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ブラック企業批判で出てくる「使い捨て」というワードについて思うこと

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時代と共に物事の考え方は変化するので、そこについて行けなくなっているのは老化なのかもしれません。

ここ最近ブラック企業に対する糾弾がどんどん加熱していて、メデイアでも盛んに取り上げています。

その中で、「若者を使い捨てする」というワードを良く見かけるのですが、こういうメディアが使い捨てを批判するのに違和感あります。

その昔、スタジオミュージシャンを目指すならまずボウヤと呼ばれる修行状態から初めて、最初はギャラといっても雀の涙程度のところから初めて、だんだんとランクがあがり、そこに著作権に関係する収入も発生するような仕事をモノにしていく…というのが自分が憧れた業界の大昔の定型パターン。(昭和30~40年代は基本この形で、それ以降で専門学校が出てきたりで、変化はしてきてはいると言えるでしょうが)

あと、漫画家さんとかは、連載で得られる収入で食べていくのは難しくて、単行本化されないと安定した生活は見込めないとか…

その他、俳優、芸術家、タレント、カメラマン、イラストレーターなどなど、自身の才能をお金に換えていく必要のある仕事の場合、食べられるようになるまではある程度似たような流れではないかと思っています。

さて、ここであげたような仕事は、やはり流行廃りのある仕事ですから、運良く大ヒットに繋がり成功する人も居るわけですが、そこでメディアが取り上げるのは一部の流行している人であり、人々から注目集められる人を使い捨てにしている側面多大にあるだろ…という思いがあります。

  • 音楽の流行が変った(売上が減った)から契約解除
  • 写真のテイストが時代と合わなくなったから別なカメラマンに…
  • 連載の反応があまりよろしくない
  • 会社の方針が変った…
  • 同じメンバーでやるのに飽きた(と、ここまでストレートには言わないかもしれないw)
  • などなど

その昔、テレビの制作現場を請け負う会社やマスコミ関係の会社などでは、毎年十数人が入社もしくは業務委託契約して、1年後に残るのは1名か2名…その試験にこれまたかなりの応募があるような時代があり、自分もこういう選抜の場に身を投じたことがあります。

このほか、日本は口約束の文化なので、いろいろと企業側の都合で仕事が急になくなるとか、その話は無かったことに…などなどこれまで受け取る側としては、企業の都合で使い捨てにされたと感じる事かなり多くあります。

正社員で雇っている人間とフリーランスでは話しが違うという指摘もあるでしょう。

では、いまメディアが見出し打ち出すべきは、「正社員の若者の使い捨てはけしからん!」という話しなの?と

少なくとも音楽業界やテレビの現場で使い捨てにされてきた若者の存在を実体験している自分としては何か違和感を感じてしまいます。

その昔オリンピックも赤字で悩んでいたのが、商業化で成功を収めた時代の流れがありました。

日本では「もったいない」という文化があり、使い捨てライターや、ビニール傘への抵抗感をもっている人もまだ居るでしょうが、使い捨てが経済発展を促してる側面は否定しようが無いと思っています。

使い捨てをしないという事は、入れ替えも発生しにくい仕組みを意味すると思います。

使い捨てというワードからネガティブなイメージを膨らませるのは簡単ですけど、固定化することの問題もメディアはちゃんと光をあてて、議論を喚起するとかすべきじゃないかと思ったり、、、

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