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先進国で最低の日本の生涯学習率

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ニューズウィーク日本版に『日本の成人の「生涯学習」率は先進国で最低』という記事が掲載されており

  • 日本は1.6%とランキング18カ国の中で最も低く、学校で学ぶ成人が最も少ない。
  • 最高はフィンランドの8.3%で日本のおよそ4倍。
  • 上位は北欧の国々で占められている。
  • 日本は「教育大国」と言われているが、それは人生の初期に限った話で、生涯のスパンでみるとそうではない。

このような指摘が行われています。

そして、筆者の舞田敏彦氏はこのように記事をまとめています。

求められるのは、教育期と仕事期(引退期)の間を自由に行き来できる「リカレント教育」の実現だ。これは1970年代初頭にOECDが提唱した概念で、北欧を始めとした先進国では徐々に実現されている。社会変化が加速し、少子高齢化が進むこれからの日本社会には、「直線モデル」ではなく「リカレントモデル」がふさわしい。

ドラッカーは昭和44年という段階で、「断絶の時代 来るべき知識社会の構想」の中で、知識社会の出現と知識労働者の台頭を示しました。

同書では40代後半から50代の人たちに、それまでの技術、技能を生かした分野で、ほとんど再教育なしに、他の職場への転換できる可能性を組織的につくることが必要と、この時代に指摘し、社会人教育の効果の高さについても触れています。

昭和44年の段階では早すぎた側面もある「断絶の時代」は、1999年に新版が出され、この一文も目を引きます。

3章 必然の教育改革 学ぶに適した時期
事実、経験を積んだ後のほうが勉強をできる科目は多い。マネジメントがその一つである。さらには、法律、医学、教育学、建築学、その他あらゆる学問に、経験のない若者では学び取ることのできない科目、あるういは初心者には科目というものがある。(P350)

舞田氏が推奨する「リカレント教育」について残念ながら日本においてはこんな指摘があります。

「無業社会 働くことができない若者たちの未来」(著)工藤 啓, 西田亮介 (2014年)

かつて、日本版「リカレント教育(生涯学習)」に、企業の関心が集まった時期もあった。企業社会でさらにステップアップするためい、いったん大学や大学院に戻って学びなおすという構想だったが、最近ではかつてほどの熱気は感じられない。やはり企業社会が、日本の大学に、その価値を見出さなかった。もしくは見出せなかったことが主たる要因である。(P175)

47歳で学びなおしを始めた身として切実に感じるのは、大学開放(University Extension)のような制度を導入してもらい、もっと幅広い学びが実現できるようにしてほしいという事でしょうか。

こちらのエントリで所得を増やすことの重要性に触れましたが、

社会人が仕事と学校を両立させるためには、お金と時間の確保がまず必要となります。そして、授業に遅刻・欠席すれば評価が落ちるし、勿論試験に合格できなければ落第です。

つまり、ここでも生活費とは別に教育資金を確保できる収入と、MBAの場合2年程度は夜間に授業がある日はそちらを優先できる職場環境が必要となります。

生涯教育では、再チャレンジ的な意味もあるかと思うのですが、このような環境の両立には、やはり大手の会社に勤めている人のほうが有利という側面があり、恵まれている人のほうが上にあがっていくという資本主義の縮図を垣間見ることとなります。

付け加えるなら、ポスドク問題などがあるように、学位を取得したことが即パスポートとにはならない事も考えておくべきでしょう。

「無業社会 働くことができない若者たちの未来」では、日本で一度レールを外れてしまうとリカバリするこがいかに困難かについても書かれています。リカレント教育にしても、費用や仕事の負担を肩代わり可能な大企業の人が利用できる仕組みとしてでなく、中小・零細企業、何かしらの理由で既定のレールを外れてしまった人にも利用可能な仕組みとなってくれればと思います。

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