検査なのかわかりませんが、ドロップアウトしてしまったり、義務教育などにうまく適応できなかった人であっても論理的・数学的知能があることを見出し、適切な能力開発してあげる。そしてその人が社会で活躍した実績が残れば差別化につながっていくのではないでしょうか。

こういうことはテクノロジ的には可能なんでは?と思ったりしますが、こういった方面についてはどんな未来が来るのか気になるところです。

参考書籍

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